火曜日, 12月 21, 2010

対流圏における千客万来

いったいなんの話か? 飛行機の話だ。

昨12月20日、16:00発の神戸>那覇便に乗った。

離陸直後に、下の方をジェット機と思われる機体が反対方向に通過していった。これは電子機器を使うなというフェーズであったので撮影できなかった。

余り座らない窓際にいたので、雲を眺めて時々写真を撮っていた。するとものすごく遠くに、きらり、と白い点が見えた。(17:27頃)


UFOでなければ、常識的には飛行機であろうが、形は全く分からない。こちらに向かっているわけではなく、ほとんど移動しない。そのうちに一瞬目を離した隙に分からなくなった。おそらくは飛行機だろう。

そういえばたまに見かけることがあるな、とカメラを横に置いたまま外を眺めていたら、今度は対向して通過する一機に遭遇した。すぐにひっ掴んで撮影。(17:28頃)



やれやれ幸運だった、と思っていたら、今度は上を通っていく機体があった。(17:29頃)



ああ飛行機雲がきれいだ、あれも撮ればよかった、などと考えていたら、かなり遠くに、おそらく同方向に飛んでいるらしいもう一機を発見した(17:30頃)


飛行機雲を曳いていなければ気付かなかったかもしれない。

実はこの時、この機体のさらに向こう側にもう一機、さらにこれより小さく見える機体が視認できたが、これは窓の縁の辺りで、座席の位置との関係でカメラを向けても撮影出来なかった。(17:30頃)


2分ほどたつと、今度は下側をすれ違っていく機体があった。(17:32頃)



さらに数分後にもう一機(17:39頃)



そして上空をもう一機(17:45頃)



さらに、これも電子機器使用禁止フェーズであったので撮影できなかったが、那覇空港着陸直前に上を通過していく飛行機があった。

撮影できたのが7機。離着陸時で撮影出来なかったのがそれぞれ1機づつ。さらに上空で見えていながら撮影出来なかったのが1機。全部で10機を一回の飛行で見たことになる。私にとっては新記録となった。

ひょっとして普段もこれくらい見えているのか??  私の見ていない反対側の窓の外で、飛行機がパーティでもやってるんじゃないかと妄想した。


土曜日, 12月 11, 2010

大人の科学:和時計

和時計である。



大人の科学の付録であった。というかこれを見たので買ったわけだ。作ってみたらかちかちと音をたててうまく動いた。形も美しい。音の出る時計は久しぶりだ。

不定時法で、明け六つから暮れ六つを昼間、暮れ六つから明け六つを夜としてそれぞれを(大ざっぱに言って)六等分する。それぞれが一時(いっとき:約2時間)。昼と夜の長さは毎日変わっていて、しかも昼の長さと夜の長さは春分点・秋分点以外では等しくないので、早い話が昼の時刻の進み方と夜の時刻の進み方が違う。だから不定時法。

昼と夜の時刻の進みの違いは、振り子時計の振り子に相当する天符(頂部についている黒い横棒のようなもの)を、昼用と夜用で切り替えて使う。 切り替えは明け六つと暮れ六つに自動で行われる。さらに毎日変わる昼と夜の時間は、二十四節気ごとに(理屈では毎日やったっていいわけだが)天符の両端の錘の位置を調整し、天符の振動周期を変えることで調整する。

こういうものを作ると、突然自分が自然界に沿って暮らしている気がして、まあいい加減なもんだが面白い。ネットで日の出日の入りを調べ、昼と夜に計算し直して(太陽の大きさによる出現時間差だけ調整する)文字盤の目盛に換算して時刻合わせをする。 あとは振り子の錘の調整をしなくてはいけない。そういうことにハマってるんるんしている。
 こいつは、前号の付録、8ビットマイコンArduinoへ信号を送る接点が付属している、そこから先はプログラミングだが、近くにあるBluetoothオーディオへ時報を送るとかできないかと思案中。あとは文字盤に色を塗ってみようとか外筐を作ってみようとか、いろいろさまざまにアイデアがふくらんでいる。

楽しいものである。

木曜日, 10月 21, 2010

New MacBook Air 11 inch、アップルの戦略など

Mac: MacBook Air 11inchが発売になった。サイズ的にはネットブッククラス、ということになる。ネットブックやiPadよりわずかに幅が広い、という感じか。重さはネットブックくらい。
これはかなり気になる。もう少しでポチッと買いそうになった。




私はこれまでどうして来たか。普通にMacBookを使っていた。「普通の」MacBookの最後は黒いMacBookだ。これの重量は2.3kg。重い。
そのころ初代MacBook Air 13インチが出た。「レガシーデバイスなし、ワイヤレスで生きろ」がJobsのメッセージだった。重量は多少減ったが、多くは変わらず。HDが最大120GBという制約があり、それで購入に踏み切れなかった。
その後、世間のネットブックの軽さにあこがれ、いっそubuntuのネットブックを試してみようかと思った。がしかし、普段プレゼンテーションなどをこれで行うので踏み切れず、ついに「思い余って」Dell Inspiron Mini 10vを使ってHackintoshすることになった。多少の問題はあったものの、これは十分に使えて最近までメインマシンであった。

そこにiPadが登場した。「クラウドで生きろ」が今度のJobsのメッセージだった。パラダイムの転換を予感し、使うことに。最近はこれしか持ち歩かない。10vはデスクトップPC状態になった。iPadでやりたいことの95%は出来ているが、一番いやなのはプレゼンター(クリッカー)を使いながらKeynoteでプレゼンできないことだった。iPhoneをクリッカー代わりに使ってPDFなどでプレゼンする2Screenもあることだし、いずれは何とかなるにちがいない、とKeynoteのバージョンアップをひたすら待っていた。

そこにネットブックサイズのMacBook Air 11である。フラッシュメモリ128GB。以前なら許容できないサイズだったが、これをモバイルマシンと位置づけるなら、すでに私はクラウドを使いつつ16GBのiPadでモバイル環境を生きている。それなら128GBでいいじゃないか、ということになる。

いまiPadからMacBook Air 11に乗り換えれば、Keynoteの悩みは消滅してしまう。逆に一番困るのは、iPadで習慣化した読書がどうなるのか、ということだった。あとは録音しながらメモが取れるSoundNoteのようなものの問題も。(さらにいうならターミナルで行うようなUNIX環境があるともう言うことはない。)

さてそこで、来年夏に出ると言われるMacOS 10.7 Lionの事を考える。これにはiOSのさまざまなFeatureが盛り込まれる予定だ。つまりMacBook Airは半分はiOSの環境になってしまう、と考えられる。マックとiPadのハイブリッドみたいな感じが予想される。そうするとこちらにも読書関連のiアプリが移植されてくるのではないか? それならおっけーじゃないか。即ポチッとやるか?

…と思っていた時に、過去の流れが蘇る。だがそれって10vでやるはずのことではなかったのか? あるいはiPadでとことんやるはずではなかったのか? 何かどこかにパラドックスがあるような、いまひとつ納得しきれない感じ。。。

結局こうすることにした:
・MacBook AirはLionまで待つ。その頃にはスペックも少し上がるかもしれない。
・それまでにiPadのKeynote環境がクリッカーを使えるようになるかもしれない。それだったら必ずしもMacBook Airは必須ではない。むしろ自宅/職場の母艦のスペックを向上させるべきか。

ということでしばらく待つ。

ところで、ここまで考えて、Jobsの絶妙?(か結果的かはわからないが)な戦略を思った。
要するにそれは「順番」ではなかったか?、と。

新生代Appleデバイス、といってもMacBook Airをまず出しては、たいしたインパクトはなかったろう。それに先立ってiPadを出した。これはクラウド時代の到来と相俟って、エンドユーザーのパラダイム転換を引き起こし、爆発的な売れ行きをもたらしている。

それで、ユーザーのモバイル環境としてワイヤレスもクラウドも当たり前になった時に、iPadで全てを置き換えるのには苦労している私の様なタイプに向けて、絶妙にデザインされたMacBook Airを再び登場させる。「今の時期、このスペックならどうだ。さらにこれは来年になったら半分iPadになるぜ。」というわけだ。ここにはまた大きな需要があるだろう。エンドユーザーが悩むのは、いつiPadを持ち出し、いつMacBook Airを持ち出すか、ということくらいだ。

やるなあ、Apple。

木曜日, 10月 07, 2010

今敏氏死去、千年女優、などなど

アニメ映画監督、今敏氏が亡くなったのはもうしばらく前になるが、少し整理してみる。

まずは今敏氏のご冥福をお祈りいたします

この訃報は、その事実の伝播のし方が、少なくとも私にとっては、これまでにないものだった。
最初、私はそれを家族との朝食の席で聞いた。息子が「今敏氏が亡くなったらしい」というのだ。「らしい」と。数時間前にガイナックス関係者のツイートで見たという。
私はまずGoogleでニュースを探した、それらしいものは何もない。見つかるのはガイナックス関係者のツイートだけだった。ツイートをたどっていくとさらにいくつかのツイートがあるが、それしか見つからない。中国語のサイトがニュースに報じているのを見つけたが、この情報源も自分が探し当てたツイートだった。結局は全てtwitterからだ。

その後数時間にわたって、mixiで質問したりしながら時おりネットを検索したが、twitter以外からは何も情報が得られなかった。「今敏 死亡」を検索文字列にしてGoogleアラートを立てたが、最初にそれが鳴ったのはその日の15時頃だった。この頃に公式発表が行われ、メディアが報道し、またホームページに事実が公表されたようだった。
自分自身の実体験としては初めて、ツイートがマスメディアに先行しているのをリアルタイムにフォローしたことになった。ついにこういう時代が来たのだ、という、一種の世界の再構築が、私の頭の中で起きた。

◎パプリカ
その日、手元にあった「パプリカ」を観た。筒井康隆の原作を元にした熱狂と狂気がつたわってくる。このことについては2008年の記事に書いてあるので、ここには詳しく述べないが、前回は狂気的なイメージだけが目に付いた感じだったのに比して、今回はストーリーの骨格がより明らかに見えた。これは観るほうの学習効果だろう。


◎千年女優
そして、まだ観たことのなかった「千年女優」をレンタルビデオで観た。ツタヤのオンラインレンタルだが、待っている数日間で貸し出し確率がどんどん減っていくのが見えた。

もうこれは「俳優がいないのでアニメ」というしかない感じがする。今の人には出来ない役柄だ。「芸能界を引退して久しい伝説の大女優」という主役キャラクター・藤原千代子を演じられるのは、明らかに原節子しかいないが、それは主役のキャラクターと全く一致する彼女の生き方からすれば、不可能なことだ。(原節子は90歳で存命。つい先週、ビューンの雑誌のどれかで彼女の記事を見かけた。)そして、彼女を差し置いて他の誰がこの役を出来るだろうか。だからアニメなのだ。

全編はストレートな愛の感情に満ちている。時相を相前後しながら、ひたむきな彼女の愛が、自由度の高いアニメの表現力を利用して、奇抜で印象的なイマジネーションを存分に展開しながら語られる。表情や動作の描画表現は卓抜している。
アニメ表現が、最良の形で結実した作品だ。アニメのビジュアルはここまでリアリティを表現できるのだ、という実証そのものだ。

◎「パーフェクトブルー」
以前にコメントしているので再度は触れない。

彼の作品を「狂気」と結びつける意見があるが、それは少し違う感じがする。彼の表現力が、狂気までをリアルに観客に印象づけられるほど優れているのだと思う。私には彼の表現は、徹底したリアリティへのこだわりに見える。大友克洋の影響が色濃いが、それでも全ては彼の才能だ。

今敏を越えられる監督が今いるのか? 新海誠は? それ以外は?
ひょっとして、昭和、という前の時代が「リアリティ」と結びついているとしたら、これを表現出来る人はもういないのでは?
ひるがえって、現代の「リアリティ」とはなにか? 「格差」か? 「電脳」か? 「空疎な『誰でもやればなんでもできる、頑張れ!』にあえぐ人々」か? そういうものを正面から表現するクリエイターはいるか?

今敏と他のアニメ監督二人を比較してみる。
まずは押井守。押井作品はヒネている。ビビッドでない。私小説そのものの枠組とストーリー展開のミスマッチに面白さがあるが、その面白さはシリアス表現の漫画に突然出てくるSDガンダム的キャラクターの表すチープさに似ている。反対概念と結びつかないチープやニヒルは、ただのチープやニヒルでしかない。「アヴァロン」のハインドに、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」のハインド以上のチープさを感じるのは、正常な感覚だ。
リアリティは今敏の方が上。

宮崎駿はどうか。あちらはダイナミックな展開をみせるファンタジーの魅力。最後は力技で、どこまでも世界をひっくり返して見せる力量が凄い。リアリティとは違った世界にいる。そんなもの関係ない。

誰が今敏を継げるのだろうか。合掌

水曜日, 9月 08, 2010

iPad Sleeve Pro -ASANOHA- :丸益西村屋

こちらはたぶん8月初めに届いた。京友禅のハンドクラフトのiPadのケース。美しい。


これまでは、別の用事で岩手県遠野市から送られてきたプチプチの入った封筒を、ガムテープで縁を(それなりに)きれいに補強したものに入れていた。郵送封筒から無造作にiPadが出てくるのが、ちょうどMacBook Airの紙封筒の演出のような感じで、結構気に入っていた。が、封筒自体が2ヶ月ほどでくたびれてきて、中のプチプチがはがれ始めたので、そろそろ頃合いかな、ということでこのケースにした。

iPad自体はTUNEWEAR Softshellに入っているので、シェルごとそのまま入りそうな、シンプルで美しい容れ物を探していたらこれが目に留まった。シェルごと中に入るか気になったのでメーカーさんへメールを出して確認したところ、実際にシェルを装着して試してくださったとのこと。大丈夫そうだというので、商品のうち一番余裕がありそうなものを選んでいただいて送ってもらった。(ハンドメイドなのでそういう選択ができた。)
結果は大満足で、ぴったりとすっきりと中に収まっている。中に緩衝材が入っていて、多少の保護効果も期待できそうだ。縫製の仕上がりは実にきっちりとしている。セットにはスペアのボタンが一つついてくる。私自身の希望には完璧なもの、という感じ。いいものを買いました。どうもありがとうございます>丸益西村屋さん。


今持ち歩いているかばんにはこれだけしか入っていない。(本はたまたまこれだっただけ。)以前に比べれば軽々としたモバイル生活になったが、それでも黒いポーチの中のものがもう少し減らせないかと、悩み中。

火曜日, 9月 07, 2010

オルセー美術館のiPhoneケース:ゴッホ

7月のことだが、ちょっとうれしいお土産を買った。


国立新美術館のオルセー美術館展の出口近くにあった、ゴッホの絵のiPhoneケース。手持ちのケースが一部割れていたので何かいいのはないかと探していたら、ジャストタイミングで出会った。ゴッホのこの絵のことは恥ずかしながら知らなかった。今回の展観で初めて観たのだが、とてもよかった。それがバックにプリントされているのでもう見ただけでくらくらしてしまって、すぐにレジに持っていった。持っていってから値段を見ると3200円。おお。でもいいから買うもんね、と買った。フロントのスクリーンをフルカバーするマットフィルムもついていて、まあまあ悪くないお値段なのかも。

持っていてこの絵がきれいなので、大満足している。

土曜日, 8月 28, 2010

でかいMacBookPro 13インチ


知人が買ってきたMacBook Pro 13インチを久しぶりに手に取ってみたが、その巨大さに驚いた。巨大?

巨大だった。最近持ち歩いているiPadに比べれば。私はiPad以前はDell Mini 10v HackintoshがモバイルPCであったので、今年2月にTEDxRyukyuの上映用PCとしてMacBook 13インチを持ち出して以来、あの大きさのものを手に取って見ていない。それで久しぶりに手にした13インチは恐ろしく大きく感じた、というわけだ。

写真で見れば一目瞭然。普段持ち歩いているのが赤いのかグレーのやつだから、銀色は大きく感じても不思議はない。

もはや13インチでさえ、もう持ち歩く気にならない。完全にデイリーライフの一部と化したiPadを実感した。

火曜日, 7月 27, 2010

「電書フリマ」

「電書フリマ」に行ってきた。
Biz誠であったと思うが、Webページで関連記事を発見したことがきっかけだ。曰く文学版コミケのような「文学フリマ」で、対面販売しながらデータでコンテンツを売ったら5時間で1400部以上売れたとのこと。その記事に「電書フリマが2010/7/17に渋谷で開かれる」とあった。
対面販売で電子書籍を売るという行為自体が面白いと感じた。iPad的にちょうどいいのかも?とも思った。そういう購買形態はどんなものだろうか、と体験してみたくなった。たまたま上京している日であったので、行ってみた。

場所は渋谷のコラボカフェというところで、青山学院大学からちょっと渋谷駅方面に下ったところのBFだった。
15時頃に行ったのだが、路上に人があふれていた。とりあえず中に入ると、パーティのような混みよう。
手順を聞くと受付番号のようなものが必要とのことで、入り口近くの端末で発行してもらうような?ことだった。入り口に並び直そうとしたが、よくわからないうちにそれも不要となり、中にあるカタログから買いたいタイトルを選んで、メルアドとともにレジで申請くださいということになった。
奥の方には「試読」コーナーがあり、販売しているコンテンツの一部が読めるようだった。



さて紙のカタログを目にするが、小さい文字と店内が狭いのと暗いのと混みあっているのとで、数ページ数十タイトルくらいあるリストからゆっくりと気を入れて選ぶのが難しかった。その日に帰る予定なのも手伝って、あまり時間を使っていられなかったのだ。そこのところが残念で、もう少しきちんと選ぶ心の余裕が欲しかったところだ。
結局のところ、5ページからランダムに2タイトルづつ10本選んだ。10本以上は1本100円になるので、そうした。大抵の人がそうしているように見えた。




1000円払ってタイトルとメルアドを申請すると、しばらくしてからメールが届くので、そのメールからURIを開くと、手持ちの機器に本がダウンロードされる。私はiPadのStanzaにダウンロードした。

読んでみてどうだったか? Stanzaでフォントと文字サイズを上手く設定すれば、文章としては問題なく読める。翻訳の外国文学、お蔵入りになったマンガのオリジナル版など、いくつかは楽しむ事が出来た。
結局、すべからく作品のクォリティと選択が楽しみを決める。本を買うのと同じだ。関心があって、品質が高ければ、この方式でも、普通の書籍でも楽しみは同じだ。

むしろ「iPadは『書を読む感動』を提供できるのか?」という問いが明らかになった。この読書環境で、読書にフォーカスできるのか?、ということだ。One click awayの場所にtwitterやWebがあるときに、それに邪魔されずに本に集中できるのか?

全ては自分だ、ということか?

聞くところによると、一般の書店で、iPadで「ちら読み」してもらって、気に入ったらそこからクリックすると書籍が発注できるしかけもあるらしい。本もいろいろな形で読めるようになったものだ。

水曜日, 7月 21, 2010

My iPad life

Dell mini 10v Hackintoshによる軽量のMacOS Xを日常環境としていた私には、今すぐiPadを買う必要性はなかった。「しばらく待ってからだな」と思っていた。


しかし5月10日にそれはやってきた。「iPad。いよいよ5月28日発売。本日より予約販売開始。」と書かれたAppleからのメールだ。私はそれを、当日の夜に読んだようだが、これはなにか自分がコンピューティングに関して持っているパラダイムを根本的に変えるのだろうという予感が強くなった。ニューパラダイムには乗るべきである。
結局、翌日の朝にはWiFi16GBモデルを注文していた。ほとんど即日に近い申し込みは受け付けられ、私は全くどこにも並ばずして、発売当日にiPadを手にする予定になった。

待っている間、一喜一憂も何もしなかった。どちらかというと懐疑的。10vとどこが違うだろうと考えながら待っていた。

5月28日金曜日、ブツは届いてないように見えた。明日来るんだろうか、などと暢気に構えていたら、陶芸の師匠のところから電話がかかってきた。「なにかアップルから届いているんだが、これは何? そちらのモノ?」 しくじった。。先だってAppleからフォトアルバムをあちらに送っていて、今回の注文を、間違えてその住所へ送ったらしい。「あーうちのです。明日取りに伺います」と、そそくさと回収することに相成った。「くれるのか?」と言われて汗かくこと頻り。。


現物を回収し、それからケースを買いに走るが、そんなものはありゃしない。仕方がないのでアマゾンに注文。結局ケースが届くまでの数日間は本体を開けることもせずに放置していた。


当初は、WiFiオンリーであるし、家において家族で共用しながら、このモノのパラダイムを体感してみよう、という肚だった。
ケースが届き(Tunewearのソフトシェルにした)、使い始めてみると、やはりあれこれ使い道を考える私自身がより多く触るようになる。そうこうしているうちに完全に自分のツールになってしまった。SyncしたPCが私のPCであったので、そうならざるを得なかった。

さてどう使おうか、と考えた。

こ数年間で、Apple社は、というよりJobsは、PC環境に関して二つのイノベーションを我々ユーザーに迫った。
まず彼は、MacBook Airで全てのレガシーインターフェースを捨ててワイヤレスで生きろ、と迫った。私は当時、彼の挑戦を受けなかった。挑戦の本体自体に乗れなかったわけではない。その頃すでに160GB強のデータを持ち歩いていた私は、キャパシティが120GBしかないMacBook Airは使えなかったのだ。当時使っていた黒のMacBookの重さに耐えられなくなり、Hackintoshすることにしたが、重量1kg弱のMacOS Xネットブックは、持ち歩き環境としてはMBより遥かに快適だった。

Jobsの二つ目の挑戦がiPadだ。今度は彼はクラウドで生きろ、と言ってきた。iPadは明らかにそれを想定したデバイスだ。クラウドでユビキタスにどこででもつかえなくては魅力は半減する。
現在ノートPCで持ち歩いているものを各拠点に分散し、間をクラウドで繋げ、オンザロードをiPadでまかなえるなら、すべてのデータを持ち歩く必要はない。「自分はクラウドで生きられるのか?」 それが私に投げかけられた問いだ。
今度はそれに乗ってみることにした。

まずは環境の分離だった。ここ20年近くの間で初めて、自宅PCと職場のPCにリソースを分けた。映像・音声リソースがHDを食っているので、それを分ける算段をした。iTunesは自宅でしかSyncしない。写真は自宅と職場にリソースを分ける。間をつなぐ必要がある場合はクラウドサービスを使う。カレンダーのSyncにかなり悩んだが、BusySyncを使ってGoogleカレンダー経由で自宅と職場のiCalをSyncすることができた。

プレゼンテーションはKeynoteでできる。オフィススイート系を読むのはGoodReaderでできる。書くほうはプレーンテキストで書いて、あとでPCで整形することにした。グラフィック系のヘビーな作業はPCに任せてここではやらない。メモ系の記録はEvernoteを使ってクラウドでSyncする。SSHターミナルもある。マインドマップもある。だいたいはこれでOKということになった。そこに至るまで試行錯誤しながら約4週間。結構時間がかかった。


作業を進めていくうちに、最終的なユビキティを確保する必要に迫られた。モバイルWiFiルータが各社から出てきたので、結局はNTTドコモのDWR-PGにした。

これでだいたいは環境ができ上がった。今一番悩みなのは、Flash動画の問題だ。TEDの翻訳をやっているが、翻訳サイトdotSUBの動画を直接見られないのが痛い。早くなんとかなって欲しいものだ。

同じことはネットブックでもできるのではないか? おそらくできる「はず」なのだが、何かが違う。画面の大きさなのか、すぐに起動して使えることなのか、ものすごくハンディでバッテリを気にしないでいいことなのか、まだよくわからないが、何かが大きく違う。iPadは単にデカくなったiPhoneだ、という声が聞こえるが、そう言っている人々は決定的な勘違いをしているように思える。

実利的なことよりもむしろ、「これだけ」でやる、という、ある種メンタルなものが影響しているように思える。iPadの環境はシングルタスクにフォーカスするのに向いている。そこのところが一番効くのかも知れない。

マウスがないことも、おそらくなにかと関係していると思う。クーリエジャポンに記事にあったが、iPadを使っている人は、見ているページにとどまる時間がPCの時よりもはるかに長いらしい。マウスがないのであまりクリックしないということかもしれないが、それによってユーザーはページをじっくりと読むことになる。そのメンタルなフォーカスの仕方がPCとは違う、というのは自分でも体感し、実感している。

多分これが、これからの、少なくともネット系のITに関わる人間の普通の生きかたになる予感がある。今から3年後、ITの業界で、まだノートパソコンを持ち歩いているようなワークスタイルは、かなりまずい、ということになるのかもしれない。

デバイスの強烈な個性と利便性が、クラウドへ向けての一線をついに超えさせ、自分のPCライフはまったく変わってしまった。それくらいiPadのインパクトは大きい。

土曜日, 7月 10, 2010

公務中の覆面パトカー

これが功績なら、それは家内のものである。近くの道をGoogle street viewで見ようとして間違ってクリックした沖縄高速道路に、公務中の覆面パトカーが写っていた。後部トランクが開いているのは、別のクルーがvictim?の後方で三画反射板を立てに行っているから。


この銀色の車は前から見覚えがあって、前は白い色をしていたのではないか?、と思っているが、確認する機会がない。(10年以上前なので、考えすぎだろうか?)これからも確認の機会は来なくてもいいと思っている。

お仕事ご苦労様です。

日曜日, 6月 13, 2010

東京国立博物館のおみやげ:八橋蒔絵螺鈿硯箱の缶

久しぶりに面白い土産を買った。

東京国立博物館で売っていたクッキー缶。同館が所蔵する尾形光琳作の八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)を模してある。とてもチャーミング。













 買うと入れてくれた袋には、酒井抱一の屏風絵がプリントされていた。これは光琳の風神雷神図屏風の裏に描かれていた(現在は分離して別々になっている)もののはず。














いい気分だ。

ところで、国立博物館には下の写真の、俵屋宗達の「狗図」の一筆箋があったと思うのだが、店の人は知らないという。私はこれをどこで入手したのだろうか。どなたかご存知の方があれば、お教えください。




Lamy 2000の自己崩壊?と修理

Lamy 2000の4色ボールペンを愛用している。過去に二度水没していて、そのたびに買い替えている。このボールペンは水没させると一発でダメになる。乾かしてもダメ。ペンを持つ方向(重力の方向)で出てくる芯を切り替えるメカニズムが内蔵されていると思うが、水没するとどうもそれがいかれるようだ。とにかく一発でダメになります。
今のは三代目。買うたびに安くなっている。













が、今回はちょっと驚いた。ボールペンの芯を出したままパソコンをいじっていたら(よくあることだろう。これは)、マウスを操作している指に突然なにかがぶつかった。「?」と思って見たら、それはこのLamy 2000の終端に着いていたノックボタンだった。Lamy 2000が突然、自己?崩壊したのだ。

ノック部分のメカニズムがスプリングの力で全部飛び出したようだった。こんなことは初めてだ。












ネット通販で購入したものだが、購入店にメールして相談し、見てもらうことになった。物件を送るとメーカー無償修理になり、3週間ほどで戻ってきて、いまは健全に動作している。

驚きの一件であった。

日曜日, 5月 02, 2010

定時にpodcastを更新する

メモ:

Applescriptを書く:
updatePodcasts.scpt
====
tell application "iTunes"
    activate
    updateAllPodcasts
end tell
====

cronに登録する:
$ crontab -e
02    04    *    *    *    osascript /Users/sheemer/Documents/updatePodcasts.scpt


これだけ。crontabは/usr/lib/cron/tabs/<ユーザー名>に記述される。

参考リンク:
 Mac OS Xで、タスクをスケジューリングする。(crontabによるタスク起動)|BAMBOoのAppleでMacなiPhone徒然草
もろもろメモ:crontab
OSX 10.5 Leopardでcronを使う - 偏った言語信者の垂れ流し

木曜日, 4月 29, 2010

「欧亜純白」大沢在昌

「欧亜純白」大沢在昌
北海道ラジオ番組に「日高晤郎ショー」というのがあるらしい。毎週土曜日朝8時から17時という長丁場の番組らしい。これ全体を聞けるわけではないのだが、その中の「語源・雑学」「私の本棚」という二つのコーナーがpodcastで配信されている。これが好きでいつも聞いている。そこで「非常に面白い。星4.7」として紹介されていたのがこの本だった。買って読んでみた。


上下巻1112ページを一気読みした。最近では珍しいことだった。世界規模の麻薬取引のネットワークに関するハードボイルド小説だが、舞台建てのスケール感・リアル感が面白く読み進められた理由だと思う。


Misha GlennyのTEDTalk「Misha Glenny investigates global crime networks」を日本語訳したのだが、その時にこの世界の全体的な枠組みについて知ることができた。それがストーリーになって再び立ち現れた、という感じがした。
ラストがやや薄味?なのかもしれないが、十分に楽しめた。これが単に楽しみで終われることを望みたい。

土曜日, 4月 24, 2010

NHK「神々の森へのいざない 春日大社 悠久の杜」

白洲正子の著作に「お能の見方」という本がある。その中の「お能の見方」のところに、以下の文章がある:

むかし、奈良の春日大社で、「おんまつり」という行事を見たことがあります。
十二月なかばの、ことさら寒い晩でした。真夜中に、御神体が、神社からお旅所へ遷される。灯ひとつない神殿のあたりは、ひっそりとして、人と灯籠の区別さえつきません。何が始まるのかーーあまりの静けさに叫び出したい衝動をこらえていると、突然闇をつんざいて、楽の音が湧き起りました。
と、本殿と覚しきあたりから、夜目にも白くふわふわとしたものが降りてきます。「絹垣」とそれがよばれるとは、あとから知ったことですが、白い布でくるんだかこいの中に、人の目に触れることのない何物かが入っている。やがて、松明がともされ、神主にかこまれた御神体は、陰にこもった警蹕(けいひつ)の声を先立てて山を降り始めました。
行く手には、盛んな焚火が燃え、行列は、炎の上を渡って行く。見渡すかぎり火の流れです。森をすぎ、野原をあとに、無言のうちにお旅所についた絹垣は、そのままするすると仮屋のうちに消え、その夜は朝まで神前の芝生の上で祝詞と神楽があげられました。

昨日のNHK、BS-hiの番組「神々の森へのいざない 春日大社 悠久の杜」で、まさしくこの行事「遷幸之儀」をやっていた。映像記録されたのは初めてと聞いた気がするが、するとこれは1957年に白洲さんが書いてから53年目にして明らかにされたことになる。

私は前からこの文章が好きで、文章だけからはこの神渡りはもっと足早に行われるのかと思っていたが、実はゆっくりとしたものだった。木々の間から見える満天の星空と、それしか聞こえない楽の音と警蹕の声と、松明をたたいて作られる火の道がとても印象的で、素晴らしく美しい眺めだった。

それを、何十年かを隔てて、白州さんと一緒に観たような感じがして、とてもいい気分だった。

再放送があれば、ご覧あれ。一見の価値があります。

金曜日, 4月 16, 2010

Came back(戻り)

Okay, for those who need me, I'm back. I had terrible two weeks.


Some of you may know that My PC is a Dell mini 10v hackintosh, ie the 10v with MacOS X on it. Because it's a tweeked architecture we need precaution of updating the system. Very recently there emerged MacOS 10.6.3 update.  I being an conservative person did not go for it easily.  Actually I have no intention to update for some time. But there came the time. I had a new hard drive. Ok, it's new. Nothing to worry about. If something bad happens I can go back to my original hard drive.



Replacing HD of 10v is easy. Remove the battery and three screws under the bottom, flip it, and pull the keoboard off. Then there is the hard drive bay inside.  I replace it and installed MacOS 10.6 with NetbookMaker 0.84RC1. Of course it's OK. I ran NetbookInstaller 0.84RC1 and softoware-updated to 10.6.3.
For a while everything looked OK, but after a while there came some abnormalities such as the sound module not coming up, bluetooth is out, etc. And finally the system froze suddenly without any error log message. It's a trouble, apparently.
I re-installed the system several times, and again it looked somewhat OK. I used it for a week, enough time to depend everything on it, and came to Tokyo for business. Then it froze again at the hotel at Hanzomon, where the cherry trees are in full bloom. There was no way to reboot it. I was in a stunningly beautiful scenery with a PC that does not boot.







I had a suspicion. On the standpoint of the software, it's quite curious that there was no error log. May be this new hard drive is defective.
It's Tokyo out there and there is a town named Akihabara in Tokyo, the mecca of PC parts and Otaku culture. I went there, got a new hard drive and ate tonkatsu at the famous Marugo. I flew back home and replaced the hard drive and re-installed it with my former configuration of MacOS 10.6.2, which has been sweet and smooth. I re-installeld all my Documents and applications, and adjusted everything cluttered on it over this week as well as the things I might have lost. Now I'm fully alive back again. Uggh..

ひどい2週間だった。私のPCはDell mini 10vのHackintoshなのだが、こういうちょっとかわったアーキテクチャーでは、アップデートにすぐに飛びつかないのが肝要である。最近MacOS 10.6.3アップデートが出たのだが、それにもすぐには対応しなかった。少し様子見、のつもりが、ひょんなことで新しい、大容量ハードディスクが入手できた。新品のHDか。これならいいんじゃないの。トラブったら元のに戻せばいいし。ということで挑戦。
HDの入れ替えは簡単で、裏のねじを3本外してキーボードを取り外すだけである。入れ替えたHDに10.6を入れ、NetbookInstaller 0.84RC1でパッチを当ててから10.6.3にソフトウェア・アップデートした。
最初は普通に動いていたように見えたが、そのうちに変なことが起き始めた。音が出ない、とかBluetoothを認識しない、などなど。そしてついに、ログメッセージも出さずに突然クラッシュした。やばい。

いろいろやって再度インストールして、今度は良さそうに見えた。それで1週間がたった。それくらいたつとだいたいそのシステムに依存してしまう。そして上京。そのPCは、桜が満開の半蔵門のホテルでクラッシュした。起動不能。息を呑むくらい美しい風景と、起動しないPC。。
ログもはかずに止まるのは、なにやらハードウェア障害っぽい。このHDのせいか?、と疑いを持つ。ここは東京。PCパーツとヲタクカルチャーの秋葉がある。
そこでHDを買い、お約束の丸五でトンカツを食べ、自宅に取って返すとHDの再換装、いろいろ試した末に結局もとのNBI0.83、MacOS 10.6.2環境に戻した。これは安定している。ここ1週間でたまったものや、失いそうになったものをいろいろと再調整した。やれやれ。。

土曜日, 3月 27, 2010

ビデオ編集中











ようやくビデオの編集が出来るようになりました。まずはノンリニア編集できるようにパソコンのデータとして取り込んでいます。











HDVビデオテープが11本、DVCAMビデオテープが4本あります。今回は音響の調整がかなり難しかったので、その影響で記録の音量もかなりばらついています。調整がすんだものから順次アップロードしていく予定です。

金曜日, 3月 26, 2010

上京:意外な発見


久しぶりに上京。ちょっと通路で地図を確認してたら、まったく人がいなくなった。空港ってのはこういうところなんだ、と初めて知った。


長谷川等伯と川喜田半泥子を観に行ったが、それ以外の時間は全く何もしなかった。というより、一日ずっと国立西洋美術館にいた。しかも特別展にも常設にも入らず、ただそこで図録を読んで過ごした。上京してこういう過ごし方をしたのもまた初めてのこと。


さらには、今回、帰路に初めて、浜松町から富士山が見えているのに気づいた。建物の間からとぎれとぎれではあるが、結構大きく見えた。江戸の浮世絵に品川やあちこちから富士山が描かれているが、それを初めて実感した。(写真は帰りの機内からiPhoneにて)

ということで、意外なことをたくさん発見した東京行きであった。たまにはこういうのもいいか。

木曜日, 3月 11, 2010

岩手県遠野市より

岩手県遠野市から小包が届いた。懇意にさせていただいている方からで、今年は遠野物語出版100年だそうな。遠野に関係した本3冊と1月1日付の遠野の新聞をいただいた。うれしいものです。ありがとうございます。隅から隅まで読んでいるところ。

月曜日, 3月 01, 2010

TEDxRyukyu終了

こっちにもリンクをしておこう。2010年2月20日にTEDxRyukyuを行いました。そちらに関するオーガナイザーとしての私のblogはこちら

火曜日, 1月 05, 2010

Dell mini 10v: 2GB memory



結局のところメモリは多いほどいいですね。やはり。



参考URLはこちら:分解および再組み立て

ついでにbootable copyとして作っておいたバックアップ用HD、320GBに入れ替えてみた。Bootできるか?と期待したがだめで、こちらのHDにはもう一度Snow Leopardをインストールすることになった。


これは今後結構問題で、HDの入れ替えのたびに新規でOSをインストールし直さなくてはならない。さてどうしたものか。。どうもボディの隅にSDカードスロットが見えるのだが。。