月曜日, 12月 24, 2007
畠山記念館秋季展「茶の湯の美 -利休から宗旦へ-」
畠山記念館では以前に本阿弥光悦の「雪峯」と、紀貫之の高野切を見たことがあり、好きな場所の一つである。
先日まで開催されていたタイトルの展覧会では、初代長次郎の赤楽「早船」と、利休所持の熊川茶碗、信楽の水指が特に興味深かった。
早船はその継がれた姿も含めて、あの自由なアーティスト光悦の雪峯を連想してしまうが、他方では非常にプリミティブな形でもある。一つのものの中にあるそれらの隔たりに、長次郎その人の中の不思議を見た気がした。
熊川茶碗は、なんの飾り気もないありきたりの形ともいえるが、使い込まれた侘びた姿が、ありきたりの形ゆえによりいっそう強調されているようで、そういうところに美を見る利休の美意識をあらためて思い知らされるようだった。
信楽の水指も、土そのものを焼いただけ、という姿がシンプルなのか、ぶっきらぼうなのか、深い考えのあってのことなのか、そんなことをいろいろと考えさせられるが、実は考えているのは単にこちら側だけであって、モノは単にモノなのだ、それを見つけ、見立てて使う側の意識が反映するのだ、とそれをまたモノに教えられている気がした。
御薄を一服所望。これも、そこそこ見どころのある茶碗で出てくるところが嬉しい。
次は4月頃から琳派だそうである。これも見られると嬉しいのだが、それはまだわからない。