日曜日, 12月 27, 2009

Hackintosh: Dell Inspiron Mini 10v

mac:Hackintosh
Dell Inspiron Mini 10vにMacOS Xを入れてみた。いわゆるHackintoshである。



動機は何か? 要するに重いマックに辟易したのだ。もう我慢できない。いい加減にしてくれ。ガタイのでかい外人には全く意義が感じられないのかもしれないが、日本のような環境ではそこそこ死活問題である。いつまでたっても出てこないApple製ネットブック。

私のOSライセンスは5本あり、数の上では別にどれかのApple製ハードウェアから抜き出してはいない。保持しているライセンス範囲である。しかも現時点でAppleはこの領域でビジネスをする気もユーザーにソリューションを提供する気もないらしい。それならばこちらで自分の為にソリューションを考案しても、別にAppleのビジネスを邪魔していることにはならないだろう。もしコストパフォーマンスと機能が納得できるApple社製ネットブックが発表されれば,私はすぐそちらを購入するだろう。
という立場を、グレイゾーンでの自分自身のスタンスとして保持した上でやってみた。



Hackintoshというと、あちこち細かく手を入れる上級者向けの技に聞こえるが、やることは全く簡単である:
・Mini 10vの場合はBIOSをA04までダウングレードする。このためにDOS bootableなUSBメディアにBIOS書き換えツールを入れたものを作る。参考URLはこちら。これでBIOSをダウングレードする。(ここが一番ビビるところかもしれない。失敗すれば10vは起動しないただの箱になるから。)
・8GB以上のUSBメディアに、市販の(OEMアップグレード品でない)Snow Leopardのインストールディスクを書き込み、さらにNetbookMakerというツールでMBRを書き換えてbootableにする。参考URLはこちら
・そのUSBドライブでブートしながら、HDを再フォーマットしてMacOSをインストールする。
・Sleep動作などのためにBIOSの設定を再調整し、NetbookInstallerというツールでさらにBIOSパラメータを調整しつつ、カーネルパッチを当てた上で普通にソフトウェアアップデートする。これでMacOS 10.6.2で起動するネットブックが出来上がる。



なお、BIOSはWindows環境で提供されているフラッシュアプリでA05にすればいい、という話と、別に現行A06でも大丈夫、という話もあるが、安定性が悪いなどといろいろ情報が錯綜している。私は枯れた方法を選択したわけだ。



買ったのは真っ赤なカバーのUbuntuインストールモデルである。この色は、買うとアフリカのAIDS基金に5ドルが寄付される。詳しいことは知らないがTEDに関わっていたりすると、なんとはなしにこういう事にawareになった気分である。色としてもなかなかかっこいい。
Windowsはハナから全く必要ないので、コストダウンのためにUbuntu入りにした。これで5000円くらい違ったはず。8GBSSDを160GBHDにし、Bluetoothオプションをつけ、39000円くらいだった。発注から約1週間で届いた。



上記の手順でインストールし、スリープ可能、Bluetooth可能、WiFi可能、カメラとサウンド可能な赤くてかっこよくて小さいMacOS Xマシンが出来上がった。出先でプレゼンするときなどのためのサブマシンのつもりだったが、160GBに自分のドキュメントを入れてみたら、あれよあれよとメインマシン化し、もうこれ一本で行くつもりになっている。それまでのMacBookは自宅で大量の音楽とビデオ、写真を保持することになりそうだ。

パフォーマンスはどうか? これまではCPU Core 2 Duo 2GHz, memory 3GBであったが、こちらはCPU ATOM 1.6GHz程度、メモリが1GBである。にもかかわらず、あまり差を感じない。Google日本語入力で変換候補をスクロールダウンするときにはちょっと緩やかかも、という感じもするが、全体的にはあまり遜色を感じない。まあ今現在はMacports下でgccがwiresharkを一生懸命ビルドしつつ、次々と生成されるファイルをアンチウィルスがどんどんスキャンしているので、CPUは100%負荷、メモリもフリー領域はほとんどなしで、流石にやや遅めに感じてはいるが。

などと言っている今日、来年早々にAppleがタブレット機を出すのではないかという噂が流れた。やれやれ。まあそれでもしばらくはこれで行くことになりそうだ。


Standard Disclaimer
これは私自身の実験であり、私はこれを書くことによって、このことを誰かに勧めているわけではない。当然ながら自己責任でやってください。

土曜日, 12月 26, 2009

桂離宮

kyoto:桂離宮
縁あって桂離宮を見学させていただくことになった。



待ち合わせの時間調整に、桂川の川縁にある中村屋に寄った。ここは古くからあるお店だそうである。みたらし団子を食べながら、もってきた本「桂離宮」を読んだ。斎藤英俊著、穂積和夫絵によるこの本は、対象年齢小学6年以上と書いてあり、全編にルビが振ってある、一見子供向けのように見えるのだが、どっこいそんなものでは全然なくて、離宮の土地の由来、創建した智仁(としひと)親王以来の歴史、建設の順に従った具体的な建築プロセスとその細部などが、わかりやすい解説とイラストで書き連ねられている素晴らしい本である。
しばらく読んでから笹垣の前を通って離宮入口に行き、待ち合わせて入園した。



人数制限があり、まずは全員でビデオを見てから案内役の随行で園内を周遊する。庭園内に散在する建物は殆どが開放されており、見ることも縁に座ることも可能だが、本館は外側から見るだけである。昭和47年頃までは内部も展観されていたそうだが、傷みの問題があり、その後は開放していないとのこと。残念ではある。



一時間程のガイドツアーは、まあこんなもんかな、という感じ。3畳の茶室をにじり口から覗き、月見台で酒宴したいなどと不埒なことを言い合いながら一時を過ごした。



建築家ブルーノ・タウトが「涙が出るほど美しい」と言った建物はたしかに美しかったが、その美しさを真に知るには、やはり中から見てみたい、住んだ人の目線から見て楽しみたいと思った。可能ならば月夜の晩に、一献傾けながら。



それにしても先に触れたあの本はいい本で、最初は簡素ながら隠れた贅を尽くした建物が、次世代に増築され、さらに上皇の御幸のための新御殿の増改築に至り、どんどん華美化して行く過程が興味深かった。それも中を見られれば実感できたのだろうが。。

手配の労をとってくださいました方に感謝申し上げます。ありがとうございました。

火曜日, 12月 22, 2009

「アイヌの美」展:京都府文化博物館



京都府文化博物館で2010年1月11日まで開催中。
一見して感じるのは「神的」だ、ということだ。あるもの全てが神々しい。人でなく神へ向いた図像という感じがする。過酷な極寒の地で相対する人以外のものは全て神の贈り物に見えるのかもしれない。人が自然と、その先の神とこんなに近づいている生活があったと言うのが、不思議な実感として迫ってくる。極限的な環境で自らと相対する唯一のものとしての一神教が生まれるケースはキリスト教やイスラム教の例があるわけだが、北のこの地では、極限性は多くのものとつながったようだ。アニミスティックな感じがする。
イクパスイ(捧酒箸)削りの形が、たつみや章のストーリーを思い出させる。
工芸品のディテールの細かい細工が、彼らの文化の高さ、深さを感じる。
とてもいい展覧会です。お薦め。

火曜日, 11月 03, 2009

「マイケル・ジャクソン This is It」


同時代を生きていると言っていい、がしかし、彼の音楽を特段気をとめて聴くことはなかった。それはビジュアルにもかっこいい音楽で、ある時代はいつでもそこにあり、またその後もよく耳にしていた音楽だった。とは言うものの私自身と特別なつながりがあるわけではない、普通の「街で流れている音楽」だった。
彼が亡くなり、映像が再び画面に出始めた。それを今見直してみて、この人がどれくらいすごいダンサーだったかがよくわかる。
他のダンサーとは全く体の動きが違う。ただ足をそろえて(「気をつけ」のように)立った、ただそれだけの姿が決まっていて、かっこいい。
同じように「ただ立つだけで決まる」ダンサーは一人しか知らない。それは、今は亡きフラメンコの鬼才、アントニオ・ガデスだ。「カルメン」や「恋は魔術師」で見た彼の姿は、踊りが全く異なるにもかかわらず、マイケルジャクソンと強く連想がつながる。
二人のその凄さがつながった時、人生で初めて、マイケルジャクソンを見てみたいと思った。そしてそこに「This is It」があったのだ。

見始めていきなり掴まれる。オーディションに現れた世界のダンサーたち。涙ながらに彼へのあこがれと今の自分を語る彼らの姿から、彼らにとってマイケルは神なのだと、すぐにメッセージが伝わる。
基本的にはリハーサルをつなぎ合わせた映像である。しかしそのリハーサルは念入りであり、そのものが完成品のごとくであり、音も含めて見て聴く価値が十分にある。すばらしい映像作品だと思う。マイケルは真摯であり、プロフェッショナルとして冷静であり、心遣いがある。そして彼が本物の音楽の才能持つ人であることもわかる。
そしてそれがリハーサルだからこその雰囲気もある。つまり我々観客は「中に」いるのだ。我々は観客が見るようなフッテージを見ながら、実はマイケルと行動を共にしている。そこのところの親密さが、不思議な暖かさをもたらしている。

映画の終わりに誰からともなく拍手が生まれたのも、最近の映画館ではなかなか見ない光景だった。

見る価値のある映像である。お薦めです。誰にとっても。

日曜日, 9月 13, 2009

Changing Snow Leopard's Login Screen

私はこの手の「カスタマイズ」を普段はほとんどしない。そんなことをしなくてもMacのGUIは十分に美しいし、一貫性があると思うからだ。再インストールやOSのバージョンアップでは元に戻るし、そこにさらにやり続けると思わぬトラブルの元も抱え込む。苦労やリスクとベネフィットのバランスが悪すぎる。

だが、今回のSnow Leopard、Mac OS 10.6のログインスクリーンはあまりに見苦しい。10.5の宇宙にかかるオーロラのようなやつはそこそこ綺麗で、大抵はデスクトップを入れ替えている私でも、べつにこれでもいいか、と思うようなものだった。

が、この10.6のやつはいただけない。同じような宇宙のオーロラっぽいやつなのだが、色合いが耐えられないくらいひどい。デスクトップはさっさとお気に入りの画像ライブラリに入れ替えてしまえるのだが、パソコンの使い始めに毎回この醜い画像を見せられるのは耐えられない。

それで、始めて、ログインスクリーンまで入れ替えることにした。気をつければやり方は簡単である。各種OSバージョンに対応するやり方がここに書かれている


何かこの辺に少し「変な」感じがする。Jobsはこの画面を許したんだろうか、ということだ。これは彼が場を去ろうとしていることと関係してはいないか?

iTunes 9の画面が妙にWindows臭い「ような」感じがするのも、同じ懸念を抱かせる。GUIの洗練さが、徐々に徐々に失われて来てはいないか?、と。。


I usually don't do this type of customization. The genuine GUI of the Mac OS is satisfactorily beautiful and consistent. And the customization itself usually is negated by upgrading OS, and thus the working cost and risk does not match benefit.

Until 10.5 Leopard.

This time in 10.6 Snow Leo, the login screen is too much ugly. I couldn't tolerate it. So I went further to replace it by the photo of Snow Leopard itself.
The OS-dependent methods are described here. You can do it at your own risk rather easily if you are careful.

I wonder if Jobs really agreed with it. Doesn't it mean that this is a sign of his retirement from the Mac job? The GUI of iTunes 9 also somewhat looks like Windows. Are we loosing elegance of the Apple's GUI gradually?

日曜日, 9月 06, 2009

「Man On Wire」



「フィリップ・プチ」という変わった名前の男のことを知ったのは、昔読んだthe New Yorker Magazineの記事だった。1999年のことらしい。1974年に、今はもう存在しなくなったニューヨークの世界貿易センタービルの二つのタワーの間を綱渡りした男のことだった。先日、これも惜しくもなくなってしまった番組「ストリーム」町山智浩氏の映画評でこの映画のことを知った。見たいものだと思っていたら、たまたま桜坂劇場で今日からやるとのことだったので、行ってきた。
ドキュメンタリーフィルムだが、元フィルムをちゃんとプチ氏が撮っていたところが凄い。彼の綱渡りは天賦の才能で、独学だそうだが、自由自在である。それが当時は善良でざざ漏れの警備体制の中で10回も事前調査をし、最後は前日晩から侵入し、泊まり込んでワイヤーを敷設し、綱渡りを始める。彼のうれしそうな顔が印象的だ。しかも8回も渡ったというのだから! スティーブン・ホーキング氏がゼロG飛行を、最初は1回のつもりが7回もやったのを思い出した。

この映画は、プチ氏の映画である共に、偶然にも今はなくなってしまった世界貿易センタービルの記録でもある。それにもなにか感慨深いものがある。
しかも、今日は偶然にも、ヒストリーチャンネルが9/11を特集していて、未公開フッテージを含んだ110分の映像を放送していた。プチ氏が渡ったあの塔が崩壊するのを、今日見たのも因縁めいていた。

「沖縄 しおり Live「STEP by SMILE 2009」 〜僕らの海へ〜」

20090905、てだこホールにて。知人の紹介で見てきた。実を言うと20代の女性ボーカリストのワンマンライブなど、ほとんど聞いたことがない。とても興味があった。

ライブはややぎこちなく始まった。バックはキーボード、ベース、ドラム、ギターが二つ。ドラムのPA処理がハードロック風というのかどーん、と響き渡る感じで、ホール&オーツ風とでも言うか、そんな感じだった。もうちっとコンパクトなPA処理にしたら、ボーカルがより映えるのではないかと思った。ドラマーはディアマンテスの人だそうで、ラテンバンドでやっていらっしゃるのが不思議なくらい後ろノリの人に感じられた。(PAのせいかもしれないが。)

そのうちに小さなドラムセット、アコベとギターのセットになり、ドラマーはまたカホンらしいものをたたいたりして、少し変わった雰囲気の曲をやったが、それで全体がぐっとよくなった。音楽はこれくらいコンパクトかつひねてなくちゃね、といういい感じだった。
このあたりからいい感じになっていく。

それから、本人が普段良くやっているというピアノ弾き語り。これがさすがに本領発揮といおう感じで、いい声が、キーボードの音域音質とよく合っていた。

戻って元のバンドセットになったが、突然みんな良くなった。吹っ切れたようなボーカル、バンドの一体感。ハンドクラップで全員立ち上がっているせいか、とてもいい感じになっった。そのまま終わってアンコールが一曲。

楽しい晩だった。

そして、どうも私はある一般論に気づいたらしい。

これはしおりさんのどうこうということではなく一般論であることを明言しておく。
簡単に言ってしまえば20代の小娘のライブから何が伝わってくるのか、と興味を持っていた。そうして気づいたのは、ここにある関係性が「あなた」と「わたし」、「きみ」と「ぼく」という形で完結していることだった。それ以外はない。
おそらく今のこれくらいの世代の歌のほとんどがそいういう関係性にまとめられるのではないかと思う。だからこれを一般論と言っておく。
「わたし」が「あなた」に思うこと、伝えたいこと。そこで世界が完結している。この関係性は世界の、他のどことも繋がっていない。今風の音使いで、音は羽ばたいて聞こえるが、つまるところは、その関係性以外の世界が見えてこないのだ。「きみ」と「僕」の関係は、どう、外の世界と、この日本と、世界と繋がっているのか?
背伸びをしてでもそういう世界に触れてみるのか、あるいは、それなりに年を経るにつれて、自然にそういうものに触れつつ「円熟」していくのか、そのあたりでどこか他と繋がるかどうかで、若いミュージシャンはその先の可能性や展開が変わってくるのだろうと思った。

しおりさんがこれからも伸びていけますように。

火曜日, 9月 01, 2009

狂言「附子」「蚊相撲」

先日キジムナーフェスタで観た。

このキジムナーフェスタは、一度は途絶えて?また始まったイベントだが、沖縄が世界に誇れるイベントの一つだと思う。あれだけ多彩でユニークで質の高いものが一堂に会するとは、なんと幸福な時期よ、と思う。
この狂言も、そのうちの一つ。1500円也で十分に楽しめた。特に後半、「蚊相撲」では茂山千之丞自らご出馬で、年齢からは思いもつかなかったような音声と演技で笑わせてくれる。さすがは狂言役者、という感じだ。

来年もまた何か面白いものを観せて欲しいものだ。 がんばれキジムナー!

日曜日, 8月 30, 2009

映画「サマーウォーズ」




鈴木敏夫氏のポッドキャスト「ジブリ汗まみれ」を聞いて、興味を惹かれたので観に行った。

パレットくもじで観た。映像は「時を駈ける少女」っぽく、今受けしそうな感じだ。
OZという世界を仮想し、そこで現実界とパラレルにストーリーが展開するのも面白い。グラフィックスOK、アクションOKである。
必ずしも悪いところがあるわけではない。

だが、何かうす味な感じがする。
集団的であって、個々に集中していない、個の描き方が足りない。また個同士の多重の組み合わさりがない。Emotionalな関係の深さが足りない。
たとえば個々にいる人たちの中で一番濃密な感情を抱えているはずの夏希と侘助の関係はそのままで何らかの発展や破局をもたないのか?、といったところだ。そこらへんでリアリティが薄められ、うす味を感じている。

登場人物の多重な関係の上手い組み合わさり方を絶妙に描いているのはたとえば「ロード・オブ・ザ・リング」であろうが、そういう複雑さがない。
「親戚」や「みんなの力」のようなものを視点に面白いストーリーにしているのだが、逆にその「親戚」に依存してしまった詰めの甘さがあると思う。
例えば今敏ならこの関係性を使ってどう表現したか?、などと考えるわけだ。

今時の「さらっと系」の人たちには大受けするのだろうと思う。

金曜日, 8月 21, 2009

I am a TED Translator

ここしばらくTEDのビデオリソースの翻訳プロジェクトで積極的に翻訳している。どちらもボランティアの翻訳者とレビューワーが二人でペアになって完成させる。

数人のパートナーと組んで作業を続けていったら、1ヶ月半くらいで30本ばかり翻訳/レビューしたようだ。
後で気がついたのだが(というよりも翻訳パートナーが知らせてくれたのだが)、翻訳総数で韓国と並びトップ5に入り、私自身がMost Active Translatorsのトップ4に入ることになった。(2009年8月20日日本時間の昼頃)





これは私の手柄ではなく、かかわってくれた翻訳パートナーの方々と、もちろん我々のチーム?とは無関係の翻訳者の方々全ての成果です。
これからも協力し合いながら進んでいきましょう。よろしくお願い致します。


Over these one and a half month, I have been tarnslating TEDTalks, the video resources at TED.com.
I had to find a partner, who will review my translation. I found several persons with whom I can have my translation reviewd, and vice versa.

We did some 30 footage within two months, and I was told that the number of the translation into Japnese has reached 69 which equals to that of Korean, and I became one of the top four of the Most Active Translators.

Of course this is not my achievement but that of the whole array of the translators working out there. I hope we can cooperate more to get the work go forward. Thank you very much for all.

sheemer

日曜日, 8月 16, 2009

緑と紫: Purple and Green



緑と紫の組み合わせはとても日本的に感じられる。なつかしい。

The combination of purple and green looks very Japanese. I feel some nostalgia from it.

火曜日, 8月 11, 2009

日食2009/07/22


先日の日食のことを書く。
書くとはいっても、単に日食を記録しただけである。


道具は写真のようなもの。ようするにピンホールカメラプラス反射鏡なわけでそれで日食を室内の壁に投影した。作り方を教えてくれたHさん、どうもありがとうございます。

で、10:00頃から始めてだいたい5分おきほどに、大体固定の位置に構えて、壁の大体同じ場所を撮影した。あとはPhotoShopで合成である。そこそこ面白いものが出来たと思う。


日食を見るのも、イメージを処理するのもなかなか楽しかった。

月曜日, 8月 10, 2009

「愛を読むひと」



movie:「愛を読むひと」監督:スティーヴン・ダルドリー、出演:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス、レナ・オリン他
原作はベルンハルト・シュリンクの「朗読者」である。「愛」をつけ、「ひと」をひらがなにして、なんとかキャッチーなタイトルにしようと悩んだ後が伺える。

原作を何年か前に読んだ。新潮社のちょっと変わった体裁のシリーズだった。ジュンパ・ラヒリの「停電の夜」と同じシリーズだったと思う。

主人公の男性が10代の頃知り合った女性との数奇な運命の巡り合わせと、苛烈で真摯な、しかし無知?が生んだ悲しい女性の過去が語られる。また言葉がいかにかけがえのないものであるかが。

映像的には、二人が再会するときの、どちらもまたたき一つせずに向かい合うシーンに全てが託されている。あの演技が出来るウィンズレットとファインズは素晴らしいと思う。
レナ・オリンもいつも通りの雰囲気をかもしている。

土曜日, 7月 04, 2009

映画「桜の園」

1990年公開の方。監督:中原俊、出演:中島ひろ子つみきみほ白島靖代ら。
吉田秋生原作のマンガの映画化。毎年創立記念日にチェーホフの「桜の園」を上演する女子校の少女達の、一日の物語。

プレネット時代の映画である。誰も携帯やパソコンでネットを持ち出さない。少女たちは、女子校の限定されたリアル空間で言語・非言語のメッセージを交換している。ストーリーもそれに見合ったスピード感覚で進む。
満開の桜の下、ゆっくりと、一呼吸・ひと呼吸に応じるような、微細で繊細な美しさが、すこしづつ、すこしづつ積み重なって、惹かれあう二人の少女が、ドウラン化粧のまま寄り添って記念写真を撮る場面に結実する。

近年の映画には全く見られることがなくなった、ある美しさ、それを実現する手法がここに記録されている。当時そのような観点でこの映画を捉える人はいなかっただろうが(なぜならこれが「普通の」世界だったのだから)、当時とは全く変質してしまった現代から見るとこれもまた滅びた美なのだろうか、それとも今の時代にもこれは成立するのだろうかと思う。

例によってもう忘れてしまった理由でDISCASから届けられた、意外で、突然の美だった。お薦めです。
(注:2008年のリメイク版もあるようです。お間違えなきよう。)

日曜日, 5月 03, 2009

「伽羅先代萩」

「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)

建て替えられる木挽町の歌舞伎座(恐ろしく見目のよくない建物になるらしい…)のさよなら公演の一環として4月に上演されていた。
仙台伊達藩の御家騒動の実話に基づくという。若君を守る乳母・政岡とその子千松の物語が見せ場。

御殿の場。毒入りの菓子を察知し、飛び出して来て若君を守り、敵方の八汐(仁左衛門)に刺される千松。直前に政岡(玉三郎)と八汐の掛け合いで子供の存在を忘れていたところにいきなり飛び出して来て菓子箱を蹴散らし、さらに八汐に刺されるのでどきりとする。
刺されている我が子千松を目の前にしながら、若君を守り、立場上手が出せない政岡と、その千松を何度も刀で刺してなぶり殺しにする八汐。八汐がえいっ、と刀を動かすたびに千松が「あーっ」と悲鳴を上げる。
子供のなぶり殺しをプレゼンテーションしてみせるけれん味の歌舞伎らしさと、鬼のような形相で我が子の死を眼前にしながら、しかし若君を守って一歩も動かない玉三郎の演技に感心する。その後に、我が子の死と直面する場の演技にも。
以前に「寺子屋」という演目について、主従の関係から主を守るために我が子の首を差し出すことについて、その異様さを話したとき、とある歌舞伎の見巧者から「親子は一代、夫婦は二代、主従は三代」と教わりました。なるほどなあ、と再びそれを実感した次第。

玉三郎がきっちりとした作法で茶道具を扱うのにも感心。さらにその場で片手一つで座ったままくるっ、と回るのにはさすがだなあ、と思った。あれは並の茶人にはできない。:)

土曜日, 5月 02, 2009

トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」



同時期に西洋美術館で開催されていた「ルーブル展」には、もう一つ惹かれるものがなかった。デカルトの肖像画と、以前にも観たことのあるジョルジュ・ド・ラトゥールと、カルロ・ドルテの宗教画がよかったかな、という感じだった。
西洋美術館で企画展が外れた時は(もちろんそうでなくとも)常設に行くのがよい。あそこの常設は本当によい絵が多く、それだけでも十分に満足できる。今回もそちらに入ったのだが、何か一つたりない。あの天井の高い部屋はどこへいった? ということで館内の案内の人に聞いたところ、それは新館で現在は休館中とのこと。なるほど。どこかで見たことがあると思ったカルロ・ドルテは、こちらの常設に2点があったのだった。

そしてBunkamuraへ行った。トレチャコフ美術館展である。
20年以上も前にモスクワに行った時に、この美術館は休館であった。そこに何が収蔵されているかをよく知らなくて、同じツアーの女性がレーピンを観たいのだ、と話していたのを思い出した。
それもあって、行ってみることにした。

「Unforgettable Russia」と題された展覧会。行ってみるとそれはまさしく忘れ得ぬものになった。

実業家パーヴェル・トレチャコフがほぼ一人で集めたという、ロシアの優れた絵画たち。
そこには、なくなるべきでなかったもの、いま一番あって欲しいものがあった。シンプルでナチュラルな美しい風景。農奴と貴族の二層社会で、共産革命さえ起こして変えられなくてはならなかった場所には、しかしこういう美もあったのだ、と、これをなくさすに世界が美しくいられる方法はないのか、と考えさせられるのであった。

懐かしいネヴァ川の風景。ロシア的民族衣装そのままの鳥追い。楽しげな食事の後の語らい。ターナーのような風景画。ロセッティのように耽美的なクラムスコイの少女。見覚えのある柄のキルギスの鷹匠の衣装(2007年にパミール高原まで行った時に、こんな図柄の民族衣装を見たことがある)。幻想的でクールでモダンな月夜のエルプルース山。印象派のようなレヴィタンの農村風景。シド・ミードのデザイン画の様なアルヒーホフの「帰り道」。レーピンの数々の肖像画。そしてロシアのモナリザ、クラムスコイの「見知らぬ人」。その他数々の美しい風景画の数々。

新しい宝を一山発見した感じがした。お薦めである。

テレビドラマ「花の乱」

「花の乱」

そもそもの始まりは、世間でよく言われる「京都人の口ぐせ」であった。「京都でこの前の戦(火事)いいましたらな、応仁の乱のことですのや」

それで応仁の乱をwikiで調べた。室町時代、八代将軍足利義政の頃、将軍家の跡継ぎ問題をめぐる足利義政・正妻日野富子の、細川勝元・山名宗全の反目と、それらを背景にした代理戦争としての畠山家の跡目争いから内戦となり、京都市中は市街戦でほとんど灰燼に帰してしまったとのこと。これが戦国時代の始まりとなった。

何か本はないか、探してみたら司馬遼太郎の「妖怪」があった。日野富子と今参の局(いままいりのつぼね:義政の乳母にあたる幕府内の権力者)の反目を妖怪を間に挟んで描いてある。これでだいたい話の流れがわかった。

なにか映像作品はないか。そこで「花の乱」である。

これもwikiで孫引きして見つけたのだが、それによれば、歴代のNHK大河ドラマでは最低の視聴率であったとのこと。「まあちょっとだけ観てみるかな…」と思って、最初の一枚をレンタルした。

これが大当たりであった。

なるほど視聴率は上がらないだろう、と思われた。まずは話が複雑である。主人公は三田桂子演じる「現在時の」日野富子(足利義政の正妻)であるが、それがいきなり現在時と、15歳の頃(松たか子)と、さらに幼年時をいったりきたりしながら話を始める。最初の数回を通じてこれらは現在時に収束し、日野富子と一休禅師のもとにあった森侍者が、入れ替わった姉妹だとする仮構が説明されるが、その後もときどき過去のエピソードが挟まれる。

その後もストーリーは複雑に推移し、深慮謀略の末にあちこちで協力・敵対関係が変わる。戦となり、街が焼け、人が死ぬ。
しかも、物語の最後は、戦国時代の混乱の幕開けである。荒廃した京都の都の中を、主人公日野富子がとぼとぼといずこへともなく去って行く。暗い空にはオーロラと皆既日食の太陽。どこにも救いのない世界。これでは一般受けはしないだろうな、と思う。当時のテレビ制作はよほどに世間受けなどを考えずに作っていられたのだろうか。

他方、役者はどれも、これ以上ないくらいのぴったりのはまり役である。妖艶な今参の局にかたせ梨乃、足利義政に市川新之助と市川團十郎(当時)、エリート武士・関東管領細川勝元に野村萬斎、武家そのもののような守護大名山名宗全に萬屋錦之介、富子の母親・日野重子に京マチ子、などなど。
中でも特筆すべきは山名宗全役の萬屋錦之介である。先読みの鋭い政略家として、武家とは何たるかを如実に示してみせる。
個性満々とした役者たちが、好き勝手に自らの個性を発揮し、その全体が混乱した時代の混乱した出来事の推移を雄弁に物語っている感じであった。

物語の最後近く、山名宗全も細川勝元も既になく、将軍も九代足利義尚の時代となる。母富子の過保護と専横でスポイルされ、世間知らずの戦好きに育った義尚と母富子の関係と、そこに出来する不幸は、なにやら三田佳子自身の家庭の問題ともつながるような気がして、不思議なリアリティがあった。

タイトルシーンの作りが面白かった。花の精を模した能装束の踊り手が合成だが夜桜の下をこちらに歩いてくる。その桜は、実は逆回しに撮られていて、花びらが下から上へ散っている。
その音楽も美しい。大河ドラマシリーズのなかでもベストの部類かもしれない。

衣装などのゴージャスさも、今時のドラマとは比べ物にならない。

ほほえましいのは、あちこちの館で催される能と狂言のシーンで、踊りを観ているのが市川團十郎、萬屋錦之介、野村萬斎である。観ている方は何やらにやにやしているように思われるし、踊る方は踊りにくかったであろうと思う。:)

視聴率がどうのこうのというより、特筆すべき面白い作品であると思う。複雑なストーリーとジューシーな中身を求める方にはお薦めである。

日曜日, 3月 29, 2009

首里フジコライブ@Café Cello: Sol

ラジオ番組「マジカルミステリーツアー」のpodcastは1時間近くの尺がある。通勤時に車内でposcastを聴くというワークフローでは、この長さだと時々途切れがちになる。しばらく聞いていなかったリストをみると、首里フジコの名前があった。どれどれ、と、聴いてみた。
するとしばらく病気で歌手活動をお休みしていて、ここ一年くらいで徐々にライブ活動を再開しているとのこと。あれまあ。

mf247で聞いて以来のファンなので、3/20、Café Celloでのライブに行くことにした。メンバーに知人のコウサカワタル氏もいてサロードを弾くというので、そのコンビネーションにも興味があった。

夕方近くまで読谷にいたので、かなりあたふたと会場へ向かった。那覇バスターミナル近くにあるカフェが会場。
あまり広くはない場所なので、みたところ50人くらいでほぼ満杯になっている。なんとか席を一つ見つけて座った。

ドラム、ベース、サロード、ボーカルという編成である。和音の出る楽器がない。というかどれも基本的に単音の楽器である。どうなることかと見ていたが、なかなか面白い感じの音楽になった。サロードはインドの楽器だが、弾き方によっては中近東的だったり、場合によってはチーフタンズ風のアイリッシュな感じに聞こえるのも不思議な感じだった。
ボーカルは、ハウリング気味のアンプのボリュームを少し絞っていて、ほんとうはもう少し音量が大きいとベストだったのだろうと思う。特にタップダンスと一緒にやる時は、タップの音量に負け気味だった。ボーカルの声はいい感じ。

首里フジコさんの隠れファンなので、リカバリーがスムーズに行ってほしいです。期待しています。

月曜日, 3月 16, 2009

発見

知っている人は知っているというだけのことだろうが;

Movieplusで「マーサの幸せレシピ」をやっていた。日本語版のタイトルからは想像できないダークなテイストの映画だった。それをドイツらしいというべきなのか…

物語の冒頭近くで、主人公の姉が交通事故死する。哀しみのシーンで鳴る曲の、ギターのようなそうでないようなアルペジオが、妙に気にかかった。
なんか、どこかでこれを聞いたような気がする…

それが思い出せない。頭を抱えてしばらく記憶を探ったが、ぜんぜん出てこない。家族に聞いても、心当たりがないという。しばらく考えて、ついにあきらめた。

ところが、記憶というものは、だいたいはそういうときにふっ、とよみがえってくるらしい。その曲を聞きながら映画に身を任せていたら、水の中を泳ぐ象が頭に浮かんだ。ああそうだ、あれだったのか…
手持ちのDVDを引っ張りだして見てみる。

それは、グレゴリー・コルベールの映像作品「Ashes and Snow」だった。何年か前にお台場の特設美術館で観たのだった。その中でグレゴリーが象と一緒に泳ぐシーンで、とてもよく似たテイストの曲が流れていたのだった。曲は違うが、これは間違いなく同じ演奏家のものだ。

それで調べてみた。Ashes and Snowと、映画の音楽をネットで突き合わせて比べる。同じ演奏家がいた。David Darlingという人だ。iTunes Storeで検索してみたら、その演奏家によるまさしく同じ演奏が現れた。なるほどやっぱりそうね。彼はチェリストで、アルペジオはギターではなくチェロによるものだった。

ということで、音とネットの情報をたよりに二つの音楽を結びつけた。楽しい推理であった。

土曜日, 2月 21, 2009

モネ「印象 日の出」展:名古屋市美術館



先日、名古屋市美術館で「モネ 印象・日の出」展を観た。
最近は印象派の画家について、細かく分析的に観ることをあまりしなくなった。いつものように不思議な「懐かしさ」を感じる。行ったこともないのに。子供時代について自分が感じている印象と似ているのだろうか。

モネが17歳の頃に描いたという、コローのようなタッチの絵があったのが興味深かった。

今回は「印象派」の名前の元になったモネの「印象 日の出」が出ている。展示の目玉でもあるその絵は、赤いビロードで設えられた壁に一枚だけかかっている。天井が吹き抜けになっている。二階の展示室からもその絵が見えるのだが、その二階の方には「霧の中の太陽」がかかっている。



この絵は、モネが「印象 日の出」を描いてから30年くらい後に、テムズ河畔で描いたものである。構図と色合いはほとんど同じだが、筆のタッチが30年前と全く変わっている。画業30年、ひょっとしてもう白内障も進んでいたのかもしれないが、茫として優しい線のこちらの方が、私はより好きだ。
同じ壁には彼が何度かのテムズ河畔滞在で描いた同様の絵が何枚かかかっており、今回は飽きずにこれらを絵を眺めることになった。

そして、信じがたいことが起きる。

翌日、夕刻にセントレア空港から名古屋を離れた。離陸し上昇していたら、薄く霞のかかったような灰空色の中に、赤く小さな丸い太陽が現れた。空も海も区別がつかないような紫がかったブルーグレイの中、その光芒がわずかに海面にきらきらと反射していた。
それは、まったくそのまま、一日前に美術館で観たものと同じだった。なるほどな。画家はこれを見ていたのだな、と思った。
足下のバッグには一眼レフが入っている。しかしそれを取り出す時間も惜しんで、数分間の奇跡を目に焼き付けることにした。

土曜日, 1月 17, 2009

「浮かれ三亀松」吉川潮



深川生まれの稀代の芸人、初代柳屋三亀松の伝記。昔はこんな破天荒で、かつ江戸っ子の心意気を持った芸人がいたんだと再認識する。しゃべる言葉も由緒ある江戸風。
本の語り口は淡々としていてすこしダイナミズムに欠けるが、あとがきに書かれている「エピソードに(記述が)負けない」ための努力かもしれない。内容はとても面白い。
今はもうなくなりつつあるものがたくさん描かれている本。

本人の肉声が聞いてみたくなった。CDなどがいくつも出ているようだ。

土曜日, 1月 03, 2009

「アンドリュー・ワイエス展」Bunkamura(巡回あり)



アンドリュー・ワイエス展:
Bunkamuraで観た。ワイエスの名前は知っていて、有名な「クリスティーナの世界」も見知っている。どこかで別の絵を一枚見た記憶もある。が、あまり知らない人であった。一度はきちんと観ておきたいと思っていたところにBunkamuraで渡りに船の展覧会。

「ヤバい」という今風の(つまりポジティブな意味としての)日本語表現を私は嫌いだった。もちろん自分で使ったこともなかった。
ワイエス展に入り、最初の5枚は二組に分かれた彼の自画像だった。スケッチ程度のものがあり、着彩され整理されたものがあり、最後に完成品がある。絵のうまい人だな、と思った。
向かい壁に第六番目の絵があった。「オルソン家」それはクリスティーナの家である。(彼はこの家を何度も描いている。)グリザイユ風の濃淡の家と、それぞれ筆のタッチ一発で描かれた木々や下草。
それを見た瞬間、「あ、やばい」と自分自身が思った。これはハマる。抜けられないな、と。自分が嫌っていた表現におそらく近いものを、自分自身が体験してしまった。

この人はものすごく絵が上手な人だったのだ。微細で確かなデッサンを、田中一村のごとくに決めて描く。一本の確かな線を、ためらわずに描く。光の面で絵を構成する能力を持つ。そして、それらで描いた一つの絵を、再生産する能力を持っている。彼は天才的に上手な職人だった。

一枚の絵を、ドラフトスケッチから習作を経て完成画まで並べた展示から、彼の技量と、なにをどう整理したか、思考の過程がわかる。いい展示だと思った。

会場を去りがたく、3度出口から戻った。Bunkamuraでの展示は終わったが、2009年1月4日〜3月8日は愛知県美術館、その後2009年3月17日〜5月10日は福島県立美術館を巡回する。お薦めの展覧会である。

木曜日, 1月 01, 2009

謹賀新年



万葉集、大伴家持の歌。これが同集の一番最後の歌だというから、それにまた感心する。