20090905、てだこホールにて。知人の紹介で見てきた。実を言うと20代の女性ボーカリストのワンマンライブなど、ほとんど聞いたことがない。とても興味があった。
ライブはややぎこちなく始まった。バックはキーボード、ベース、ドラム、ギターが二つ。ドラムのPA処理がハードロック風というのかどーん、と響き渡る感じで、ホール&オーツ風とでも言うか、そんな感じだった。もうちっとコンパクトなPA処理にしたら、ボーカルがより映えるのではないかと思った。ドラマーはディアマンテスの人だそうで、ラテンバンドでやっていらっしゃるのが不思議なくらい後ろノリの人に感じられた。(PAのせいかもしれないが。)
そのうちに小さなドラムセット、アコベとギターのセットになり、ドラマーはまたカホンらしいものをたたいたりして、少し変わった雰囲気の曲をやったが、それで全体がぐっとよくなった。音楽はこれくらいコンパクトかつひねてなくちゃね、といういい感じだった。
このあたりからいい感じになっていく。
それから、本人が普段良くやっているというピアノ弾き語り。これがさすがに本領発揮といおう感じで、いい声が、キーボードの音域音質とよく合っていた。
戻って元のバンドセットになったが、突然みんな良くなった。吹っ切れたようなボーカル、バンドの一体感。ハンドクラップで全員立ち上がっているせいか、とてもいい感じになっった。そのまま終わってアンコールが一曲。
楽しい晩だった。
そして、どうも私はある一般論に気づいたらしい。
これはしおりさんのどうこうということではなく一般論であることを明言しておく。
簡単に言ってしまえば20代の小娘のライブから何が伝わってくるのか、と興味を持っていた。そうして気づいたのは、ここにある関係性が「あなた」と「わたし」、「きみ」と「ぼく」という形で完結していることだった。それ以外はない。
おそらく今のこれくらいの世代の歌のほとんどがそいういう関係性にまとめられるのではないかと思う。だからこれを一般論と言っておく。
「わたし」が「あなた」に思うこと、伝えたいこと。そこで世界が完結している。この関係性は世界の、他のどことも繋がっていない。今風の音使いで、音は羽ばたいて聞こえるが、つまるところは、その関係性以外の世界が見えてこないのだ。「きみ」と「僕」の関係は、どう、外の世界と、この日本と、世界と繋がっているのか?
背伸びをしてでもそういう世界に触れてみるのか、あるいは、それなりに年を経るにつれて、自然にそういうものに触れつつ「円熟」していくのか、そのあたりでどこか他と繋がるかどうかで、若いミュージシャンはその先の可能性や展開が変わってくるのだろうと思った。
しおりさんがこれからも伸びていけますように。