火曜日, 12月 23, 2008

「古都」川端康成




「古都」川端康成:例によってなにがきっかけでamazonに注文したのかわからない。なぜ注文したかわからない本がある日突然amazonから届く。もうこの状況は楽しむしかない。:)

朝日新聞に連載されたという小説。京都の四季の中で、互いの存在を知らなかった双子の女性が出会う。
単行本化された時のあとがきによれば、川端が睡眠薬の多用から回復の初期、もうろうとした状況で書いたとのこと。単行本化に際して集中的に直されたという京言葉が美しい。その雰囲気と、京都のイメージが楽しめる本。
映画化もされている

土曜日, 12月 06, 2008

「アズールとアスマール」



はじめは何がきっかけだったか確実でないのだが、たぶんピーター・バラカンさんがやっている東京ミッドタウンのポッドキャストだったような気がする。誰か音楽プロデューサーかなにかの人が来ていて、「今面白い音楽」ということで中近東系のミュージシャンを挙げていた。その中の一人が「スアド・マシ」という人。
全然知らない人だったのでiTuneStoreで調べた。そうしたら「アズールとアスマール」という映画のテーマソングを歌っていた。allcinemaで映画を調べた。たぐっていくとそれはスタジオジブリが日本語版を作成していた。ふむ。
それをツタヤDISCASで借りて観た。

おそらくヨーロッパに来ているアラビア系の女性が、乳母として白人で青い眼のアズールと、自らの黒い眼のアスマールを、兄弟の様に育てる。二人は囚われのジンの妖精の話を乳母から聞き、大きくなったら妖精を救いに行こうと心に決める。
少年になると、アズールはアスマールと引き離され、乳母とアズマールは土地を追われ、国へ追い返される。

だが大きくなったアズールは子供の頃の決心を忘れなかった。ジンの妖精の住むというアスマールの国に向かうが、そこは「青い眼は不吉な呪いの印」と白人を忌み嫌う土地だった。そこでアズールはアスマールと再び出会い、ジンの妖精を救い出す旅に出かける。

オリジナルの映像はフランス語とアラビア語で進んで行く。日本語版ではフランス語が日本語に置き換えられているが、アラビア語はそのままである。しかもフランス語版でも日本語版でも、アラビア語の会話には、いっさい翻訳も字幕もつかない。
価値観や差別の逆転した異国の、通じない言葉が日常的に話される世界がそのままに表現され、ファンタジーに不思議なリアリティを与えている。

フラットに描かれた3Dのキャラクターと2Dの背景が、面白いアニメを生み出している。アニメとして自然で、かつゴージャスである。

ストーリーの最後のペアリングの関係の妙が作者の世界観を表している。

「アッサラーム・アレイコム」「アレイコムアッサラーム」とキャラクター達が挨拶する。この二つの言葉は、昨年私がカシュガルへ行くにあたって覚えて行った数少ないウイグル語であったが、それはこの世界でも話されていた。懐かしく、親密で、面白い。

どうもこれから沖縄では上映されるらしい。先にDVDで観てしまった。。

木曜日, 12月 04, 2008

マジカルミステリーツアー「vol.1541 ファイヤーヨーコ/ストリッパー・ルポライター」

http://uruma.ap.teacup.com/magical/656.html

しばらくダウンロードしたままになっていたpodcast、「マジカルミステリーツアー」を聴いてみた、たまたまその回がこれだった。

ストリップにおける「花車」という方法のトレーニングのしかたという、相当過激な話題から入って行く。どんどん話が展開して行くが、そのうちに、このファイヤーヨーコさんが、自らが支援していた?沖縄在の動物愛護を標榜していた団体が、実は保護した動物にえさもやらずに閉じ込めて、餓死などさせていたことを偶然に彼女自身が発見、写真撮影し、そのまま告発のための活動を起こすと共に、自らがアパートを借りて虐待されていた動物の保護をすることになってしまったことを語る。それがもとで沖縄に移住し、さらに必要な時は自らのストリップの芸で動物のえさ代を工面することもあったという。

小説よりも奇なりとはこういうことなのかも、というユニークで興味深いトークである。お薦め。
今年9月26日の放送分だが、まだネットで聴けるはず。

水曜日, 10月 22, 2008

ポッドキャスト「LOHAS TALK」



J-waveのやっている「LOHAS TALK」というポッドキャスト(というかたぶんラジオ番組)がなかなか面白い。

何が面白いかといって、それはホストの小黒一三さんという方のキャラクターと話の持って行き方で、この方は雑誌ブルータスの編集を以前にされていて、今はSOTOKOTOの編集長をなさっているとのこと。「ロハス」とは銘打っているが、この人のキャラクターのせいで、タイトルからイメージするようなお行儀の良いトークではなくて、かなりディープでどこかオフセット、オブフビートな話になる。そこのところが面白い。

お薦めです。

日曜日, 10月 19, 2008

「源氏物語」与謝野晶子版



自分が日本の古典の超大作を読破? まあまずはそれが嬉しい。

恥ずかしながらこの物語を読み通したのは今回が初めてである。与謝野晶子版を、上巻は文庫で、それ以降はiPod touchのFileMagnetに青空文庫版を転送して読んだ。FileMangetは画像ファイルも転送して読めるので、ネット上にある源氏物語の家 系図もいくつか転送し、人間関係が混乱するとそれを参照しながら読んだ。こうして使ってみるとこのiPod touchは非常に便利である。

とても面白かった。そう思えるまず第一は現代語訳になっているからで、そうでもないと全く手が出ない。教養のなさに恥じ入るところである。

女流文学、というものをこれまで意識したことがなかったが、この本には人間関係の機敏の捉え方やストーリーの展開とその中の山場の位置、中に現れる男たち の全般的ないい加減さなどに「女性の視点だな」と新鮮に感じられるところがいくつもあった。気がつけば読んで来たフィクションで女性によるものといえばパ トリシア・マキリップ、J.K.ローリング、L.M.ビジョルドくらいで、しかもみな翻訳物。これではねえ、という感じだ。



前から持っている「源氏物語みちしるべ」という本があるのだが、本文のハイライトの原文・解釈、当時の生活の状況や地図、位階など、源氏物語の周辺情報がコンサイスにまとまっていて、なかなかよい本である。

読み終わってからあらためて、五島美術館での源氏物語絵巻の展観図録など、手持ちの関係書籍などを見渡しながら、読み知ったことを自分の過去の知識の枠組みとつなぎあわせている。これがまた面白い作業で、知的作業の醍醐味を感じている。

金曜日, 10月 10, 2008

iPod touch

iPod touchを買った。



当たり前だが、一番重宝しているのはビデオポッドキャストをちょっと時間の空いた時に見られること。


で、意外にも次が何かというと、テキストが読めること。FileMagnetというアプリ(600円)を入れると、そこそこいろいろなフォーマットの書類を転送し、読むことができる。スクリーンショットは、青空文庫からとって来た源氏物語(与謝野晶子現代語訳)をUTF-8に変換して表示しているところ。一緒に光源氏の家系図も3枚とって来て、ときどき確認のために見ている。



写真は当たり前と言えば当たり前。自分が撮った写真をいつでも見せられるのが嬉しい。



楽しいし、いずれ絶対役に立つのがこれ。プラネタリウムあるいは星座早見板。夜間モードで黒字に赤線だけにもすることができる。

住んでいるところの近くには公衆無線LANはあまりないのだが、上京したりすると役に立つだろうと期待している。

水曜日, 10月 08, 2008

10行アコースティックライブ

沖縄市のMoon Daughter10行のライブがあった。といっても今回は「アコースティック」バージョンで、ボーカルのカリミさんとキーボードのヤッシーさんの二人だけ。
20人限定、なんてカリミさんがいうので、しかも10行のあの曲をピアノだけで?、というのにも興味を惹かれてさっそく予約した。



実は場所をまるっきり勘違いしていて、最初は首里の辺りだろうと勝手に考えていた。当日頃になってGoogleで場所を調べてみればそれは沖縄市。遠い。。まあしかしアコースティックの10行、というものの興味が勝って行くことにした。



結果、それはとてもよかった。

10行の曲はどれも、そんじょそこらの沖縄のバンドの曲より遥かに複雑度精密度が高いので、聴く方がそういうことに興味があると面白いが、普通に軽く聞きたい、といった聴衆にはすこしわかりにくいところがある。鼻歌にしにくい、というか、カラオケで歌いにくい、というか、そういう感じ。ジャズやらフュージョンやらドビュッシーやらストラビンスキーやらが好き、という人にはばっちりの曲たち。

それをピアノオンリーとボーカルというフォーマットで演奏すると、そのシンプルさで曲の複雑さがうまいこと乗り越えられていて、親近感が高く、カリミさんの声のよさがはっきりと出て来て、とてもいい感じだった。



ヤッシーさんは元の曲の複雑さを十分にカバーしながらピアノだけのちょうどいいフォーマットに置き換えていた。たぶんキース・ジャレット好きそうな彼の実力をあらためて感じた。



カリミさんの声の力、美しさが前面に出ていて、それを堪能できてうれしいライブだった。

このフォーマットで年末まで何度か?ライブがあるらしい。(直近は10/11の那覇祭りだそうな。)豊かな声の、ちょっと普通と違った音楽を聴きたい人には、お薦めです。

月曜日, 9月 29, 2008

京都北山行

Blogでレイアウトするのは結構むずかしいものだ。このページは後で書き換えるかも。


日が相前後するが、体験参禅の数日のあと、帰る前に北山方面を散策した。

トロッコで嵐山へ下り、友人達と京都市内を散策してから、宿泊場所の仁和寺御室会館へついた。
時刻は既に夕方で、日暮れまであちこち撮影した。
木々はほんのわずかに紅葉が始まっていた。逆光下での露出の実験のような状態だった。何かはよく知らない像も、手元の金色の光をいかに記録するか、という興味で何度も条件を変えて撮影した。
















翌朝は勤行を見学する。見学者は一般非公開の、国宝の金堂を見ることができる。それが目当てである。










同じ御室会館に宿泊していたこの女性は、すっくと立って歩いて来て、きちんとした作法で護摩を焚き、金堂を見学した後に写真をいくらか撮って行かれた。このあたりでは旅行者としては一般的なジーンズでもなく、すっきりとした姿ですっきりとしていられて、やたらと格好よかった。暫く眼が離れませんでした。はい。


まだ朝早く、朝食の時間まで、ふたたび露出を気にしながらあちこち撮影しつつ過ごした。朝の光だと2EVマイナスくらいが、視覚の印象と似ているな、と思った。





















仁和寺の御殿に入った。宿泊者はここは無料で見られる。開館してすぐなので、まだ人は殆どいなかった。
中はまさしく平安の御殿で、このような廊下を宮廷人達が行き来したのだろうと、リアルに思うことができた。





仁和寺を出て59番のバスに乗って龍安寺方面に向かった。なぜか龍安寺は今回はスキップしたくなって、金ぴかの金閣寺を見たいと思った。高校時代にここには来たのだと思うが、なぜか金ぴかだったのを覚えていない。そのありさまを一度は見てみたいと思った。
10時ころに着いたとおもうが、中は既に観光客で一杯だった。堪え難い喧噪。写真を数枚撮って、10分もしないで入口側から退散した。



再び59番のバスに乗り、千本北大路で6番線に乗り換えて鷹峯方面へ向かった。行き先は光悦寺。

桃山から江戸初期のユニークなクリエイター、本阿弥光悦はこのあたりに居住していた(というより家康からそう命じられた。)
茶の美を愛でるものとしてはこの人を敬わないわけにはいかない。白洲正子氏の住んでいた武相荘を訪れた如くに、ここも一度は来てみたい場所だった。



既に喧噪の世界と化している京都市内では感じることのできない、いにしえもそうであっただろう閑静さを、ここで初めて感じることができた。風にそよぐ木々の音、どこかしたの法から聞こえてくる小川のせせらぎ。来てよかった。

光悦垣の辺りの楓はわずかに色づき始めていた。



鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰のうち、これは鷲ヶ峰。
手前が光悦垣。






ここで暫くを過ごし、その時読んでいたのは源氏物語である(与謝野晶子訳)。あまりにハマりすぎていて少し気恥ずかしくはあるが、ここに来る前、禅寺に行く前から読んでいて、これしか持って来ていなかったのだから仕方がない。とはいうものの実に豊かな時間になった。




光悦寺を出てまた6番線に乗り千本北大路に戻り、101番線に乗り換えて大徳寺へ行った。門前に味噌松風の店があったようだが、何となく通り過ぎた。
東側から龍源院に入る。すぐ前に入った人が、きちんと整えられた砂の上に解説書を落とす。。連絡でお坊さんが回収に来た。





井戸のようだ。












龍源院を出て、北側の高桐院へ入った。入口から中は楓のトンネルのようになっている。光に透けた青楓がとても美しかった。
















建物には、利休の書院が移築されている。ごく当たり前の六畳と八畳の居室である。







高桐院を出て大徳寺を北に抜けると今宮神社がある。ここの名物はあぶり餅である。一皿500円を楽しみながら、北山行の終りとなった。この後京都駅から関西空港へ発った。

日曜日, 9月 28, 2008

「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」Bunkamura ザ・ミュージアム

「オフィーリア」だけを観に行った。…つもりだった。



会場へ着くとすたすた、ずんずんと中に入り、オフィーリアを探した。にもかかわらず、おしまいまで歩いて行って見つからず、もどってくると第一室にあった。思いのほか小振りの絵で、見逃したのだった。
オフィーリアは、本などで見たそのままの絵であった。緑の発色が素晴らしい。
私の陶芸の師匠が作った茶碗がある。今は知人の所有となっているが、これが大変な化け茶碗で、言葉で表現するのが難しいのだが、流れ出した釉薬の色を見ていると、このミレイの絵の緑と、水面に浮かぶ花々の色を連想する。
狂気に憑かれたオフィーリアは川に落ち、確かな意識も定まらぬ表情で、半ば死の気配の見える姿で浮かんでいる。その表情と絵の美しさに感心して、しばらくそこにいた。

イギリスらしい気がするのは、絵にかけられたカバーのぞんざいな拭き上げ方。ガラスがあるかないかわからないようなクリアさだったダヴィンチの受胎告知(ウフッツィ美術館蔵:国立博物館にて展観)のときとは比べ物にならない。
また、この絵の額の上の縁の開閉金具のようなデザインは何?、と言うようなことも不思議に思った。
一息ついてから、さてこれで目的は達したし帰ろうか、などと簡単に考えながら先を見て行ったのだが、実はミレイはまったくそんな簡単な人ではないのだ、ということがわかった。

私の知るミレイは、「ラファエル前派」という、当時のいわばアート悪ガキ集団の一人としてのものだった。当時のアカデミーの絵画技法や考え方に不満を持ち、ダンテ・ガブリエル・ロセッティらといろいろと変わったことをやったメンバーの一人。古典絵画とちょっとずれたテーマを耽美的に描き、美しく、主張が曖昧な絵画たち。
しかし、元々絵の才能が秀でていた彼は、その後の長い人生の間に彼自身の展開をしていたのだった。技法的には古典絵画を踏襲し、精緻化して行きながらも、概念的な古典性から離れ、当時的な現代性のある、美しく、親しみのある作品へと進化している。絵画の正常進化そももののような変化を遂げている。
「主張が曖昧に見える」のは、まさしくそれを意図して描かれているのであった。

印象派のような技法に行く手前の古典的領域で、絵画がどこまで美しくなり得たのかを示しているような、高貴で優雅な美を提示している。

結局、普段は使わない音声案内を借り出し、全部を改めて見直した。最近はあまり買わない図録も買った。知っていたはずのものがもっと凄かったのを知った、という至福の時間であった。

そしてまたオフィーリアに戻る。情報を知的に入手することは、絵そのものを見る時は邪魔な時もある。二度目のオフィーリアは、最初ほどの感動をもたらさなかった。明らかに知が邪魔している。そのことを実感した。
が、再び感動は戻って来た。それは、絵の下の端に描かれているものが見えた時だ。水草から水面に咲いた白い花は、つい先日、保津川下りで実際に目にしたそのものであった。その実感がよみがえったとき、ライブな絵の感動が再び私に訪れた。



もうこの絵のことは絶対に忘れない。ようやく、私は満足してその場を離れることができた。

月曜日, 9月 22, 2008

京都座禅行




なぜに坐禅? 理由は大きく二つある。
まずは茶道を習っていること。茶道と禅はとても近い関係にある。それで体験してみたい、と思った。
もう一つ。今、ITのトップギークたちがさまざまな観点からITに浸かりきったライフスタイルを見直している。GTD,ライフハック、などといろいろと表現されているものの近辺のことである。「うまくITから遠ざかる」ことが、ここでのテーマである。
そこに「Mind like Water」という言葉が登場する。「水のような心」。典型的にはこのURLにある書籍に書かれていることと関係しているようだが、私はその本を読んだわけではない。むしろ、そのようなものの一表現系が禅ではないか、と考え、それで禅に近づいてみたいと思った。

そこで体験修行である。



まずはどこでできるかとリサーチしてみる。言うまでもなくトップに上がってくるのは、開祖道元の修行を伝える曹洞宗大本山、福井県の永平寺である。ここが3泊4日の体験参禅を受け入れている。午前3時起床の坐禅と修行の一端に参加することになるらしい。「参禅を志す方は、本山の日課と、雲水の日常生活に準じた修行をします。特に厳格である為、興味本位で上山すると挫折します」と書いてある。
ついでに少し禅自体についてもリサーチしてみる。鈴木大拙の本をいくらかと、永平寺雲水を体験した野々村薫氏の「食う寝る坐る 永平寺修行記」を読んだ。本物の雲水とまるで同じということはないだろうが、日課がかなりきつそうなのと、沖縄から行くと前後泊が必要になるので5泊6日というスケジュールになってしまうのに少し躊躇した。それで京都辺りでどこかないか、と探して「宝泉寺禅センター」という場所をみつけた。よし、こっちでいってみよう、ということで申し込んだ。



それは大正解であった。
スケジュールその他はwebにあるのでここには詳しく書かないことにするが、坐禅のプロセスと、それに向かう態度は正しく教わった気がする。午前5時過ぎからの、薄明から徐々に明るくなって行く朝の坐禅と、灯りを暗くした夜のそれは、かすかな香の薫りと、風や鳥や虫の声以外には音のない世界で自分を無に虚にして行く作業で、とても意義深いものであった。

そしてもう一つ、「人はこうして生きて行くのだ」という根本的なプロセスをあらためて認識した気がする。
パソコンも持って来ていない。ネットもテレビもみない。携帯もオフ。朝起きて飯を食べ、課せられた仕事をし、坐禅という形で自らと世界を観ずる修行をし、感謝すべきものに感謝して寝る。それだけ。
その生活の中に、人としての喜びが、確かに、ある。テレビのバラエティショーを見て誰かをあざけて笑う必要などない。来ている仲間同士でいろいろなことを話したり、ほんの一部だけが赤く色をつけたもみじ葉のそよぐのを見たり、そこにきらりと光が反射するのを見つけたりすると、テレビの無意味な笑いなどよりはるかに質の高い喜びを感じる。こういうことが生きることなのだ、と感じた。



さらに。禅寺での日常の作務は、その成り立ちからGTDそのものであった。毎朝、今日やることを決める。手持ちのリソースと、そのリソースが持つモチベーションを、行動すべきアクションアイテムとマッチさせ、その日のうちに「やってしまう」のだった。その意味で朝のミーティングがとても興味深いものだった。

ここでは昼食後から午後の時間が夕方の薬石まで4時間ほど自由に使える。私はある日は図書室にあった美術展の図録を読み、別の日は近くの亀岡から出発する保津川下りに加わった。

とても有意義な体験であった。

日曜日, 8月 17, 2008

「アンソニー ベイルートを喰らう」



ケーブルテレビなどでディスカバリーチャンネルを観られる方にお薦めする。

「アンソニー **を喰らう」は、罪のない観光兼「食」の番組である。ホストのアンソニーは、NYのレストランのシェフらしいが、世界のあちこちに旅をして、三ツ星グルメから町の屋台までいろいろと食べ歩く。先日は大阪の食い倒れ街を紹介していた。

番組の最初を見逃したが、彼は今回、レバノンの首都ベイルートにいた。普通の料理紹介番組を制作放送するはずだったのだろう。
ところが、状況が違った。

滞在中に南部?で、イスラエル兵が殺害・拉致された。それを喜ぶヒズボラ支援派のベイルート市民を彼らは撮影しているが、その時にも彼らの現地サポートがいう。「報復があるだろう。」
そしてそれは現実になった。空港が爆撃され、滑走路が使えなくなった。脱出路を失ったまま、戦争状態に巻き込まれたのである。

現地コーディネイターなどが次々といなくなる中、彼らは外国人用?のホテルに避難し、高台のプールサイドから、眼下の街並が爆撃される様を目撃することになる。わたしは「ホテル・ルワンダ」を思い出した。舞台となったあのホテルの状況だ。
彼らはそのホテルで周囲の状況をレポートし、ブッシュの無能に憤慨し、9日目に米軍の上陸用舟艇と戦艦?ナッシュビルで現地を離れる。

お気楽?な撮影チームが戦争状態からのbailoutを記録することになったのだ。そこのところの、一般的な戦争報道との目線の違いが、番組を興味深いものにしている。
再放送もあるので、この回はぜひご覧頂きたい。お薦めである。

「ダークナイト」




「ダークナイト」 クリストファー・ノーラン監督、クリスチャン・ベイル、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、ゲイリー・オールドマン、アーロン・エッカート、モーガン・フリーマン他

バットマンの映画にはあまり興味がない。ジョージクルーニーがでていたな、それからなんとかいう元コメディアンの人?、シュワルッネーガーが悪役、ジャック・ニコルソンの奇演が面白かった、などなど。アメリカンヒーローもので、テイストとしてはコメディチックなホラーなような、というイメージであった。まあテレビでやっていれば見るかな、といった感じ。

町山智博という人がポッドキャストをやっている。最近の彼の番組で彼がハリウッドの今について語っていた。いわくハリウッドはもうコミック原作ものか、漫画しか撮れない。アカデミー賞にしてもそういうものばかり。製作資金は投資銀行が握っており、彼らは外国人の投資家に知名度のあるコミックであることをキーに出資を依頼する。などなど。

そういう話を耳にしていたのと、今回の主人公をクリスチャン・ベールがやる、ということ(わたしは「アメリカン・サイコ」を見て以来、この怪しい雰囲気の俳優が好きなのだ)、この映画を撮り終わってから死んだヒース・レジャーという俳優が迫真の演技をしていてアカデミー賞候補になっているらしいことなどに興味を惹かれて観に行った。

ストーリーは、アウトローの正義の代理人、あるいは「必殺仕置人」としてのバットマンを描いている。その中でのヒース・レジャーは、やはり光っている。彼は死なずにいれば、本当に次のジャック・ニコルソンになっていたのかもしれないと思う。
町山智博が言っていたが、コミックものしか作れないことを逆手に取って、そこでシリアスな表現を試みた映画ということかもしれない。ヒース・レジャーを見るためだけにも行く価値のある映画だと思う。
おまけにマイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマンである。どおいうこっちゃねん?、という贅沢な布陣。ヒロインが一番、影が薄いかもしれない。

金曜日, 8月 01, 2008

「対決 巨匠たちの日本美術」展



東京国立博物館にて。タイトルどおり、日本美術の巨匠たちの作品を一堂に集め、対決させるという趣向である。

展示側の思惑はともかく、見る側の見方は人によっていろいろである。私自身にとっては「対決」という構図はどうでもよく、ただただそこにあるものたちのそれぞれの面白さが観たかっただけである。

実際、そのものたちをみれば、この展観は「圧巻」である。よくも集めたり、という感じだ。一時に様々なカテゴリーの秀作を、これだけのバリエーションで見られるチャンスはめったにないと言ってよいだろう。足を運ぶ価値が十二分にある。お薦めである。
6期に分けられた展示期間の最終タームである8/11から8/17には、宗達と光琳の風神雷神図が並ぶらしく、昨年?の出光美術館での出来事が思い出される。(プレゼンテーションの工夫でどちらの展観が美しく見えるかにも興味がある。)

茫渺としたイメージのある松林図屏風を描いた長谷川等伯の全く別の一面を知ったり、木喰と円空の明らかな違いがわかったりと、得るものの多かった展観だが、何より嬉しかったのは、これまでめぐりあう機会のなかった加賀光悦と、宗達の「蔦の細道図屏風」を見られたことである。いつかは観たいと思っていたものに偶然に出会うことができて、眼福・幸福であった。

図録はあえて買わなかった。最近は自分の中の発見が記録されているような図録でないと欲しくなくなっている。代わりに松林図屏風のミニチュアはがきを求めた。夏の間はこれを、若冲の鶴と入れ替えることにしよう。


この日は和装のチャーミングな女性が同行で、そのまま太田記念浮世絵美術館を回り、表参道の和装の店に立ち寄り、さらには夜は浴衣パーティであった。なんと和の一日であったことよ。

土曜日, 7月 19, 2008

ハードディスク分解、プラッターの傷

先日起動しなくなったノートパソコンルータから取り出したハードディスクを、廃棄するために分解したところ…



プラッタが傷だらけだった。(ふつうは一点の曇りもない、ピカピカの鏡のような状態。)なるほどディスクの読み書きができないのもむべなるかな、という状態。

廃棄するために分解したディスクはけっこうよく見かけるのだが、ふたを開けたとたんにこんな傷だらけのディスクを見たのは初めてだった。

土曜日, 7月 12, 2008

「べらんめえ芸者」




監督: 小石栄一 、出演: 美空ひばり、江原真二郎、小野透、志村喬ほか
江戸っ子芸者を美空ひばりが演じる1959年の邦画。DISCASのレンタル予約で届けられて来たのだが、何がきっかけでこれを見る気になったかはさっぱり憶えていない。しかしついこのあいだ「幇間の遺言」という本を読んでいて、そのままの世界が映画で演じられるのでとても興味深かった。セットかも知らぬが、この時代の日本の美しい映像も楽しむことができた。