金曜日, 6月 27, 2008

「蟹工船ブーム」への驚き

参照できるリソースはこちら。また「NHKニュース 蟹工船」でぐぐるとネットの話題になっているらしいこともわかる。

率直に、驚いた。「あれが再び読まれる時代になったとは」という驚きだ。

労働者が連帯する、団結する。社会にモノをいう。そういうことが、当事者、しかも若い世代に、まじめに再発見されている。
長野のオリンピック聖火騒動のときのデモと同じように驚いた。

こちらには、このブームに関する、ややペシミスティックな見方もある。もとの小説のプロレタリア運動との関係と、その核になった共産主義・社会主義の崩壊、管理社会における声をあげることの難しさなどを元に、革命ファンタジーへの現実逃避ではないか、としているわけだが、そう複雑なことでもないのではないか?、と思う。

そこまで行かずとも(というよりも、そこまでは行かずに)、社会にモノをいうこと、「自分だけじゃないんだ」と思うことや、人によっては連帯をすることを通じて他人を思いやることに気づいて、行動しているように見受けられる。

「連帯」や「団結」という言葉には「古くさい」イメージがある。それが今の社会だ。そこにあって、「『蟹工船』を越えて貧困を語るリアリティのある言葉を生み出せなかった」ことには、私も同意できそうな気はする。(もっとも大して本を読んでいないので、私にはそれを断言する自信がないが。)
「蟹工船」など読まれない社会の方がよほど幸福だろうことも、そう思う。

が、まあ、今の人たちはここからも何かをみつけて行くのではないだろうか。そのことには希望を感じている。

他方では、国営放送NHKがなぜこれを話題に?、とは思う。それほどブームになっている?

水曜日, 6月 25, 2008

別冊宝島1533 大江戸タブー事件史

別冊宝島1533 大江戸タブー事件史

先日書店で平積みなのを見かけて、ランチの暇つぶしにでも、と買った。これがなかなかよく出来た本だった。

表紙はいかにも「別冊宝島」という雰囲気の本だが、内容は江戸時代の事件・風俗・歴史についてわかりやすく書かていて、「江戸初心者」である私にはうってつけの入門書だった。

私のような「日本史さっぱり派」にはお薦めである。

土曜日, 6月 21, 2008

The Story of the Two Wolves

The Story of the Two Wolves - Living by Design Blog - Living by Design
The grandson thought about this for a minute and then asked his grandfather: “Which wolf wins?”

実にビューティフルな話だ。:)

火曜日, 6月 17, 2008

Chumby

Chumby Japan チャンビー・ジャパン

こりゃ面白そうだねえ。

エコロジーTVブログ:泡瀬干潟

自然環境放送局 エコロジーTV ブログ: 泡瀬干潟 ―その貴重な自然と埋立事業―(1)
沖縄市の東にある中城湾に面した泡瀬干潟。そこは礫干潟や泥干潟、藻場、サンゴ礁といった多様な自然の中に、絶滅危惧種を含む、さまざまな生物が生息している生物多様性に富んだ自然の宝庫です。その干潟で今、リゾート地や住宅地建設のための埋め立て工事が進んでいます。
ということで、泡瀬干潟に関するレポートのようです。

日曜日, 6月 15, 2008

APFポッドキャスティング再開か

APF ポッドキャスティング
APF LIVE 20080525 part1
「ジャーナリスト長井健司がしようとしたこと」(パート1)

今回のAPFポッドキャスティングは、去る5月25日、宮城県仙台市で行われたAPFトークライブの模様をビデオキャストでお送りします。

今回は初の試みとしてトークの模様をライブ配信しました。このビデオキャストでは、当日ご覧になれなかった方のためにオンディマンドでライブの模様をお届けします。
ということで、APFポッドキャスティングが再開したのかもしれない。ここは独立系?のメディアで、ポッドキャストも興味深いものが多いのだが、昨年、同社の特派員としてミャンマーで取材中に長井健司さんが殺害された後、ポッドキャストの配信が止まっていた。それが再開された、ということになるのかもしれない。

今ダウンロード中。どんな話だろうか。

「i-morley」最終回とライブ

i-morleyがポッドキャストを終了した。3年くらい続いたのだっただろうか。一応「夏休み」ということになっていて、その間は執筆などをするとのこと。9月になって復活する、とは聞いているが、実際はどうなるかわからない。その時の状況で変わるものと思っている。

Podcastというものに関心を持ったのは2004年から2005年頃だったと思う。RSSによるwebコンテンツの擬似的なpush配信(実際はRSSクライアントがRSSサマリを取りに行っているわけだが)の方法が前面に出て来て、音声コンテンツ、ビデオコンテンツの配信のあり方にも眼がいったころのことだ。
そのころからpodcsastをGoogleで探すと、i-morleyはかなり簡単に見つかる方だった。まだiTunesがpodcast RSSに対応していなかったのでiPodderを通じてコンテンツを取得していたと思う。

当時podcastは、特に日本ではまだ始まったばかりで、玉石混淆、有象無象あらゆるコンテンツが同じ土俵で対等に勝負をしていた。私のようなユーザーの観点からすると、まず落ちるのが「つぶやき系」で、日々のヨシナシゴトをだらだらとしゃべっているやつだった。こういうコンテンツはまた、高率に「あー」や「ええと」や「うー」や、そういう「しゃべり慣れない」人に特有の言葉が交じっていて、場合によってはそれが全配信時間の半分位を占めているようなものがたくさんあった。そのへんがまず、音声コンテンツの品質、というれべるでばっさりと落ちた。あとは録音技術とコンテンツのバランスで、録音はひどくても聴く価値のあるものは聴いているし、放送局で録音したような品質であっても、中身がすっからかんのやつは落ちるようになった。

その中でもi-morleyはダントツに面白かった。モーリーロバートソンという人の話し方の面白さ、言葉の紡ぎだし方のオリジナリティが、とてもよく現代を表しているように思った。またネスティングが正しい、というのか、話がどこかに展開して行くと、どこまでも行ってしまうようにみえてちゃんと元に戻ってくる、そういう頭の良さ、明晰さを感じた。
あとは、彼の過ごして来た道のせいなのか、世界の多方面を多面的に見ることのできる視点に強く惹かれた。まあ銀座の真ん中でベルギー産の高級チョコレートを食べながら、その生産国の労働者の搾取について語るようなあり方そのものが、この社会を体現しているような感じがして、ある種の共感をもったのだ。これは我々の立っている場所の正しい見方である。そのことの認識から始めないと、我々は世界を見誤るだろう、という警句のようなものを感じた。
様々な世界の矛盾を、自分(とは我々でもある)の立場の矛盾も巻き込んだ形で「伝える」ことをテーマとしているような番組で、面白く、というのか、自分のあり方についても日々考えるような感じで聴いていた。
私はほとんど彼のpodcastの一番最初近くから聴いている。最初は河野麻子さんが番組のパートナーであったが、そのうちに(レネ・ポレシュ演出「皆に知らせよ、ソイレントグリーンは人肉だと」の公演の取材の頃から相方が池田有希子さんに変わって、そのまま続いて来た。池田さんという人はバイリンガルで、話のノリがモーリー君とよく合うようだ。(ついでがあったので、わたしは「皆に知らせよ…」の公演も観に行った。)

そのi-morleyは昨年2月頃、チベットから新疆ウイグル自治区と、その後東南アジア(ベトナム・タイ・ミャンマー等)を旅し、Skypeなどを駆使して現地からpodcastを行った。(たまたま、私自身も、昨年夏は新疆ウイグル自治区に行った。)
そして、今年、北京オリンピックを前に起こったチベットでの争乱にi-morleyはどんどんコミットして行った。
その反動のようにして、いったんお休み、ということになったようだ。そして「ラストライブ」が行われた。
たまたま上京する用事の晩だった。どうみてもこれは縁だろう。ということでライブに参加した。

吉祥寺という場所に行くのは初めてだった。ちょっと早めについたので周辺をうろうろして時間をつぶした。たまたまみつけた古書店があり、愛知県陶磁資料館で行われた「茶の湯の美:五島美術館コレクション」の図録を買った。この図録は展示された陶器全ての断面図がついているのが面白いと思ったからだ。
時間になって入った。
彼はサージシンセサイザーというアナログシンセを使っていた。70年代に開発されたもので、彼が持っているのは90年代に特注したものだそうだ。それをCubeとよばれるデバイスでコントロールし、リアルタイムに音楽を作ってみせた。アナログシンセだというから、ビートはもともとプログラムしているのだろうと思うが、それにかぶさる「上もの」の音がCubeで変調されていく。普段番組のバックで鳴っている音がこうして作られているのだな、と、その音の良さとともに感心した。

ライブが終り、そのまま飲み会となった。モーリー君も最近は飲まないようにしていたというビールをすこし。
いろいろな裏話が聞けた。これからのプランについても。それらはいずれ明かされるだろう。楽しく過ごして、モーリー君とツーショットして、会場をあとにした。池田さんとは、お話しする間もなかったのが残念だった。

彼のような存在は貴重だ。今時なにひとつまともに情報を伝えない大マスコミとは全く違った視点からものごとを捉え、それを伝える。鈍りきった我々の頭では、まずはそのような視点があることの認識から始めないと、世界をうまく捉えられない。そういうメディアとして彼自身が果たしていた役割は大きいと思う。「もうそろそろ自分の頭で考えて」と彼は言うのだが、そういう「自分で考える人たち」が増えるには、まだまだ彼のような存在は貴重だと思う。

ということで、9月になったら、何が起きるのか、ウォッチして起きたいと思う。

過去のpodcastはまだ彼のサイトからたどれると思う。どなた様も聞いてご覧になることをお薦めしたい。
このような違和感の中に身を置くことも重要なことだと思う。

「川端龍子と修善寺」川端龍子記念館




上京の折、知人宅への道すがら寄り道して観た。

川端龍子は日本画家であるが、その画業の始まりに洋画家を志して勉強している。そのせいか、彼の日本画は、作風のダイナミックさとリアルさにおいて、普通の作家の作品とは異なる感じがする。
そのことを感じたのは、少し前に山種美術館でみた彼の小品からであったが(たしか掛け軸になった桜の木の部分だったと思う)、面白いな、と思っていた。
その龍子が第二の故郷としたという修善寺にちなんだ作品を中心とした特別展であった。本当にこんな形に作ったという楕円形のような生け垣の写真と、その日本画に興味を惹かれ、見に行った。

川端龍子記念館は大田区にある。あとから地図を見ると、以前に川瀬巴水の版画を観た大田区立博物館のすぐ近くであった。平和島からタクシーで会場へ向かった。「りゅうしきねんかん」といっても運転手さんにわかってもらえない。パソコンでGoogleMapを出して示す。「あーここね。はいはい。まえに『たつこきねんかん』って言われて行ったことがあります。」とのこと。いやいやこれはりゅうしでこの人は男性で日本画家で、というと、自分は青森の出身で棟方志功が、とか、「そういえばこないだ志功の自叙伝『板極道』を読んだんですよ」、などと運転手さんといろいろと話が弾んだ。
記念館はなかなか大きな建物で、大きな孟宗竹の垣根がある。また建物の下には補修材としてであろう、たくさんの孟宗竹がストックしてあった。

展観は充実していた。観たかったダイナミックな生け垣の絵と、さらに爆発的で洋画とも日本画ともつかない巨大な「寝釈迦」の絵。立体感が印象的な「伊豆の図」、遠慮しいしい描いたような「湯浴」などなど。またラピスラズリその他の岩絵の具の数々。山種美術館での小さな絵で感じたことがそのまま展開されたような感じで、そのことに納得しつつ楽しく観ることができた。

隣の旧川端邸を見てから、辞去した。見れば今日までの展観である。チャンスのある方にはお薦めしたい。

映画「外科室」泉鏡花・坂東玉三郎・吉永小百合




坂東玉三郎監督、吉永小百合、加藤雅也、他。泉鏡花の原作を歌舞伎の坂東玉三郎が監督して映画化したもの。50分の短い作品である。

ひたすら映像の美しさにうたれていた。横たわる吉永小百合の美しい姿、植物園の森の中を歩く男たちにかかる木漏れ日の模様の美しさ、適材適所の脇役たちの端正さ、そのたもろもろ。小石川植物園で撮ったということで、行ってみたいと思ったが、そのあたりを知る知人が言うには「幻滅するかも」とのこと。まあそういうものかもしれない。イメージはイメージとして持っておくのが人間の幸せというものかも。

端役のフリをして中村勘三郎(当時は勘九郎)、片岡仁左衛門などが出演している。坂東玉三郎の名前もあったので、本人もどこかに出ていたようだが、わからなかった。

ひたすら、当代一の女形歌舞伎役者の美意識にうなづきながら眺めている50分であった。

Firefox 3

先日来Firefox 3 (RCs)を使っている。RC2から使い始めているが、使えないアドオンがたくさんあったのに、意外に不便を感じないのであった。それでも「早く使えないかな」と思っていたのはCoolIrisとAdBlockあたりか。AdBlockは早々とPlusが対応したし、CoolIrisも先日対応した。Greasemonkeyもだ。

一番嬉しいのは、終了する時に開きっぱなしだったタブを全部覚えていて開いてくれることだ。これだとRSSから気になって開きまくったタブを、まだ読まないうちにまちがえてFirefoxを終了してしまっても「しまった!」と思うことがない。単にもう一度起動すればよいだけだ。

起動時間が短くなったのと、落ちにくくなったのもうれしい。

もうだいたい不便がなくなった感じだ。現在はRC3である。来週には正式リリースとなるらしい。

土曜日, 6月 14, 2008

"Is Google Making Us Stupid?"

Is Google Making Us Stupid?

ネットの世界に浸かっている人は目を通しておくべき文章だと思う。我々がリンクキッカーになってしまって、沈思黙考する習慣を失いつつあるのは、自分でも実感している危機であるし、実は我々をリンクキッカーにすることが情報産業のビジネスモデルであり、ゆっくりテキストなんぞ読んでもらっていては金にならないのだ、ということには、あらためて気づかされた。

Efficiencyは我々に取って重要であるが、それで得られた時間をさらにefficiencyに捧げるのはどうかしている。Slownessを手に入れるためにefficientになるのでなくてはならない。

Traveler's Moleskine Cahier

トラベラーズノートブックというものがある。GTD系の人に人気のMoleskineのスタンダードサイズのノートブックより、幅が若干狭め、かつ厚さはMoleskine Cahierくらいの中とじのノートである。それを革のホルダーに挟んだ形をしている。前世紀かその前の世紀あたりからありそうなデザインで、確かに旅人っぽいイメージもあり、なかなか好みである。旅行にはこれを持って行くようにしていたが、使っていると、若干、幅が狭い感じがする。まあそれでも大した苦労はないし、ふつうのMoleskineを持って歩いたって全然いいわけだが、でもこのトラベラーズノートブックに、Moleskine Cahierがはまるといいなあ、と考えた人が、私だけでなく何人もいる、のだろう。少なくとも私の知己に一人はいた。



この人はアウトドア派でハンドクラフトも好きな人で、そこのところのこだわりからCahier用のトラベラーズ風カバーを作ってしまった。それはもう2年前の話だったのだが、最近再び我々のネットトークの話題となった。
よし、やるか。



というわけで、上京した折に彼に教えてもらった浅草橋の革の店で端切れを買った。トラベラーズノートブックを扱っている近くの雑貨店でトラベラーズ用のリペアキットを買う。あとはカッターで革を適切な大きさに切り、ストリングを通すために必要な穴や切れ込みを作り、ストリングスを通し、メタルパーツをハンマーでカシメて出来上がった。真っ黒な革だったので赤のストリングコードにした。かっこいい。:)



ということで私のTraveler's Cahierの出来上がりである。適切な厚さと堅さの革を選ぶこと、ストリングをカシメる前にテンションをよく調整すること、くらいがコツか。革にストリングを通すのに多少苦労した。そのあたりは手芸用のツールがあると便利で、うちはつれあいが持っているものがだいぶ役に立った。

金曜日, 6月 06, 2008

ライフスライスカメラ

ヒマナイヌ - 2002年ライフスライス最初の企画書

ヒナマイヌカワイさんがその頃のことを書いていらっしゃる。あのデバイスを知ったのは「イラクりょこう日記」で、その威力にユニークなデバイスだと感心したのでした。

木曜日, 6月 05, 2008

昭和初期の銀座線沿線など。

ヒマナイヌ - "昭和初期の銀座線と東京、銀座、外苑前" ヒマナイヌ記録映像図書館02

ヒマナイヌカワイさんところにある映像。タイトル通りのものだが、戦前の東京ってこんなに雰囲気のあるところだったのか、とびっくり。戦争がなければ失われなかっただろうものもいろいろあるのだろう。