「沖縄県立博物館・美術館」で今日まで開催されている。先日田村邦子さんのpodcastで、パリ在住のアーティスト・幸地学さんが話しているのを聞いて知ったので観に行った。
クロアチアのトニー・ポリテオ氏が、スペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカを顕彰するために世界の現代美術アーティストに声をかけて実現したものだという。それを幸地氏が沖縄に誘致した。日本では沖縄で初めて公開されるものとのこと。
作品はどれも一級品である。とても見応えがある。どの絵(ほとんどはシルクスクリーン)もタイトルをもたない。すべて「ガルシア・ロルカ顕彰」ということなのだろう。
ただし、解説が作家に関するものだけで、それぞれの作品についての説明が全くないのは疑問に思った。別に絵の解釈はいらないのだが、絵の中に書かれているスペイン語その他の言葉について、なんと書いてあるかくらいは示してほしい。
不思議なことに、緑色を使っている作家が非常に少なかった。10人もいないのではないか。ロルカのイメージがそうさせるのか。
今回初めて入ったこの「博物館・美術館」のあり方にも少し疑問を感じた。
まずは常設展が別料金である。「50人展」のチケットでは常設に入れない。少々驚いた。
過去の記録を見ると、私はこれまでに少なくとも全国83カ所の美術館を訪れているようだが、常設が別料金のところはほとんどみたことがない。西洋美術館だろうが国立博物館だろうが、企画展のチケットを買えばそれで常設に入れる。
実のところ、たとえば常設そのものがすばらしい西洋美術館や富山県立近代美術館、常設そのもので展観が成り立つ五島美術館など、そのものがよほどすばらしいコレクションでなければ、常設は企画展の「ついで」である。人が「ついで」にお金を出すとは思われない。上述のようなすばらしいコレクションをもつところでさえ、常設だけの別料金の入館料は取っていない。企画展に含めて、「ついで」をきっかけに来館者を集めるくらいがましではないか。それともここは西洋美術館なみのコレクションを持っているのだろうか。最初に入らないことにはそれさえわからない。
建物そのものは…城塞の擁壁の様な建物である。擁壁は、本来人を拒否するものである。要塞の様なこの建物の外観にもそうした雰囲気が感じられる。(私が思い出したのは「未来少年コナン」の、レプカたちがいるインダストリアの要塞だった。)
そして、見終わって正面玄関をでた真正面、美術館の入口アーチの向こうに、まるでアーチと合わせたようにきっちりと左右対称なパチンコ屋の大伽藍がそびえている。ここにおいては美術は俗世と直結している。
美術館には、美術そのものの日常化(それには是も非も含まれる)とはちがった、非日常の中で美やそれと対峙する自分のあり方を捉え直す機会や場所となる役割があろうと思うのに、そのために必要な俗世とのある程度の距離が、ここでは保たれていない。
聞くところによると、この地は米軍の使用地であったころは谷の斜面だったそうである。その地形をそのままに活かして、特徴のある建物を建てれば、美術的でユニークなスペースとプレゼンテーションができたかも、と、当時を知る美術関係者と話をすることがある。なのに土地が戻って来てからまず行政がおこなったのは、それを真っ平らの平地にしてから、そこに要塞を作るという仕事だったと、彼らは嘆いている。
ひょっとしたら、香川の地中美術館のようなものができあがっていたかもしれない。