ラベル Kyoto の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Kyoto の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

月曜日, 9月 29, 2008

京都北山行

Blogでレイアウトするのは結構むずかしいものだ。このページは後で書き換えるかも。


日が相前後するが、体験参禅の数日のあと、帰る前に北山方面を散策した。

トロッコで嵐山へ下り、友人達と京都市内を散策してから、宿泊場所の仁和寺御室会館へついた。
時刻は既に夕方で、日暮れまであちこち撮影した。
木々はほんのわずかに紅葉が始まっていた。逆光下での露出の実験のような状態だった。何かはよく知らない像も、手元の金色の光をいかに記録するか、という興味で何度も条件を変えて撮影した。
















翌朝は勤行を見学する。見学者は一般非公開の、国宝の金堂を見ることができる。それが目当てである。










同じ御室会館に宿泊していたこの女性は、すっくと立って歩いて来て、きちんとした作法で護摩を焚き、金堂を見学した後に写真をいくらか撮って行かれた。このあたりでは旅行者としては一般的なジーンズでもなく、すっきりとした姿ですっきりとしていられて、やたらと格好よかった。暫く眼が離れませんでした。はい。


まだ朝早く、朝食の時間まで、ふたたび露出を気にしながらあちこち撮影しつつ過ごした。朝の光だと2EVマイナスくらいが、視覚の印象と似ているな、と思った。





















仁和寺の御殿に入った。宿泊者はここは無料で見られる。開館してすぐなので、まだ人は殆どいなかった。
中はまさしく平安の御殿で、このような廊下を宮廷人達が行き来したのだろうと、リアルに思うことができた。





仁和寺を出て59番のバスに乗って龍安寺方面に向かった。なぜか龍安寺は今回はスキップしたくなって、金ぴかの金閣寺を見たいと思った。高校時代にここには来たのだと思うが、なぜか金ぴかだったのを覚えていない。そのありさまを一度は見てみたいと思った。
10時ころに着いたとおもうが、中は既に観光客で一杯だった。堪え難い喧噪。写真を数枚撮って、10分もしないで入口側から退散した。



再び59番のバスに乗り、千本北大路で6番線に乗り換えて鷹峯方面へ向かった。行き先は光悦寺。

桃山から江戸初期のユニークなクリエイター、本阿弥光悦はこのあたりに居住していた(というより家康からそう命じられた。)
茶の美を愛でるものとしてはこの人を敬わないわけにはいかない。白洲正子氏の住んでいた武相荘を訪れた如くに、ここも一度は来てみたい場所だった。



既に喧噪の世界と化している京都市内では感じることのできない、いにしえもそうであっただろう閑静さを、ここで初めて感じることができた。風にそよぐ木々の音、どこかしたの法から聞こえてくる小川のせせらぎ。来てよかった。

光悦垣の辺りの楓はわずかに色づき始めていた。



鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰のうち、これは鷲ヶ峰。
手前が光悦垣。






ここで暫くを過ごし、その時読んでいたのは源氏物語である(与謝野晶子訳)。あまりにハマりすぎていて少し気恥ずかしくはあるが、ここに来る前、禅寺に行く前から読んでいて、これしか持って来ていなかったのだから仕方がない。とはいうものの実に豊かな時間になった。




光悦寺を出てまた6番線に乗り千本北大路に戻り、101番線に乗り換えて大徳寺へ行った。門前に味噌松風の店があったようだが、何となく通り過ぎた。
東側から龍源院に入る。すぐ前に入った人が、きちんと整えられた砂の上に解説書を落とす。。連絡でお坊さんが回収に来た。





井戸のようだ。












龍源院を出て、北側の高桐院へ入った。入口から中は楓のトンネルのようになっている。光に透けた青楓がとても美しかった。
















建物には、利休の書院が移築されている。ごく当たり前の六畳と八畳の居室である。







高桐院を出て大徳寺を北に抜けると今宮神社がある。ここの名物はあぶり餅である。一皿500円を楽しみながら、北山行の終りとなった。この後京都駅から関西空港へ発った。

土曜日, 5月 31, 2008

京都

2003年10月にプライベートな会の折に京都へおもむき、土地の方の車で京都市内の店をいくつか回った。慣れない場所で、土地の人が一方通行をあちこち、するすると走るので、自分がどこにいるのか全くわからなくなった。
今回、そのうちのいくつかの店を偶然に発見した。

まずは烏丸四条で降りて、少し東に歩いてふと右を見たら「いちはら」と書いた看板が眼にとまった。「あ、あれは?」ということで行ってみると、案の定、箸・市原平兵衛商店であった。懐かしく中に入ると、当たり前ながら5年前と同じで、5年前と同じ、細くて弾力のある箸を買った。

店を出て戻ろうとして前を見ると、少し向こうに「錦」と書いてあるようである。やれやれ。。行ってみるとそこはまさしく錦市場。京都に詳しい人たちから聞いていた通り、西側から「大安」で牡蠣を食べ、「麸嘉」で麩まんじゅうを買い、「兼松」で野菜膳をいただき…という流れに相成った。


次の日は朝から歩いて鴨川ベリを北上し、荒神口通りあたりから御苑の中へ入り、東のヘリあたりを南下しながら歩いて行くと、そのまま寺町通になった。ホテルへ向けてさらに歩いていると、黒っぽい家が見えた。なにか見覚えのある看板もある。一保堂茶舗であった。まだ開いていないので、買い物はあとから。



午前の時間になって、自転車をレンタルし、源氏物語に関連した展観を行っているという京都府文化博物館へ向かった。到着したのが開館15分前であった。しかたなく周囲を散策していたら、茶道具屋があった。中に入って眺めているとご主人が顔を出された。ご挨拶し、言葉を交わしていると、ご主人は沖縄に3年前に来られて、茶釜の講演をされた、とのこと。「もしかして??」あらためてお顔を拝見すると、ああそうでした。六代釜彦、佐々木彦兵衛さんその人でした。奇遇に驚き、話がはずみ、気がついたら1時間以上たっていた。面白いことであった。
この日は博物館には行かず、寺町通りの大書堂で錦絵を一枚求め、午後からは連日の仕事に突入した。

帰りの日にあらためて京都府文化博物館を訪れた。とんでもなく混んでいたが、こういうときはじっと並ぶに限る。源氏物語に関連して集められたものたちはどれも興味深いもので、よい展観であった。



緑のきれいなこの時期の京都はとてもよい感じであった。今回は烏丸御池から四条河原町のあいだを歩き回ることになったのだが、このエリアでも京都らしい、微細で上品な美があちこちに見つかる。美しいものたちを「欲しいな」と思って手を出し始めると、あとはいくらでも散財しそうだった。
そう思って歩いていると、これもまた3年前を思い出す風景が現れた。「宮脇賣扇庵」と扁額に書いてある。なつかしや。

3年前に方角もわからず連れて行かれた場所はこれでほとんど見つかった。行かなかったのは染司吉岡(これはもうどこだかわかっている)と精課堂だったが、後で地図を見ると精課堂さんは一保堂のすぐちかくで、歩いていて見落としたらしい。そういえばここは道が微妙に曲がっている先にあって、信号を渡るのにちょっとイレギュラーなことをした場所であった。それで注意が向かなかったのかもしれない。
やれやれ。

あまり時間がなく、街中を歩く以外にはあまり行動しなかった旅行だが、おもしろいことはいくらも起きた旅であった。