土曜日, 5月 31, 2008

京都

2003年10月にプライベートな会の折に京都へおもむき、土地の方の車で京都市内の店をいくつか回った。慣れない場所で、土地の人が一方通行をあちこち、するすると走るので、自分がどこにいるのか全くわからなくなった。
今回、そのうちのいくつかの店を偶然に発見した。

まずは烏丸四条で降りて、少し東に歩いてふと右を見たら「いちはら」と書いた看板が眼にとまった。「あ、あれは?」ということで行ってみると、案の定、箸・市原平兵衛商店であった。懐かしく中に入ると、当たり前ながら5年前と同じで、5年前と同じ、細くて弾力のある箸を買った。

店を出て戻ろうとして前を見ると、少し向こうに「錦」と書いてあるようである。やれやれ。。行ってみるとそこはまさしく錦市場。京都に詳しい人たちから聞いていた通り、西側から「大安」で牡蠣を食べ、「麸嘉」で麩まんじゅうを買い、「兼松」で野菜膳をいただき…という流れに相成った。


次の日は朝から歩いて鴨川ベリを北上し、荒神口通りあたりから御苑の中へ入り、東のヘリあたりを南下しながら歩いて行くと、そのまま寺町通になった。ホテルへ向けてさらに歩いていると、黒っぽい家が見えた。なにか見覚えのある看板もある。一保堂茶舗であった。まだ開いていないので、買い物はあとから。



午前の時間になって、自転車をレンタルし、源氏物語に関連した展観を行っているという京都府文化博物館へ向かった。到着したのが開館15分前であった。しかたなく周囲を散策していたら、茶道具屋があった。中に入って眺めているとご主人が顔を出された。ご挨拶し、言葉を交わしていると、ご主人は沖縄に3年前に来られて、茶釜の講演をされた、とのこと。「もしかして??」あらためてお顔を拝見すると、ああそうでした。六代釜彦、佐々木彦兵衛さんその人でした。奇遇に驚き、話がはずみ、気がついたら1時間以上たっていた。面白いことであった。
この日は博物館には行かず、寺町通りの大書堂で錦絵を一枚求め、午後からは連日の仕事に突入した。

帰りの日にあらためて京都府文化博物館を訪れた。とんでもなく混んでいたが、こういうときはじっと並ぶに限る。源氏物語に関連して集められたものたちはどれも興味深いもので、よい展観であった。



緑のきれいなこの時期の京都はとてもよい感じであった。今回は烏丸御池から四条河原町のあいだを歩き回ることになったのだが、このエリアでも京都らしい、微細で上品な美があちこちに見つかる。美しいものたちを「欲しいな」と思って手を出し始めると、あとはいくらでも散財しそうだった。
そう思って歩いていると、これもまた3年前を思い出す風景が現れた。「宮脇賣扇庵」と扁額に書いてある。なつかしや。

3年前に方角もわからず連れて行かれた場所はこれでほとんど見つかった。行かなかったのは染司吉岡(これはもうどこだかわかっている)と精課堂だったが、後で地図を見ると精課堂さんは一保堂のすぐちかくで、歩いていて見落としたらしい。そういえばここは道が微妙に曲がっている先にあって、信号を渡るのにちょっとイレギュラーなことをした場所であった。それで注意が向かなかったのかもしれない。
やれやれ。

あまり時間がなく、街中を歩く以外にはあまり行動しなかった旅行だが、おもしろいことはいくらも起きた旅であった。

土曜日, 5月 17, 2008

金曜日, 5月 16, 2008

きくちゆみさんの東京FM出演Podcast

きくちゆみさんのこのポッドキャストは、グローバリズムの現在の平和を考えるのに、参考になるものをいろいろ含んでいると思う。ご一聴をお薦めしたい。

火曜日, 5月 13, 2008

映画「モンドヴィーノ」



「モンドヴィーノ」興味深い記録映画をテレビで観た。2004作、ジョナサン・ノシター監督。監督本人がソムリエだそうだ。
始めを少しだけ見過ごしたようだが、アメリカの巨大資本ワイン醸造業者、ロベール・モンダヴィのフランス進出計画が頓挫したところから見始めた。フランス、ボルドーへの進出は、市長交代劇を伴った(共産党市長が生まれた)地域での反対により頓挫した。
その後、ルポルタージュは世界各地を周り、最後にそのモンダヴィが、イタリアへの進出を決めたところで終りとなる。

背景にあるのは「ワインのグローバリゼーション」だ。モンダヴィをメインプレイヤーとするカリフォルニア風の濃いワインが巨大資本を元に世界各地に進出し、テロワール(その土地の風土)を無視した、「どこで作っても同じ」濃くて凝縮された赤ワインの製造を行っている。そこではミシェル・ロランのラボが世界の各地で濃いワインの生産方法を指導しており、また点数制のワイン評価で「カースト制と貴族支配のワインの世界へアメリカの民主主義を導入した」というロバート・パーカーが評価の形成に大きな力を発揮している、と。
早飲みワインと熟成型ワインの対立でもある
モンダヴィ一族、ロラン、パーカーらと並んで、世界各地の個性的な作り手がインタビューに答えている。個性派はそれぞれが哲学者であり、さまざまな文化に造詣が深い。「偉大なワインを造るのは詩人の仕事だ。」と彼らは言う。

ワインの世界を、自分では普段はあまり見ない視点から表現していたのが興味深かった。よくはわからないが、新世界ワインよりもフランスのワインに面白みを感じている自分自身の好みの偏向の理由を外側から指摘されたようで「なるほどな」と思ったものだ。

日曜日, 5月 11, 2008

「世界の現代アーティスト50人展−ガルシア・ロルカを顕彰して−」沖縄県立博物館・美術館

沖縄県立博物館・美術館」で今日まで開催されている。先日田村邦子さんのpodcastで、パリ在住のアーティスト・幸地学さんが話しているのを聞いて知ったので観に行った。

クロアチアのトニー・ポリテオ氏が、スペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカを顕彰するために世界の現代美術アーティストに声をかけて実現したものだという。それを幸地氏が沖縄に誘致した。日本では沖縄で初めて公開されるものとのこと。
作品はどれも一級品である。とても見応えがある。どの絵(ほとんどはシルクスクリーン)もタイトルをもたない。すべて「ガルシア・ロルカ顕彰」ということなのだろう。
ただし、解説が作家に関するものだけで、それぞれの作品についての説明が全くないのは疑問に思った。別に絵の解釈はいらないのだが、絵の中に書かれているスペイン語その他の言葉について、なんと書いてあるかくらいは示してほしい。
不思議なことに、緑色を使っている作家が非常に少なかった。10人もいないのではないか。ロルカのイメージがそうさせるのか。

今回初めて入ったこの「博物館・美術館」のあり方にも少し疑問を感じた。
まずは常設展が別料金である。「50人展」のチケットでは常設に入れない。少々驚いた。
過去の記録を見ると、私はこれまでに少なくとも全国83カ所の美術館を訪れているようだが、常設が別料金のところはほとんどみたことがない。西洋美術館だろうが国立博物館だろうが、企画展のチケットを買えばそれで常設に入れる。
実のところ、たとえば常設そのものがすばらしい西洋美術館や富山県立近代美術館、常設そのもので展観が成り立つ五島美術館など、そのものがよほどすばらしいコレクションでなければ、常設は企画展の「ついで」である。人が「ついで」にお金を出すとは思われない。上述のようなすばらしいコレクションをもつところでさえ、常設だけの別料金の入館料は取っていない。企画展に含めて、「ついで」をきっかけに来館者を集めるくらいがましではないか。それともここは西洋美術館なみのコレクションを持っているのだろうか。最初に入らないことにはそれさえわからない。

建物そのものは…城塞の擁壁の様な建物である。擁壁は、本来人を拒否するものである。要塞の様なこの建物の外観にもそうした雰囲気が感じられる。(私が思い出したのは「未来少年コナン」の、レプカたちがいるインダストリアの要塞だった。)

そして、見終わって正面玄関をでた真正面、美術館の入口アーチの向こうに、まるでアーチと合わせたようにきっちりと左右対称なパチンコ屋の大伽藍がそびえている。ここにおいては美術は俗世と直結している。
美術館には、美術そのものの日常化(それには是も非も含まれる)とはちがった、非日常の中で美やそれと対峙する自分のあり方を捉え直す機会や場所となる役割があろうと思うのに、そのために必要な俗世とのある程度の距離が、ここでは保たれていない。

聞くところによると、この地は米軍の使用地であったころは谷の斜面だったそうである。その地形をそのままに活かして、特徴のある建物を建てれば、美術的でユニークなスペースとプレゼンテーションができたかも、と、当時を知る美術関係者と話をすることがある。なのに土地が戻って来てからまず行政がおこなったのは、それを真っ平らの平地にしてから、そこに要塞を作るという仕事だったと、彼らは嘆いている。
ひょっとしたら、香川の地中美術館のようなものができあがっていたかもしれない。

木曜日, 5月 08, 2008

歌舞伎のこと

なにやかやで関東を中心に歌舞伎好きの知己がたくさんできた。それにつれてチャンスを見ては幕見するようになった。

現代における歌舞伎の面白みとはなにか。いつ感じるのか。

それは、綱渡りの危うさを見事にこなしている役者と、その作劇のありさまをライブで知ったときだと思う。
別に「宙乗り」の話をしているわけではない。では何の綱渡りか。

それは、現代と過去を行き来する綱渡りであり、現代演劇的要素と古典様式美を行き来する綱渡りのことである。最先端を疾走する役者たちは、それらの間を自由に行き来する。パフォーマーとしては、現代演劇そのままよりも、はるかに危うく刺激的な演じ方だと思う。

観客である現代人の私は、望遠レンズで役者を捉えながら、現代の演劇がそのまま江戸の時代につながっているのを目撃する。能の如くに、離れた過去の形式がなぞられるのを見ているのではない。今のその場が、そのまま江戸の世界になってしまうのを感じるのだ。我々はタイムスリップに捉えられ、時代が置き忘れてしまった義理や人情に、そのまま出会う。そのありさまと、それが出来(しゅったい)するマジックに感動するのだ。

残念至極なことに、4月の片岡仁左衛門の「勧進帳」を見ることができなかった。成田屋の十八番とされるこの演目を、現代の役者である仁左衛門丈は、かの時代のストーリーとしてきっちりと解釈した弁慶で演じたそうな。どれほど興味深いものであったろうか… 
観ていない自分にはこれ以上はなにも書けない。いずれテレビかなにかで見られることを期待したいものだ。

「東京ど真ん中物語」麹町地区コミュニティ活性化委員会



麹町地区コミュニティ活性化委員会による、一段知られていない麹町地区の紹介をした本である。

構成は、まず枕として「江戸の都市計画」が説明される。その後に「麹町・番町界隈」として、番町から麹町周辺に済んだ芸能・文学・絵画等の世界の住人の物語、「永田町・霞ヶ関界隈」として山王神社のこと、この地の政変のこと、官僚の秘蔵スポットのことなど、「大手町・丸の内界隈」として三菱による大丸有地区開発の歴史と今、平将門の首塚のこと、有楽町ガード下のことなどが、研究あるいは取材レポートとしてまとめられている。

最近は上京の機会がそこそこあって、関東在の知己からもいろいろと教わることは多かったのだが、なかでも、あまりかかわることのなかった麹町周辺(実際のところあのあたりで知っているのは山種美術館ときんつばの一元屋くらいである)のことについて、知らないことをひとまとめに知ることができた。このあたりに関する知識の入口としては、コンサイスで必要な知識がとてもよくまとめられた本だと思った。

すでに絶版?、のようで、アマゾンではユーズドで入手可能。