Blogでレイアウトするのは結構むずかしいものだ。このページは後で書き換えるかも。
日が相前後するが、体験参禅の数日のあと、帰る前に北山方面を散策した。
トロッコで嵐山へ下り、友人達と京都市内を散策してから、宿泊場所の仁和寺御室会館へついた。
時刻は既に夕方で、日暮れまであちこち撮影した。
木々はほんのわずかに紅葉が始まっていた。逆光下での露出の実験のような状態だった。何かはよく知らない像も、手元の金色の光をいかに記録するか、という興味で何度も条件を変えて撮影した。
翌朝は勤行を見学する。見学者は一般非公開の、国宝の金堂を見ることができる。それが目当てである。
同じ御室会館に宿泊していたこの女性は、すっくと立って歩いて来て、きちんとした作法で護摩を焚き、金堂を見学した後に写真をいくらか撮って行かれた。このあたりでは旅行者としては一般的なジーンズでもなく、すっきりとした姿ですっきりとしていられて、やたらと格好よかった。暫く眼が離れませんでした。はい。
まだ朝早く、朝食の時間まで、ふたたび露出を気にしながらあちこち撮影しつつ過ごした。朝の光だと2EVマイナスくらいが、視覚の印象と似ているな、と思った。
仁和寺の御殿に入った。宿泊者はここは無料で見られる。開館してすぐなので、まだ人は殆どいなかった。
中はまさしく平安の御殿で、このような廊下を宮廷人達が行き来したのだろうと、リアルに思うことができた。
仁和寺を出て59番のバスに乗って龍安寺方面に向かった。なぜか龍安寺は今回はスキップしたくなって、金ぴかの金閣寺を見たいと思った。高校時代にここには来たのだと思うが、なぜか金ぴかだったのを覚えていない。そのありさまを一度は見てみたいと思った。
10時ころに着いたとおもうが、中は既に観光客で一杯だった。堪え難い喧噪。写真を数枚撮って、10分もしないで入口側から退散した。
再び59番のバスに乗り、千本北大路で6番線に乗り換えて鷹峯方面へ向かった。行き先は光悦寺。
桃山から江戸初期のユニークなクリエイター、本阿弥光悦はこのあたりに居住していた(というより家康からそう命じられた。)
茶の美を愛でるものとしてはこの人を敬わないわけにはいかない。白洲正子氏の住んでいた武相荘を訪れた如くに、ここも一度は来てみたい場所だった。
既に喧噪の世界と化している京都市内では感じることのできない、いにしえもそうであっただろう閑静さを、ここで初めて感じることができた。風にそよぐ木々の音、どこかしたの法から聞こえてくる小川のせせらぎ。来てよかった。
光悦垣の辺りの楓はわずかに色づき始めていた。
鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰のうち、これは鷲ヶ峰。
手前が光悦垣。
ここで暫くを過ごし、その時読んでいたのは源氏物語である(与謝野晶子訳)。あまりにハマりすぎていて少し気恥ずかしくはあるが、ここに来る前、禅寺に行く前から読んでいて、これしか持って来ていなかったのだから仕方がない。とはいうものの実に豊かな時間になった。
光悦寺を出てまた6番線に乗り千本北大路に戻り、101番線に乗り換えて大徳寺へ行った。門前に味噌松風の店があったようだが、何となく通り過ぎた。
東側から龍源院に入る。すぐ前に入った人が、きちんと整えられた砂の上に解説書を落とす。。連絡でお坊さんが回収に来た。
井戸のようだ。
龍源院を出て、北側の高桐院へ入った。入口から中は楓のトンネルのようになっている。光に透けた青楓がとても美しかった。
建物には、利休の書院が移築されている。ごく当たり前の六畳と八畳の居室である。
高桐院を出て大徳寺を北に抜けると今宮神社がある。ここの名物はあぶり餅である。一皿500円を楽しみながら、北山行の終りとなった。この後京都駅から関西空港へ発った。