日曜日, 9月 13, 2009

Changing Snow Leopard's Login Screen

私はこの手の「カスタマイズ」を普段はほとんどしない。そんなことをしなくてもMacのGUIは十分に美しいし、一貫性があると思うからだ。再インストールやOSのバージョンアップでは元に戻るし、そこにさらにやり続けると思わぬトラブルの元も抱え込む。苦労やリスクとベネフィットのバランスが悪すぎる。

だが、今回のSnow Leopard、Mac OS 10.6のログインスクリーンはあまりに見苦しい。10.5の宇宙にかかるオーロラのようなやつはそこそこ綺麗で、大抵はデスクトップを入れ替えている私でも、べつにこれでもいいか、と思うようなものだった。

が、この10.6のやつはいただけない。同じような宇宙のオーロラっぽいやつなのだが、色合いが耐えられないくらいひどい。デスクトップはさっさとお気に入りの画像ライブラリに入れ替えてしまえるのだが、パソコンの使い始めに毎回この醜い画像を見せられるのは耐えられない。

それで、始めて、ログインスクリーンまで入れ替えることにした。気をつければやり方は簡単である。各種OSバージョンに対応するやり方がここに書かれている


何かこの辺に少し「変な」感じがする。Jobsはこの画面を許したんだろうか、ということだ。これは彼が場を去ろうとしていることと関係してはいないか?

iTunes 9の画面が妙にWindows臭い「ような」感じがするのも、同じ懸念を抱かせる。GUIの洗練さが、徐々に徐々に失われて来てはいないか?、と。。


I usually don't do this type of customization. The genuine GUI of the Mac OS is satisfactorily beautiful and consistent. And the customization itself usually is negated by upgrading OS, and thus the working cost and risk does not match benefit.

Until 10.5 Leopard.

This time in 10.6 Snow Leo, the login screen is too much ugly. I couldn't tolerate it. So I went further to replace it by the photo of Snow Leopard itself.
The OS-dependent methods are described here. You can do it at your own risk rather easily if you are careful.

I wonder if Jobs really agreed with it. Doesn't it mean that this is a sign of his retirement from the Mac job? The GUI of iTunes 9 also somewhat looks like Windows. Are we loosing elegance of the Apple's GUI gradually?

日曜日, 9月 06, 2009

「Man On Wire」



「フィリップ・プチ」という変わった名前の男のことを知ったのは、昔読んだthe New Yorker Magazineの記事だった。1999年のことらしい。1974年に、今はもう存在しなくなったニューヨークの世界貿易センタービルの二つのタワーの間を綱渡りした男のことだった。先日、これも惜しくもなくなってしまった番組「ストリーム」町山智浩氏の映画評でこの映画のことを知った。見たいものだと思っていたら、たまたま桜坂劇場で今日からやるとのことだったので、行ってきた。
ドキュメンタリーフィルムだが、元フィルムをちゃんとプチ氏が撮っていたところが凄い。彼の綱渡りは天賦の才能で、独学だそうだが、自由自在である。それが当時は善良でざざ漏れの警備体制の中で10回も事前調査をし、最後は前日晩から侵入し、泊まり込んでワイヤーを敷設し、綱渡りを始める。彼のうれしそうな顔が印象的だ。しかも8回も渡ったというのだから! スティーブン・ホーキング氏がゼロG飛行を、最初は1回のつもりが7回もやったのを思い出した。

この映画は、プチ氏の映画である共に、偶然にも今はなくなってしまった世界貿易センタービルの記録でもある。それにもなにか感慨深いものがある。
しかも、今日は偶然にも、ヒストリーチャンネルが9/11を特集していて、未公開フッテージを含んだ110分の映像を放送していた。プチ氏が渡ったあの塔が崩壊するのを、今日見たのも因縁めいていた。

「沖縄 しおり Live「STEP by SMILE 2009」 〜僕らの海へ〜」

20090905、てだこホールにて。知人の紹介で見てきた。実を言うと20代の女性ボーカリストのワンマンライブなど、ほとんど聞いたことがない。とても興味があった。

ライブはややぎこちなく始まった。バックはキーボード、ベース、ドラム、ギターが二つ。ドラムのPA処理がハードロック風というのかどーん、と響き渡る感じで、ホール&オーツ風とでも言うか、そんな感じだった。もうちっとコンパクトなPA処理にしたら、ボーカルがより映えるのではないかと思った。ドラマーはディアマンテスの人だそうで、ラテンバンドでやっていらっしゃるのが不思議なくらい後ろノリの人に感じられた。(PAのせいかもしれないが。)

そのうちに小さなドラムセット、アコベとギターのセットになり、ドラマーはまたカホンらしいものをたたいたりして、少し変わった雰囲気の曲をやったが、それで全体がぐっとよくなった。音楽はこれくらいコンパクトかつひねてなくちゃね、といういい感じだった。
このあたりからいい感じになっていく。

それから、本人が普段良くやっているというピアノ弾き語り。これがさすがに本領発揮といおう感じで、いい声が、キーボードの音域音質とよく合っていた。

戻って元のバンドセットになったが、突然みんな良くなった。吹っ切れたようなボーカル、バンドの一体感。ハンドクラップで全員立ち上がっているせいか、とてもいい感じになっった。そのまま終わってアンコールが一曲。

楽しい晩だった。

そして、どうも私はある一般論に気づいたらしい。

これはしおりさんのどうこうということではなく一般論であることを明言しておく。
簡単に言ってしまえば20代の小娘のライブから何が伝わってくるのか、と興味を持っていた。そうして気づいたのは、ここにある関係性が「あなた」と「わたし」、「きみ」と「ぼく」という形で完結していることだった。それ以外はない。
おそらく今のこれくらいの世代の歌のほとんどがそいういう関係性にまとめられるのではないかと思う。だからこれを一般論と言っておく。
「わたし」が「あなた」に思うこと、伝えたいこと。そこで世界が完結している。この関係性は世界の、他のどことも繋がっていない。今風の音使いで、音は羽ばたいて聞こえるが、つまるところは、その関係性以外の世界が見えてこないのだ。「きみ」と「僕」の関係は、どう、外の世界と、この日本と、世界と繋がっているのか?
背伸びをしてでもそういう世界に触れてみるのか、あるいは、それなりに年を経るにつれて、自然にそういうものに触れつつ「円熟」していくのか、そのあたりでどこか他と繋がるかどうかで、若いミュージシャンはその先の可能性や展開が変わってくるのだろうと思った。

しおりさんがこれからも伸びていけますように。

火曜日, 9月 01, 2009

狂言「附子」「蚊相撲」

先日キジムナーフェスタで観た。

このキジムナーフェスタは、一度は途絶えて?また始まったイベントだが、沖縄が世界に誇れるイベントの一つだと思う。あれだけ多彩でユニークで質の高いものが一堂に会するとは、なんと幸福な時期よ、と思う。
この狂言も、そのうちの一つ。1500円也で十分に楽しめた。特に後半、「蚊相撲」では茂山千之丞自らご出馬で、年齢からは思いもつかなかったような音声と演技で笑わせてくれる。さすがは狂言役者、という感じだ。

来年もまた何か面白いものを観せて欲しいものだ。 がんばれキジムナー!