月曜日, 6月 06, 2016

(なんと!)「幼年期の終わり」のテレビドラマ化

まさか「幼年期の終わり」が映像化されるとは思ってもみなかった。テクニカルにどれだけ映像技術が進歩しても、キリスト教圏の人はあのストーリーラインを理解できず、物語れないだろうと思った。



原作についてここでは多くは語らないが、SF界の(またはその枠を取り払っても)金字塔・傑作と言える。知的生命の概念を変えるような世界観で、科学と、宗教と、自然への畏怖の中間点から全宇宙、全存在を俯瞰するような話だ。読んだ者は、その世界観に影響を受けずにはいられないだろう。

映像技術の壁とはまったく別の観点で、これを映像化するのは困難だろうと思っていたが、ついに作られた。SF系テレビシリーズ、2時間x3話にまとめられたのである。
大丈夫なのか?、と心配したが、キャラクターは変更されつつも、ストーリーの骨格は原著をきちんと踏襲しており、意外なくらいに出来がよかった。一見の価値があるが、作品の雰囲気は少なくとも「受け狙い」の要素がまったくないので、万人にエンターティメントとして受け入れられるかどうかはわからない。が、幼年期の終わりを読んだことがある人は、率直に観て楽しめると思う。
少なくとも今風ハリウッド映画の常套手段、コミックスやSFのお手軽VFX映画という茶番はうまく切り抜けていて、全体としてあのストーリーラインを、ほぼ傷つけることなく映像化できただけで幸運なのだと思う。まあとにかく、好きな人なら、観て損はありませんよ。

これはテレビドラマなわけだが、もうこれで十分。ちょっと薄味ではあるが、少なくともあの原作をここまで持ってくれば、85点はあげてもいいくらいだ。
が、もしもこれをさらに良くしようとするならば、ストーリーの持つ静かな諦観を維持したまま、エネルギーを増幅するようなリメイクしかないだろう。それ以上余計なことをしたら逆効果になるだけだ。そういう幸運なリメイクがもし出来れば、それは見てみたい気がする。

まあ、ともかくも、ひどい作品にならなかっただけでも慶事だ。

ごらんになる方は、おそらく、先に原作を読んだ方がいいだろう。多分その方が、一段と深い理解と感慨を得られると思う。

日曜日, 6月 05, 2016

映画「しあわせのパン」

映画「しあわせのパン」主演:原田知世・大泉洋、監督:三島由紀子。北海道・有珠岳の近く、月浦のカフェで起こる物語。

このカフェは実在していて、月浦という地名から場所を割合簡単に見つけ出すことが出来る。そこから見える風景の映像にまず魅了される。緩やかな丘と、その向こうの湖に浮かぶ緑の山。こんな組み合わせがあるのかというファンタジックな景色。それをさらにカフェの窓越しに見ると、あまりのアンリアルさにまるでマグリットの絵のように感じられる。秋から冬に変わるところの、空と雪の映像のスイッチのしかたもとてもスマートで不思議だ。



その現実と非現実の中間のような世界で繰り広げられる、これもまたアンリアルなストーリーと映像表現。
童話的・牧歌的な世界観とストーリーの中にある、何かの真実を描こうとしているのだが、残念なことに、現代日本映画的に、どこかで何かのピースが一つ、欠けている。
映像表現のアンリアルさは、佐々木昭一郎的なものさえ感じさせるが、佐々木の映像世界にはある、現実とファンタジーをつないでいる何かの要素が、ここには欠けている。
ティム・バートン的にまったく何とも繋がらない世界でこのストーリーを描くのもありだが、そこのところがどっちつかずになっている。本作に限らず、現代日本映画が抱える、根本的な何かの欠如かもしれないと思う。

とはいえ、景色は本当に素晴らしく、原田知世の不思議な魅力と、探偵よりこういう役柄をやっている方がずっとさまになる大泉洋がいい雰囲気を醸し出している。

要所であるべき音楽が鳴る(あがた森魚がアコーディオンを弾くのだ)以外は、余計な効果音はなく、最後に矢野顕子+忌野清志郎の「ひとつだけ」が鳴り出すと、心を掴まれる。聞くところによれば監督はこの曲から脚本を書いたそうで、当然、そこにぴったりはまっている。

景色と、原田知世と、矢野+清志郎の歌と、何かの真実で見せる映画だ。まったく何も起きないのに不思議と何度も見たくなる「マザーウォーター」ほどではないかも知れないが、ときどき観かえしたい映画になると思う。