少し長目に引用する:
物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る
私の好きな歌の一つであるが、これは保昌に捨てられた時、貴船の明神に詣で、御手洗に蛍が飛ぶのを見て詠んだ歌といわれている。小野小町と並んで、平安時代の女流歌人の双璧とみても異存はあるまい。やがて彼女も伝説の人物と化し、日本中の至るところに足跡を止めるようになって行く。それについては柳田国男氏の和泉式部研究にくわしいが、ここにあげた二、三の歌を見ても、常にあの世とこの世の中間をさまよう女であり、それが夢現の恋の陶酔と重なって、妖しい雰囲気をかもし出す。小野小町と和泉式部には、たしかに共通する何かがある。それを仮に巫女的な吸引力と名づけてもいいが、その放心的な魅力が男心をとらえ、ひいては民衆に強い印象を与えたのであろう。
これを読むと、なるほど白洲が能を修練していたことと符合する気がする。能は多くの場合、夢と現の間をシテが往き来するモチーフで出来上がっていて、白洲の文章の根幹にそのモチーフが焼き込まれている感じがする。