日曜日, 5月 03, 2009

「伽羅先代萩」

「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)

建て替えられる木挽町の歌舞伎座(恐ろしく見目のよくない建物になるらしい…)のさよなら公演の一環として4月に上演されていた。
仙台伊達藩の御家騒動の実話に基づくという。若君を守る乳母・政岡とその子千松の物語が見せ場。

御殿の場。毒入りの菓子を察知し、飛び出して来て若君を守り、敵方の八汐(仁左衛門)に刺される千松。直前に政岡(玉三郎)と八汐の掛け合いで子供の存在を忘れていたところにいきなり飛び出して来て菓子箱を蹴散らし、さらに八汐に刺されるのでどきりとする。
刺されている我が子千松を目の前にしながら、若君を守り、立場上手が出せない政岡と、その千松を何度も刀で刺してなぶり殺しにする八汐。八汐がえいっ、と刀を動かすたびに千松が「あーっ」と悲鳴を上げる。
子供のなぶり殺しをプレゼンテーションしてみせるけれん味の歌舞伎らしさと、鬼のような形相で我が子の死を眼前にしながら、しかし若君を守って一歩も動かない玉三郎の演技に感心する。その後に、我が子の死と直面する場の演技にも。
以前に「寺子屋」という演目について、主従の関係から主を守るために我が子の首を差し出すことについて、その異様さを話したとき、とある歌舞伎の見巧者から「親子は一代、夫婦は二代、主従は三代」と教わりました。なるほどなあ、と再びそれを実感した次第。

玉三郎がきっちりとした作法で茶道具を扱うのにも感心。さらにその場で片手一つで座ったままくるっ、と回るのにはさすがだなあ、と思った。あれは並の茶人にはできない。:)

土曜日, 5月 02, 2009

トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」



同時期に西洋美術館で開催されていた「ルーブル展」には、もう一つ惹かれるものがなかった。デカルトの肖像画と、以前にも観たことのあるジョルジュ・ド・ラトゥールと、カルロ・ドルテの宗教画がよかったかな、という感じだった。
西洋美術館で企画展が外れた時は(もちろんそうでなくとも)常設に行くのがよい。あそこの常設は本当によい絵が多く、それだけでも十分に満足できる。今回もそちらに入ったのだが、何か一つたりない。あの天井の高い部屋はどこへいった? ということで館内の案内の人に聞いたところ、それは新館で現在は休館中とのこと。なるほど。どこかで見たことがあると思ったカルロ・ドルテは、こちらの常設に2点があったのだった。

そしてBunkamuraへ行った。トレチャコフ美術館展である。
20年以上も前にモスクワに行った時に、この美術館は休館であった。そこに何が収蔵されているかをよく知らなくて、同じツアーの女性がレーピンを観たいのだ、と話していたのを思い出した。
それもあって、行ってみることにした。

「Unforgettable Russia」と題された展覧会。行ってみるとそれはまさしく忘れ得ぬものになった。

実業家パーヴェル・トレチャコフがほぼ一人で集めたという、ロシアの優れた絵画たち。
そこには、なくなるべきでなかったもの、いま一番あって欲しいものがあった。シンプルでナチュラルな美しい風景。農奴と貴族の二層社会で、共産革命さえ起こして変えられなくてはならなかった場所には、しかしこういう美もあったのだ、と、これをなくさすに世界が美しくいられる方法はないのか、と考えさせられるのであった。

懐かしいネヴァ川の風景。ロシア的民族衣装そのままの鳥追い。楽しげな食事の後の語らい。ターナーのような風景画。ロセッティのように耽美的なクラムスコイの少女。見覚えのある柄のキルギスの鷹匠の衣装(2007年にパミール高原まで行った時に、こんな図柄の民族衣装を見たことがある)。幻想的でクールでモダンな月夜のエルプルース山。印象派のようなレヴィタンの農村風景。シド・ミードのデザイン画の様なアルヒーホフの「帰り道」。レーピンの数々の肖像画。そしてロシアのモナリザ、クラムスコイの「見知らぬ人」。その他数々の美しい風景画の数々。

新しい宝を一山発見した感じがした。お薦めである。

テレビドラマ「花の乱」

「花の乱」

そもそもの始まりは、世間でよく言われる「京都人の口ぐせ」であった。「京都でこの前の戦(火事)いいましたらな、応仁の乱のことですのや」

それで応仁の乱をwikiで調べた。室町時代、八代将軍足利義政の頃、将軍家の跡継ぎ問題をめぐる足利義政・正妻日野富子の、細川勝元・山名宗全の反目と、それらを背景にした代理戦争としての畠山家の跡目争いから内戦となり、京都市中は市街戦でほとんど灰燼に帰してしまったとのこと。これが戦国時代の始まりとなった。

何か本はないか、探してみたら司馬遼太郎の「妖怪」があった。日野富子と今参の局(いままいりのつぼね:義政の乳母にあたる幕府内の権力者)の反目を妖怪を間に挟んで描いてある。これでだいたい話の流れがわかった。

なにか映像作品はないか。そこで「花の乱」である。

これもwikiで孫引きして見つけたのだが、それによれば、歴代のNHK大河ドラマでは最低の視聴率であったとのこと。「まあちょっとだけ観てみるかな…」と思って、最初の一枚をレンタルした。

これが大当たりであった。

なるほど視聴率は上がらないだろう、と思われた。まずは話が複雑である。主人公は三田桂子演じる「現在時の」日野富子(足利義政の正妻)であるが、それがいきなり現在時と、15歳の頃(松たか子)と、さらに幼年時をいったりきたりしながら話を始める。最初の数回を通じてこれらは現在時に収束し、日野富子と一休禅師のもとにあった森侍者が、入れ替わった姉妹だとする仮構が説明されるが、その後もときどき過去のエピソードが挟まれる。

その後もストーリーは複雑に推移し、深慮謀略の末にあちこちで協力・敵対関係が変わる。戦となり、街が焼け、人が死ぬ。
しかも、物語の最後は、戦国時代の混乱の幕開けである。荒廃した京都の都の中を、主人公日野富子がとぼとぼといずこへともなく去って行く。暗い空にはオーロラと皆既日食の太陽。どこにも救いのない世界。これでは一般受けはしないだろうな、と思う。当時のテレビ制作はよほどに世間受けなどを考えずに作っていられたのだろうか。

他方、役者はどれも、これ以上ないくらいのぴったりのはまり役である。妖艶な今参の局にかたせ梨乃、足利義政に市川新之助と市川團十郎(当時)、エリート武士・関東管領細川勝元に野村萬斎、武家そのもののような守護大名山名宗全に萬屋錦之介、富子の母親・日野重子に京マチ子、などなど。
中でも特筆すべきは山名宗全役の萬屋錦之介である。先読みの鋭い政略家として、武家とは何たるかを如実に示してみせる。
個性満々とした役者たちが、好き勝手に自らの個性を発揮し、その全体が混乱した時代の混乱した出来事の推移を雄弁に物語っている感じであった。

物語の最後近く、山名宗全も細川勝元も既になく、将軍も九代足利義尚の時代となる。母富子の過保護と専横でスポイルされ、世間知らずの戦好きに育った義尚と母富子の関係と、そこに出来する不幸は、なにやら三田佳子自身の家庭の問題ともつながるような気がして、不思議なリアリティがあった。

タイトルシーンの作りが面白かった。花の精を模した能装束の踊り手が合成だが夜桜の下をこちらに歩いてくる。その桜は、実は逆回しに撮られていて、花びらが下から上へ散っている。
その音楽も美しい。大河ドラマシリーズのなかでもベストの部類かもしれない。

衣装などのゴージャスさも、今時のドラマとは比べ物にならない。

ほほえましいのは、あちこちの館で催される能と狂言のシーンで、踊りを観ているのが市川團十郎、萬屋錦之介、野村萬斎である。観ている方は何やらにやにやしているように思われるし、踊る方は踊りにくかったであろうと思う。:)

視聴率がどうのこうのというより、特筆すべき面白い作品であると思う。複雑なストーリーとジューシーな中身を求める方にはお薦めである。