i-morleyがポッドキャストを終了した。3年くらい続いたのだっただろうか。一応「夏休み」ということになっていて、その間は執筆などをするとのこと。9月になって復活する、とは聞いているが、実際はどうなるかわからない。その時の状況で変わるものと思っている。
Podcastというものに関心を持ったのは2004年から2005年頃だったと思う。RSSによるwebコンテンツの擬似的なpush配信(実際はRSSクライアントがRSSサマリを取りに行っているわけだが)の方法が前面に出て来て、音声コンテンツ、ビデオコンテンツの配信のあり方にも眼がいったころのことだ。
そのころからpodcsastをGoogleで探すと、i-morleyはかなり簡単に見つかる方だった。まだiTunesがpodcast RSSに対応していなかったのでiPodderを通じてコンテンツを取得していたと思う。
当時podcastは、特に日本ではまだ始まったばかりで、玉石混淆、有象無象あらゆるコンテンツが同じ土俵で対等に勝負をしていた。私のようなユーザーの観点からすると、まず落ちるのが「つぶやき系」で、日々のヨシナシゴトをだらだらとしゃべっているやつだった。こういうコンテンツはまた、高率に「あー」や「ええと」や「うー」や、そういう「しゃべり慣れない」人に特有の言葉が交じっていて、場合によってはそれが全配信時間の半分位を占めているようなものがたくさんあった。そのへんがまず、音声コンテンツの品質、というれべるでばっさりと落ちた。あとは録音技術とコンテンツのバランスで、録音はひどくても聴く価値のあるものは聴いているし、放送局で録音したような品質であっても、中身がすっからかんのやつは落ちるようになった。
その中でもi-morleyはダントツに面白かった。モーリーロバートソンという人の話し方の面白さ、言葉の紡ぎだし方のオリジナリティが、とてもよく現代を表しているように思った。またネスティングが正しい、というのか、話がどこかに展開して行くと、どこまでも行ってしまうようにみえてちゃんと元に戻ってくる、そういう頭の良さ、明晰さを感じた。
あとは、彼の過ごして来た道のせいなのか、世界の多方面を多面的に見ることのできる視点に強く惹かれた。まあ銀座の真ん中でベルギー産の高級チョコレートを食べながら、その生産国の労働者の搾取について語るようなあり方そのものが、この社会を体現しているような感じがして、ある種の共感をもったのだ。これは我々の立っている場所の正しい見方である。そのことの認識から始めないと、我々は世界を見誤るだろう、という警句のようなものを感じた。
様々な世界の矛盾を、自分(とは我々でもある)の立場の矛盾も巻き込んだ形で「伝える」ことをテーマとしているような番組で、面白く、というのか、自分のあり方についても日々考えるような感じで聴いていた。
私はほとんど彼のpodcastの一番最初近くから聴いている。最初は河野麻子さんが番組のパートナーであったが、そのうちに(レネ・ポレシュ演出「皆に知らせよ、ソイレントグリーンは人肉だと」の公演の取材の頃から相方が池田有希子さんに変わって、そのまま続いて来た。池田さんという人はバイリンガルで、話のノリがモーリー君とよく合うようだ。(ついでがあったので、わたしは「皆に知らせよ…」の公演も観に行った。)
そのi-morleyは昨年2月頃、チベットから新疆ウイグル自治区と、その後東南アジア(ベトナム・タイ・ミャンマー等)を旅し、Skypeなどを駆使して現地からpodcastを行った。(たまたま、私自身も、昨年夏は新疆ウイグル自治区に行った。)
そして、今年、北京オリンピックを前に起こったチベットでの争乱にi-morleyはどんどんコミットして行った。
その反動のようにして、いったんお休み、ということになったようだ。そして「ラストライブ」が行われた。
たまたま上京する用事の晩だった。どうみてもこれは縁だろう。ということでライブに参加した。
吉祥寺という場所に行くのは初めてだった。ちょっと早めについたので周辺をうろうろして時間をつぶした。たまたまみつけた古書店があり、愛知県陶磁資料館で行われた「茶の湯の美:五島美術館コレクション」の図録を買った。この図録は展示された陶器全ての断面図がついているのが面白いと思ったからだ。
時間になって入った。
彼はサージシンセサイザーというアナログシンセを使っていた。70年代に開発されたもので、彼が持っているのは90年代に特注したものだそうだ。それをCubeとよばれるデバイスでコントロールし、リアルタイムに音楽を作ってみせた。アナログシンセだというから、ビートはもともとプログラムしているのだろうと思うが、それにかぶさる「上もの」の音がCubeで変調されていく。普段番組のバックで鳴っている音がこうして作られているのだな、と、その音の良さとともに感心した。
ライブが終り、そのまま飲み会となった。モーリー君も最近は飲まないようにしていたというビールをすこし。
いろいろな裏話が聞けた。これからのプランについても。それらはいずれ明かされるだろう。楽しく過ごして、モーリー君とツーショットして、会場をあとにした。池田さんとは、お話しする間もなかったのが残念だった。
彼のような存在は貴重だ。今時なにひとつまともに情報を伝えない大マスコミとは全く違った視点からものごとを捉え、それを伝える。鈍りきった我々の頭では、まずはそのような視点があることの認識から始めないと、世界をうまく捉えられない。そういうメディアとして彼自身が果たしていた役割は大きいと思う。「もうそろそろ自分の頭で考えて」と彼は言うのだが、そういう「自分で考える人たち」が増えるには、まだまだ彼のような存在は貴重だと思う。
ということで、9月になったら、何が起きるのか、ウォッチして起きたいと思う。
過去のpodcastはまだ彼のサイトからたどれると思う。どなた様も聞いてご覧になることをお薦めしたい。
このような違和感の中に身を置くことも重要なことだと思う。