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日曜日, 8月 16, 2009

緑と紫: Purple and Green



緑と紫の組み合わせはとても日本的に感じられる。なつかしい。

The combination of purple and green looks very Japanese. I feel some nostalgia from it.

月曜日, 9月 29, 2008

京都北山行

Blogでレイアウトするのは結構むずかしいものだ。このページは後で書き換えるかも。


日が相前後するが、体験参禅の数日のあと、帰る前に北山方面を散策した。

トロッコで嵐山へ下り、友人達と京都市内を散策してから、宿泊場所の仁和寺御室会館へついた。
時刻は既に夕方で、日暮れまであちこち撮影した。
木々はほんのわずかに紅葉が始まっていた。逆光下での露出の実験のような状態だった。何かはよく知らない像も、手元の金色の光をいかに記録するか、という興味で何度も条件を変えて撮影した。
















翌朝は勤行を見学する。見学者は一般非公開の、国宝の金堂を見ることができる。それが目当てである。










同じ御室会館に宿泊していたこの女性は、すっくと立って歩いて来て、きちんとした作法で護摩を焚き、金堂を見学した後に写真をいくらか撮って行かれた。このあたりでは旅行者としては一般的なジーンズでもなく、すっきりとした姿ですっきりとしていられて、やたらと格好よかった。暫く眼が離れませんでした。はい。


まだ朝早く、朝食の時間まで、ふたたび露出を気にしながらあちこち撮影しつつ過ごした。朝の光だと2EVマイナスくらいが、視覚の印象と似ているな、と思った。





















仁和寺の御殿に入った。宿泊者はここは無料で見られる。開館してすぐなので、まだ人は殆どいなかった。
中はまさしく平安の御殿で、このような廊下を宮廷人達が行き来したのだろうと、リアルに思うことができた。





仁和寺を出て59番のバスに乗って龍安寺方面に向かった。なぜか龍安寺は今回はスキップしたくなって、金ぴかの金閣寺を見たいと思った。高校時代にここには来たのだと思うが、なぜか金ぴかだったのを覚えていない。そのありさまを一度は見てみたいと思った。
10時ころに着いたとおもうが、中は既に観光客で一杯だった。堪え難い喧噪。写真を数枚撮って、10分もしないで入口側から退散した。



再び59番のバスに乗り、千本北大路で6番線に乗り換えて鷹峯方面へ向かった。行き先は光悦寺。

桃山から江戸初期のユニークなクリエイター、本阿弥光悦はこのあたりに居住していた(というより家康からそう命じられた。)
茶の美を愛でるものとしてはこの人を敬わないわけにはいかない。白洲正子氏の住んでいた武相荘を訪れた如くに、ここも一度は来てみたい場所だった。



既に喧噪の世界と化している京都市内では感じることのできない、いにしえもそうであっただろう閑静さを、ここで初めて感じることができた。風にそよぐ木々の音、どこかしたの法から聞こえてくる小川のせせらぎ。来てよかった。

光悦垣の辺りの楓はわずかに色づき始めていた。



鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰のうち、これは鷲ヶ峰。
手前が光悦垣。






ここで暫くを過ごし、その時読んでいたのは源氏物語である(与謝野晶子訳)。あまりにハマりすぎていて少し気恥ずかしくはあるが、ここに来る前、禅寺に行く前から読んでいて、これしか持って来ていなかったのだから仕方がない。とはいうものの実に豊かな時間になった。




光悦寺を出てまた6番線に乗り千本北大路に戻り、101番線に乗り換えて大徳寺へ行った。門前に味噌松風の店があったようだが、何となく通り過ぎた。
東側から龍源院に入る。すぐ前に入った人が、きちんと整えられた砂の上に解説書を落とす。。連絡でお坊さんが回収に来た。





井戸のようだ。












龍源院を出て、北側の高桐院へ入った。入口から中は楓のトンネルのようになっている。光に透けた青楓がとても美しかった。
















建物には、利休の書院が移築されている。ごく当たり前の六畳と八畳の居室である。







高桐院を出て大徳寺を北に抜けると今宮神社がある。ここの名物はあぶり餅である。一皿500円を楽しみながら、北山行の終りとなった。この後京都駅から関西空港へ発った。

火曜日, 3月 04, 2008

木村伊兵衛展 『街角/秋田』




東京工芸大学・写大ギャラリーで開催されている。ここはシリーズで木村伊兵衛をやっているらしい。日曜日の朝、ちょうど開館きっかりに到着し、まるで私のために会場を開けてくれたようだった。:)

彼はライカを使う。その機動性を活かして一瞬で構図を決めている。その直感、インスピレーション、ファインダをのぞく集中力に感心した。スナップショットのようでありながら(実際そうなのだが)、現代人のそれとは全く狙っているものが違う気がした。

彼はまためんくいでもある。中に美女数人が写っている。そのうち二人は東北のエキゾチックな感じの女性たち、もう独りは浴衣女性を背後から撮影した横顔だ。これも一瞬を捉えた隠し撮り的であるが、撮影した時の彼の気持ちがわかるような気がした。「わかるよ…」

最近の東松照明の写真展でも感じたが、過去に興味を持つ自分がいる。そのこと自体が不思議だ。

月曜日, 12月 31, 2007

水曜日, 10月 24, 2007

「熊野・雪・桜 鈴木理策」東京都写真美術館

これも終わった展覧会である。

作者がフィールドとしている熊野の写真だが、そのプレゼンテーションの方法に裏をかかれた。それを面白がるかどうかは見る人による気がするが、私は意外性を楽しんだ。

雪の風景の写真が、真っ白な展示室に展示してあったのだ。写真その物をみる、というよりは、その雪のような空間に飛び込んで虚を突かれたようになっている観客を含めた「その場」を観察するのが楽しかった。ちょうど展示室のある一ヶ所に立つと、その部屋への入り口と出口が隠れてしまい、全体が真っ白な空間になってしまうので、そこからみるのが一番良い感じであった。

「だまされたよ」という感じなのだが、まあ楽しいだましだったのでよしとしよう。
なので展観と図録では、見ている写真のイメージがだいぶ違う感じがした。