2003年10月にプライベートな会の折に京都へおもむき、土地の方の車で京都市内の店をいくつか回った。慣れない場所で、土地の人が一方通行をあちこち、するすると走るので、自分がどこにいるのか全くわからなくなった。
今回、そのうちのいくつかの店を偶然に発見した。
まずは烏丸四条で降りて、少し東に歩いてふと右を見たら「いちはら」と書いた看板が眼にとまった。「あ、あれは?」ということで行ってみると、案の定、箸・市原平兵衛商店であった。懐かしく中に入ると、当たり前ながら5年前と同じで、5年前と同じ、細くて弾力のある箸を買った。
店を出て戻ろうとして前を見ると、少し向こうに「錦」と書いてあるようである。やれやれ。。行ってみるとそこはまさしく錦市場。京都に詳しい人たちから聞いていた通り、西側から「大安」で牡蠣を食べ、「麸嘉」で麩まんじゅうを買い、「兼松」で野菜膳をいただき…という流れに相成った。
次の日は朝から歩いて鴨川ベリを北上し、荒神口通りあたりから御苑の中へ入り、東のヘリあたりを南下しながら歩いて行くと、そのまま寺町通になった。ホテルへ向けてさらに歩いていると、黒っぽい家が見えた。なにか見覚えのある看板もある。一保堂茶舗であった。まだ開いていないので、買い物はあとから。
午前の時間になって、自転車をレンタルし、源氏物語に関連した展観を行っているという京都府文化博物館へ向かった。到着したのが開館15分前であった。しかたなく周囲を散策していたら、茶道具屋があった。中に入って眺めているとご主人が顔を出された。ご挨拶し、言葉を交わしていると、ご主人は沖縄に3年前に来られて、茶釜の講演をされた、とのこと。「もしかして??」あらためてお顔を拝見すると、ああそうでした。六代釜彦、佐々木彦兵衛さんその人でした。奇遇に驚き、話がはずみ、気がついたら1時間以上たっていた。面白いことであった。
この日は博物館には行かず、寺町通りの大書堂で錦絵を一枚求め、午後からは連日の仕事に突入した。
帰りの日にあらためて京都府文化博物館を訪れた。とんでもなく混んでいたが、こういうときはじっと並ぶに限る。源氏物語に関連して集められたものたちはどれも興味深いもので、よい展観であった。
緑のきれいなこの時期の京都はとてもよい感じであった。今回は烏丸御池から四条河原町のあいだを歩き回ることになったのだが、このエリアでも京都らしい、微細で上品な美があちこちに見つかる。美しいものたちを「欲しいな」と思って手を出し始めると、あとはいくらでも散財しそうだった。
そう思って歩いていると、これもまた3年前を思い出す風景が現れた。「宮脇賣扇庵」と扁額に書いてある。なつかしや。
3年前に方角もわからず連れて行かれた場所はこれでほとんど見つかった。行かなかったのは染司吉岡(これはもうどこだかわかっている)と精課堂だったが、後で地図を見ると精課堂さんは一保堂のすぐちかくで、歩いていて見落としたらしい。そういえばここは道が微妙に曲がっている先にあって、信号を渡るのにちょっとイレギュラーなことをした場所であった。それで注意が向かなかったのかもしれない。
やれやれ。
あまり時間がなく、街中を歩く以外にはあまり行動しなかった旅行だが、おもしろいことはいくらも起きた旅であった。