火曜日, 7月 27, 2010

「電書フリマ」

「電書フリマ」に行ってきた。
Biz誠であったと思うが、Webページで関連記事を発見したことがきっかけだ。曰く文学版コミケのような「文学フリマ」で、対面販売しながらデータでコンテンツを売ったら5時間で1400部以上売れたとのこと。その記事に「電書フリマが2010/7/17に渋谷で開かれる」とあった。
対面販売で電子書籍を売るという行為自体が面白いと感じた。iPad的にちょうどいいのかも?とも思った。そういう購買形態はどんなものだろうか、と体験してみたくなった。たまたま上京している日であったので、行ってみた。

場所は渋谷のコラボカフェというところで、青山学院大学からちょっと渋谷駅方面に下ったところのBFだった。
15時頃に行ったのだが、路上に人があふれていた。とりあえず中に入ると、パーティのような混みよう。
手順を聞くと受付番号のようなものが必要とのことで、入り口近くの端末で発行してもらうような?ことだった。入り口に並び直そうとしたが、よくわからないうちにそれも不要となり、中にあるカタログから買いたいタイトルを選んで、メルアドとともにレジで申請くださいということになった。
奥の方には「試読」コーナーがあり、販売しているコンテンツの一部が読めるようだった。



さて紙のカタログを目にするが、小さい文字と店内が狭いのと暗いのと混みあっているのとで、数ページ数十タイトルくらいあるリストからゆっくりと気を入れて選ぶのが難しかった。その日に帰る予定なのも手伝って、あまり時間を使っていられなかったのだ。そこのところが残念で、もう少しきちんと選ぶ心の余裕が欲しかったところだ。
結局のところ、5ページからランダムに2タイトルづつ10本選んだ。10本以上は1本100円になるので、そうした。大抵の人がそうしているように見えた。




1000円払ってタイトルとメルアドを申請すると、しばらくしてからメールが届くので、そのメールからURIを開くと、手持ちの機器に本がダウンロードされる。私はiPadのStanzaにダウンロードした。

読んでみてどうだったか? Stanzaでフォントと文字サイズを上手く設定すれば、文章としては問題なく読める。翻訳の外国文学、お蔵入りになったマンガのオリジナル版など、いくつかは楽しむ事が出来た。
結局、すべからく作品のクォリティと選択が楽しみを決める。本を買うのと同じだ。関心があって、品質が高ければ、この方式でも、普通の書籍でも楽しみは同じだ。

むしろ「iPadは『書を読む感動』を提供できるのか?」という問いが明らかになった。この読書環境で、読書にフォーカスできるのか?、ということだ。One click awayの場所にtwitterやWebがあるときに、それに邪魔されずに本に集中できるのか?

全ては自分だ、ということか?

聞くところによると、一般の書店で、iPadで「ちら読み」してもらって、気に入ったらそこからクリックすると書籍が発注できるしかけもあるらしい。本もいろいろな形で読めるようになったものだ。

水曜日, 7月 21, 2010

My iPad life

Dell mini 10v Hackintoshによる軽量のMacOS Xを日常環境としていた私には、今すぐiPadを買う必要性はなかった。「しばらく待ってからだな」と思っていた。


しかし5月10日にそれはやってきた。「iPad。いよいよ5月28日発売。本日より予約販売開始。」と書かれたAppleからのメールだ。私はそれを、当日の夜に読んだようだが、これはなにか自分がコンピューティングに関して持っているパラダイムを根本的に変えるのだろうという予感が強くなった。ニューパラダイムには乗るべきである。
結局、翌日の朝にはWiFi16GBモデルを注文していた。ほとんど即日に近い申し込みは受け付けられ、私は全くどこにも並ばずして、発売当日にiPadを手にする予定になった。

待っている間、一喜一憂も何もしなかった。どちらかというと懐疑的。10vとどこが違うだろうと考えながら待っていた。

5月28日金曜日、ブツは届いてないように見えた。明日来るんだろうか、などと暢気に構えていたら、陶芸の師匠のところから電話がかかってきた。「なにかアップルから届いているんだが、これは何? そちらのモノ?」 しくじった。。先だってAppleからフォトアルバムをあちらに送っていて、今回の注文を、間違えてその住所へ送ったらしい。「あーうちのです。明日取りに伺います」と、そそくさと回収することに相成った。「くれるのか?」と言われて汗かくこと頻り。。


現物を回収し、それからケースを買いに走るが、そんなものはありゃしない。仕方がないのでアマゾンに注文。結局ケースが届くまでの数日間は本体を開けることもせずに放置していた。


当初は、WiFiオンリーであるし、家において家族で共用しながら、このモノのパラダイムを体感してみよう、という肚だった。
ケースが届き(Tunewearのソフトシェルにした)、使い始めてみると、やはりあれこれ使い道を考える私自身がより多く触るようになる。そうこうしているうちに完全に自分のツールになってしまった。SyncしたPCが私のPCであったので、そうならざるを得なかった。

さてどう使おうか、と考えた。

こ数年間で、Apple社は、というよりJobsは、PC環境に関して二つのイノベーションを我々ユーザーに迫った。
まず彼は、MacBook Airで全てのレガシーインターフェースを捨ててワイヤレスで生きろ、と迫った。私は当時、彼の挑戦を受けなかった。挑戦の本体自体に乗れなかったわけではない。その頃すでに160GB強のデータを持ち歩いていた私は、キャパシティが120GBしかないMacBook Airは使えなかったのだ。当時使っていた黒のMacBookの重さに耐えられなくなり、Hackintoshすることにしたが、重量1kg弱のMacOS Xネットブックは、持ち歩き環境としてはMBより遥かに快適だった。

Jobsの二つ目の挑戦がiPadだ。今度は彼はクラウドで生きろ、と言ってきた。iPadは明らかにそれを想定したデバイスだ。クラウドでユビキタスにどこででもつかえなくては魅力は半減する。
現在ノートPCで持ち歩いているものを各拠点に分散し、間をクラウドで繋げ、オンザロードをiPadでまかなえるなら、すべてのデータを持ち歩く必要はない。「自分はクラウドで生きられるのか?」 それが私に投げかけられた問いだ。
今度はそれに乗ってみることにした。

まずは環境の分離だった。ここ20年近くの間で初めて、自宅PCと職場のPCにリソースを分けた。映像・音声リソースがHDを食っているので、それを分ける算段をした。iTunesは自宅でしかSyncしない。写真は自宅と職場にリソースを分ける。間をつなぐ必要がある場合はクラウドサービスを使う。カレンダーのSyncにかなり悩んだが、BusySyncを使ってGoogleカレンダー経由で自宅と職場のiCalをSyncすることができた。

プレゼンテーションはKeynoteでできる。オフィススイート系を読むのはGoodReaderでできる。書くほうはプレーンテキストで書いて、あとでPCで整形することにした。グラフィック系のヘビーな作業はPCに任せてここではやらない。メモ系の記録はEvernoteを使ってクラウドでSyncする。SSHターミナルもある。マインドマップもある。だいたいはこれでOKということになった。そこに至るまで試行錯誤しながら約4週間。結構時間がかかった。


作業を進めていくうちに、最終的なユビキティを確保する必要に迫られた。モバイルWiFiルータが各社から出てきたので、結局はNTTドコモのDWR-PGにした。

これでだいたいは環境ができ上がった。今一番悩みなのは、Flash動画の問題だ。TEDの翻訳をやっているが、翻訳サイトdotSUBの動画を直接見られないのが痛い。早くなんとかなって欲しいものだ。

同じことはネットブックでもできるのではないか? おそらくできる「はず」なのだが、何かが違う。画面の大きさなのか、すぐに起動して使えることなのか、ものすごくハンディでバッテリを気にしないでいいことなのか、まだよくわからないが、何かが大きく違う。iPadは単にデカくなったiPhoneだ、という声が聞こえるが、そう言っている人々は決定的な勘違いをしているように思える。

実利的なことよりもむしろ、「これだけ」でやる、という、ある種メンタルなものが影響しているように思える。iPadの環境はシングルタスクにフォーカスするのに向いている。そこのところが一番効くのかも知れない。

マウスがないことも、おそらくなにかと関係していると思う。クーリエジャポンに記事にあったが、iPadを使っている人は、見ているページにとどまる時間がPCの時よりもはるかに長いらしい。マウスがないのであまりクリックしないということかもしれないが、それによってユーザーはページをじっくりと読むことになる。そのメンタルなフォーカスの仕方がPCとは違う、というのは自分でも体感し、実感している。

多分これが、これからの、少なくともネット系のITに関わる人間の普通の生きかたになる予感がある。今から3年後、ITの業界で、まだノートパソコンを持ち歩いているようなワークスタイルは、かなりまずい、ということになるのかもしれない。

デバイスの強烈な個性と利便性が、クラウドへ向けての一線をついに超えさせ、自分のPCライフはまったく変わってしまった。それくらいiPadのインパクトは大きい。

土曜日, 7月 10, 2010

公務中の覆面パトカー

これが功績なら、それは家内のものである。近くの道をGoogle street viewで見ようとして間違ってクリックした沖縄高速道路に、公務中の覆面パトカーが写っていた。後部トランクが開いているのは、別のクルーがvictim?の後方で三画反射板を立てに行っているから。


この銀色の車は前から見覚えがあって、前は白い色をしていたのではないか?、と思っているが、確認する機会がない。(10年以上前なので、考えすぎだろうか?)これからも確認の機会は来なくてもいいと思っている。

お仕事ご苦労様です。