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水曜日, 12月 23, 2015

二つの展覧会:鴨居玲、小川千甕

二つの、結果的に対照的な展覧会を二つ、続けざまに観ることになった。
仕事で京都に用事があり、たまたま飛行機が伊丹空港便であった。そして、たまたま伊丹市美術館で鴨居玲展が開催中であった。調べてみたら伊丹空港から美術館までバスで20分とのこと。途中をバス内ingressハックしながら美術館へ向かった。

鴨居玲は、日本の洋画家のなかでは傑出した画力を持っていると思う。基本的な絵の説得力が飛び抜けている。
そしてその生涯は、結末的に、不幸だ。彼のキャンバス前の自画像が表している通り、存分に描くことが出来るのに、何を描いていいかわからないと悩み、57歳にして自死した。いったいなぜ、と思わざるを得ない。
翌日、京都文化博物館で小川千甕(おがわせんよう・おがわちかめ)の展覧会を観た。この人も、絵書きとして飛び抜けた才能を持っている。15歳にしてすでに仏画の技法を習得し、20代に洋画・写生を学び、陶磁器の絵付けをなりわいとし、日本画に進み、洋行で印象派の技法を習得し、漫画を描き、再び日本画に戻り、そして富岡鉄斎のような文人画・南画を描きながら80代で没した。幸福な人生といって良かろう。

二つの展覧会を立て続けに観て、重なった時代を生きたこの二人のずば抜けた才能のある画家が、かくも違った人生を送ったものだと、その運命の不思議を思わずにはいられない。(鴨居玲1928(昭和3)-1985(昭和60)、小川千甕1882(明治15)-1971(昭和27))何がこの二人を分けているのか。
鴨居は、現代人として、自己の確立・自分探しを行った世代といえる。対する小川は明治生まれで、そのようなことを考えずに若い頃を過ごし、ひたすらそこにある画題を追い求めたよう見える。彼は自らの書に「随縁」と残している。

自分探しをせず、ひたすらそこにあるものに没入し、そのことで得た縁が次の人生へとつながる。いつの時代も当たり前のことを当たり前にして行くことが先へつながる、ということだろうか、と思った。

月曜日, 12月 21, 2015

永観堂で見たもの

昨日は、ぼんやりと京都をあるいた。思索的に過ごすことが出来て、こういうのもいいもんだと思うが、途中にingressが混じるとそこで思考が中断する。気をつけようingress。

蹴上から南禅寺方面に向かい、UPCキャプチャしながら野村美術館方面に歩いた。行く先は決めず、そのまま銀閣寺方面まで歩こうかとも思っていた。
まずは野村美術館が休館。さほど気落ちすることなく永観堂に向かった。以前からここの見返り阿弥陀のことは聞いていたので、一度くらいは見ておこうか、と思った。
東山も紅葉はどこも終わっていて、寒々とした風景である。これが紅葉まっただ中であれば、なにか発想も違ったものになっていただろうか。

永観堂に入り、あらためて観光化した寺の不幸を思った。(尤も人のいない時間にはそれは違っているのかもしれないが。)あらゆるものが俗化している。どこぞの誰が描いたという襖絵は、全体を覆う大きなガラスに覆われて、てらてらと光を反射している。いっそデジタル技術で見分けのつかない複製を作ってガラスなしではめ込んで、オリジナルはどこかに保存した方がいいくらいのものだ。(どうせガラスで覆ったってさほどに保存性が上がるものでもあるまい。どこかで温度湿度管理してください。)堂内は、どこもかしこも観光客のざわめきと笑い声、足音に充ち満ちている。見返り阿弥陀のある阿弥陀堂の中にしても同じこと。像と自分が対峙している雰囲気はなく、ただちらっと見て返ってきただけだ。これならテレビで演出された映像を観ている方がずっといい。

帰り際に、反対側にあまり人が行かない順路があるのに気づいて行ってみた。当たりだった。
そこには長谷川派が描いたという見事な孔雀図のある座敷があり、ほとんど人がこなかった。おあつらえに脇の庭に小川があり、ちょろちょろと水音がする。水音だけの静かな時間と空間。これだよ。
いつだったか、鞍馬方面の瑠璃光院に青楓を見に行った時のことを思い出す。ここも観光化していて、入れ替わり立ち替わり現れるおしゃべりな観光客に辟易していたが、時々人が途絶える。その時に、緑の木立に吹く風がさらさらと軽やかな音を立てる。他に音はない。その瞬間、自分と自然、自分となにかわからない抽象的なものが対峙する。

禅寺やそこらに行く時、我々はこういう時間と空間を求めているのではないのか? いまではいっときに数分も続かないこの時間を。

火曜日, 12月 22, 2009

「アイヌの美」展:京都府文化博物館



京都府文化博物館で2010年1月11日まで開催中。
一見して感じるのは「神的」だ、ということだ。あるもの全てが神々しい。人でなく神へ向いた図像という感じがする。過酷な極寒の地で相対する人以外のものは全て神の贈り物に見えるのかもしれない。人が自然と、その先の神とこんなに近づいている生活があったと言うのが、不思議な実感として迫ってくる。極限的な環境で自らと相対する唯一のものとしての一神教が生まれるケースはキリスト教やイスラム教の例があるわけだが、北のこの地では、極限性は多くのものとつながったようだ。アニミスティックな感じがする。
イクパスイ(捧酒箸)削りの形が、たつみや章のストーリーを思い出させる。
工芸品のディテールの細かい細工が、彼らの文化の高さ、深さを感じる。
とてもいい展覧会です。お薦め。

火曜日, 11月 03, 2009

「マイケル・ジャクソン This is It」


同時代を生きていると言っていい、がしかし、彼の音楽を特段気をとめて聴くことはなかった。それはビジュアルにもかっこいい音楽で、ある時代はいつでもそこにあり、またその後もよく耳にしていた音楽だった。とは言うものの私自身と特別なつながりがあるわけではない、普通の「街で流れている音楽」だった。
彼が亡くなり、映像が再び画面に出始めた。それを今見直してみて、この人がどれくらいすごいダンサーだったかがよくわかる。
他のダンサーとは全く体の動きが違う。ただ足をそろえて(「気をつけ」のように)立った、ただそれだけの姿が決まっていて、かっこいい。
同じように「ただ立つだけで決まる」ダンサーは一人しか知らない。それは、今は亡きフラメンコの鬼才、アントニオ・ガデスだ。「カルメン」や「恋は魔術師」で見た彼の姿は、踊りが全く異なるにもかかわらず、マイケルジャクソンと強く連想がつながる。
二人のその凄さがつながった時、人生で初めて、マイケルジャクソンを見てみたいと思った。そしてそこに「This is It」があったのだ。

見始めていきなり掴まれる。オーディションに現れた世界のダンサーたち。涙ながらに彼へのあこがれと今の自分を語る彼らの姿から、彼らにとってマイケルは神なのだと、すぐにメッセージが伝わる。
基本的にはリハーサルをつなぎ合わせた映像である。しかしそのリハーサルは念入りであり、そのものが完成品のごとくであり、音も含めて見て聴く価値が十分にある。すばらしい映像作品だと思う。マイケルは真摯であり、プロフェッショナルとして冷静であり、心遣いがある。そして彼が本物の音楽の才能持つ人であることもわかる。
そしてそれがリハーサルだからこその雰囲気もある。つまり我々観客は「中に」いるのだ。我々は観客が見るようなフッテージを見ながら、実はマイケルと行動を共にしている。そこのところの親密さが、不思議な暖かさをもたらしている。

映画の終わりに誰からともなく拍手が生まれたのも、最近の映画館ではなかなか見ない光景だった。

見る価値のある映像である。お薦めです。誰にとっても。

火曜日, 9月 01, 2009

狂言「附子」「蚊相撲」

先日キジムナーフェスタで観た。

このキジムナーフェスタは、一度は途絶えて?また始まったイベントだが、沖縄が世界に誇れるイベントの一つだと思う。あれだけ多彩でユニークで質の高いものが一堂に会するとは、なんと幸福な時期よ、と思う。
この狂言も、そのうちの一つ。1500円也で十分に楽しめた。特に後半、「蚊相撲」では茂山千之丞自らご出馬で、年齢からは思いもつかなかったような音声と演技で笑わせてくれる。さすがは狂言役者、という感じだ。

来年もまた何か面白いものを観せて欲しいものだ。 がんばれキジムナー!

日曜日, 8月 16, 2009

緑と紫: Purple and Green



緑と紫の組み合わせはとても日本的に感じられる。なつかしい。

The combination of purple and green looks very Japanese. I feel some nostalgia from it.

土曜日, 2月 21, 2009

モネ「印象 日の出」展:名古屋市美術館



先日、名古屋市美術館で「モネ 印象・日の出」展を観た。
最近は印象派の画家について、細かく分析的に観ることをあまりしなくなった。いつものように不思議な「懐かしさ」を感じる。行ったこともないのに。子供時代について自分が感じている印象と似ているのだろうか。

モネが17歳の頃に描いたという、コローのようなタッチの絵があったのが興味深かった。

今回は「印象派」の名前の元になったモネの「印象 日の出」が出ている。展示の目玉でもあるその絵は、赤いビロードで設えられた壁に一枚だけかかっている。天井が吹き抜けになっている。二階の展示室からもその絵が見えるのだが、その二階の方には「霧の中の太陽」がかかっている。



この絵は、モネが「印象 日の出」を描いてから30年くらい後に、テムズ河畔で描いたものである。構図と色合いはほとんど同じだが、筆のタッチが30年前と全く変わっている。画業30年、ひょっとしてもう白内障も進んでいたのかもしれないが、茫として優しい線のこちらの方が、私はより好きだ。
同じ壁には彼が何度かのテムズ河畔滞在で描いた同様の絵が何枚かかかっており、今回は飽きずにこれらを絵を眺めることになった。

そして、信じがたいことが起きる。

翌日、夕刻にセントレア空港から名古屋を離れた。離陸し上昇していたら、薄く霞のかかったような灰空色の中に、赤く小さな丸い太陽が現れた。空も海も区別がつかないような紫がかったブルーグレイの中、その光芒がわずかに海面にきらきらと反射していた。
それは、まったくそのまま、一日前に美術館で観たものと同じだった。なるほどな。画家はこれを見ていたのだな、と思った。
足下のバッグには一眼レフが入っている。しかしそれを取り出す時間も惜しんで、数分間の奇跡を目に焼き付けることにした。

土曜日, 1月 17, 2009

「浮かれ三亀松」吉川潮



深川生まれの稀代の芸人、初代柳屋三亀松の伝記。昔はこんな破天荒で、かつ江戸っ子の心意気を持った芸人がいたんだと再認識する。しゃべる言葉も由緒ある江戸風。
本の語り口は淡々としていてすこしダイナミズムに欠けるが、あとがきに書かれている「エピソードに(記述が)負けない」ための努力かもしれない。内容はとても面白い。
今はもうなくなりつつあるものがたくさん描かれている本。

本人の肉声が聞いてみたくなった。CDなどがいくつも出ているようだ。

土曜日, 1月 03, 2009

「アンドリュー・ワイエス展」Bunkamura(巡回あり)



アンドリュー・ワイエス展:
Bunkamuraで観た。ワイエスの名前は知っていて、有名な「クリスティーナの世界」も見知っている。どこかで別の絵を一枚見た記憶もある。が、あまり知らない人であった。一度はきちんと観ておきたいと思っていたところにBunkamuraで渡りに船の展覧会。

「ヤバい」という今風の(つまりポジティブな意味としての)日本語表現を私は嫌いだった。もちろん自分で使ったこともなかった。
ワイエス展に入り、最初の5枚は二組に分かれた彼の自画像だった。スケッチ程度のものがあり、着彩され整理されたものがあり、最後に完成品がある。絵のうまい人だな、と思った。
向かい壁に第六番目の絵があった。「オルソン家」それはクリスティーナの家である。(彼はこの家を何度も描いている。)グリザイユ風の濃淡の家と、それぞれ筆のタッチ一発で描かれた木々や下草。
それを見た瞬間、「あ、やばい」と自分自身が思った。これはハマる。抜けられないな、と。自分が嫌っていた表現におそらく近いものを、自分自身が体験してしまった。

この人はものすごく絵が上手な人だったのだ。微細で確かなデッサンを、田中一村のごとくに決めて描く。一本の確かな線を、ためらわずに描く。光の面で絵を構成する能力を持つ。そして、それらで描いた一つの絵を、再生産する能力を持っている。彼は天才的に上手な職人だった。

一枚の絵を、ドラフトスケッチから習作を経て完成画まで並べた展示から、彼の技量と、なにをどう整理したか、思考の過程がわかる。いい展示だと思った。

会場を去りがたく、3度出口から戻った。Bunkamuraでの展示は終わったが、2009年1月4日〜3月8日は愛知県美術館、その後2009年3月17日〜5月10日は福島県立美術館を巡回する。お薦めの展覧会である。

日曜日, 10月 19, 2008

「源氏物語」与謝野晶子版



自分が日本の古典の超大作を読破? まあまずはそれが嬉しい。

恥ずかしながらこの物語を読み通したのは今回が初めてである。与謝野晶子版を、上巻は文庫で、それ以降はiPod touchのFileMagnetに青空文庫版を転送して読んだ。FileMangetは画像ファイルも転送して読めるので、ネット上にある源氏物語の家 系図もいくつか転送し、人間関係が混乱するとそれを参照しながら読んだ。こうして使ってみるとこのiPod touchは非常に便利である。

とても面白かった。そう思えるまず第一は現代語訳になっているからで、そうでもないと全く手が出ない。教養のなさに恥じ入るところである。

女流文学、というものをこれまで意識したことがなかったが、この本には人間関係の機敏の捉え方やストーリーの展開とその中の山場の位置、中に現れる男たち の全般的ないい加減さなどに「女性の視点だな」と新鮮に感じられるところがいくつもあった。気がつけば読んで来たフィクションで女性によるものといえばパ トリシア・マキリップ、J.K.ローリング、L.M.ビジョルドくらいで、しかもみな翻訳物。これではねえ、という感じだ。



前から持っている「源氏物語みちしるべ」という本があるのだが、本文のハイライトの原文・解釈、当時の生活の状況や地図、位階など、源氏物語の周辺情報がコンサイスにまとまっていて、なかなかよい本である。

読み終わってからあらためて、五島美術館での源氏物語絵巻の展観図録など、手持ちの関係書籍などを見渡しながら、読み知ったことを自分の過去の知識の枠組みとつなぎあわせている。これがまた面白い作業で、知的作業の醍醐味を感じている。

日曜日, 9月 28, 2008

「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」Bunkamura ザ・ミュージアム

「オフィーリア」だけを観に行った。…つもりだった。



会場へ着くとすたすた、ずんずんと中に入り、オフィーリアを探した。にもかかわらず、おしまいまで歩いて行って見つからず、もどってくると第一室にあった。思いのほか小振りの絵で、見逃したのだった。
オフィーリアは、本などで見たそのままの絵であった。緑の発色が素晴らしい。
私の陶芸の師匠が作った茶碗がある。今は知人の所有となっているが、これが大変な化け茶碗で、言葉で表現するのが難しいのだが、流れ出した釉薬の色を見ていると、このミレイの絵の緑と、水面に浮かぶ花々の色を連想する。
狂気に憑かれたオフィーリアは川に落ち、確かな意識も定まらぬ表情で、半ば死の気配の見える姿で浮かんでいる。その表情と絵の美しさに感心して、しばらくそこにいた。

イギリスらしい気がするのは、絵にかけられたカバーのぞんざいな拭き上げ方。ガラスがあるかないかわからないようなクリアさだったダヴィンチの受胎告知(ウフッツィ美術館蔵:国立博物館にて展観)のときとは比べ物にならない。
また、この絵の額の上の縁の開閉金具のようなデザインは何?、と言うようなことも不思議に思った。
一息ついてから、さてこれで目的は達したし帰ろうか、などと簡単に考えながら先を見て行ったのだが、実はミレイはまったくそんな簡単な人ではないのだ、ということがわかった。

私の知るミレイは、「ラファエル前派」という、当時のいわばアート悪ガキ集団の一人としてのものだった。当時のアカデミーの絵画技法や考え方に不満を持ち、ダンテ・ガブリエル・ロセッティらといろいろと変わったことをやったメンバーの一人。古典絵画とちょっとずれたテーマを耽美的に描き、美しく、主張が曖昧な絵画たち。
しかし、元々絵の才能が秀でていた彼は、その後の長い人生の間に彼自身の展開をしていたのだった。技法的には古典絵画を踏襲し、精緻化して行きながらも、概念的な古典性から離れ、当時的な現代性のある、美しく、親しみのある作品へと進化している。絵画の正常進化そももののような変化を遂げている。
「主張が曖昧に見える」のは、まさしくそれを意図して描かれているのであった。

印象派のような技法に行く手前の古典的領域で、絵画がどこまで美しくなり得たのかを示しているような、高貴で優雅な美を提示している。

結局、普段は使わない音声案内を借り出し、全部を改めて見直した。最近はあまり買わない図録も買った。知っていたはずのものがもっと凄かったのを知った、という至福の時間であった。

そしてまたオフィーリアに戻る。情報を知的に入手することは、絵そのものを見る時は邪魔な時もある。二度目のオフィーリアは、最初ほどの感動をもたらさなかった。明らかに知が邪魔している。そのことを実感した。
が、再び感動は戻って来た。それは、絵の下の端に描かれているものが見えた時だ。水草から水面に咲いた白い花は、つい先日、保津川下りで実際に目にしたそのものであった。その実感がよみがえったとき、ライブな絵の感動が再び私に訪れた。



もうこの絵のことは絶対に忘れない。ようやく、私は満足してその場を離れることができた。

金曜日, 8月 01, 2008

「対決 巨匠たちの日本美術」展



東京国立博物館にて。タイトルどおり、日本美術の巨匠たちの作品を一堂に集め、対決させるという趣向である。

展示側の思惑はともかく、見る側の見方は人によっていろいろである。私自身にとっては「対決」という構図はどうでもよく、ただただそこにあるものたちのそれぞれの面白さが観たかっただけである。

実際、そのものたちをみれば、この展観は「圧巻」である。よくも集めたり、という感じだ。一時に様々なカテゴリーの秀作を、これだけのバリエーションで見られるチャンスはめったにないと言ってよいだろう。足を運ぶ価値が十二分にある。お薦めである。
6期に分けられた展示期間の最終タームである8/11から8/17には、宗達と光琳の風神雷神図が並ぶらしく、昨年?の出光美術館での出来事が思い出される。(プレゼンテーションの工夫でどちらの展観が美しく見えるかにも興味がある。)

茫渺としたイメージのある松林図屏風を描いた長谷川等伯の全く別の一面を知ったり、木喰と円空の明らかな違いがわかったりと、得るものの多かった展観だが、何より嬉しかったのは、これまでめぐりあう機会のなかった加賀光悦と、宗達の「蔦の細道図屏風」を見られたことである。いつかは観たいと思っていたものに偶然に出会うことができて、眼福・幸福であった。

図録はあえて買わなかった。最近は自分の中の発見が記録されているような図録でないと欲しくなくなっている。代わりに松林図屏風のミニチュアはがきを求めた。夏の間はこれを、若冲の鶴と入れ替えることにしよう。


この日は和装のチャーミングな女性が同行で、そのまま太田記念浮世絵美術館を回り、表参道の和装の店に立ち寄り、さらには夜は浴衣パーティであった。なんと和の一日であったことよ。

土曜日, 7月 12, 2008

「べらんめえ芸者」




監督: 小石栄一 、出演: 美空ひばり、江原真二郎、小野透、志村喬ほか
江戸っ子芸者を美空ひばりが演じる1959年の邦画。DISCASのレンタル予約で届けられて来たのだが、何がきっかけでこれを見る気になったかはさっぱり憶えていない。しかしついこのあいだ「幇間の遺言」という本を読んでいて、そのままの世界が映画で演じられるのでとても興味深かった。セットかも知らぬが、この時代の日本の美しい映像も楽しむことができた。

日曜日, 6月 15, 2008

「川端龍子と修善寺」川端龍子記念館




上京の折、知人宅への道すがら寄り道して観た。

川端龍子は日本画家であるが、その画業の始まりに洋画家を志して勉強している。そのせいか、彼の日本画は、作風のダイナミックさとリアルさにおいて、普通の作家の作品とは異なる感じがする。
そのことを感じたのは、少し前に山種美術館でみた彼の小品からであったが(たしか掛け軸になった桜の木の部分だったと思う)、面白いな、と思っていた。
その龍子が第二の故郷としたという修善寺にちなんだ作品を中心とした特別展であった。本当にこんな形に作ったという楕円形のような生け垣の写真と、その日本画に興味を惹かれ、見に行った。

川端龍子記念館は大田区にある。あとから地図を見ると、以前に川瀬巴水の版画を観た大田区立博物館のすぐ近くであった。平和島からタクシーで会場へ向かった。「りゅうしきねんかん」といっても運転手さんにわかってもらえない。パソコンでGoogleMapを出して示す。「あーここね。はいはい。まえに『たつこきねんかん』って言われて行ったことがあります。」とのこと。いやいやこれはりゅうしでこの人は男性で日本画家で、というと、自分は青森の出身で棟方志功が、とか、「そういえばこないだ志功の自叙伝『板極道』を読んだんですよ」、などと運転手さんといろいろと話が弾んだ。
記念館はなかなか大きな建物で、大きな孟宗竹の垣根がある。また建物の下には補修材としてであろう、たくさんの孟宗竹がストックしてあった。

展観は充実していた。観たかったダイナミックな生け垣の絵と、さらに爆発的で洋画とも日本画ともつかない巨大な「寝釈迦」の絵。立体感が印象的な「伊豆の図」、遠慮しいしい描いたような「湯浴」などなど。またラピスラズリその他の岩絵の具の数々。山種美術館での小さな絵で感じたことがそのまま展開されたような感じで、そのことに納得しつつ楽しく観ることができた。

隣の旧川端邸を見てから、辞去した。見れば今日までの展観である。チャンスのある方にはお薦めしたい。

日曜日, 5月 11, 2008

「世界の現代アーティスト50人展−ガルシア・ロルカを顕彰して−」沖縄県立博物館・美術館

沖縄県立博物館・美術館」で今日まで開催されている。先日田村邦子さんのpodcastで、パリ在住のアーティスト・幸地学さんが話しているのを聞いて知ったので観に行った。

クロアチアのトニー・ポリテオ氏が、スペインの詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカを顕彰するために世界の現代美術アーティストに声をかけて実現したものだという。それを幸地氏が沖縄に誘致した。日本では沖縄で初めて公開されるものとのこと。
作品はどれも一級品である。とても見応えがある。どの絵(ほとんどはシルクスクリーン)もタイトルをもたない。すべて「ガルシア・ロルカ顕彰」ということなのだろう。
ただし、解説が作家に関するものだけで、それぞれの作品についての説明が全くないのは疑問に思った。別に絵の解釈はいらないのだが、絵の中に書かれているスペイン語その他の言葉について、なんと書いてあるかくらいは示してほしい。
不思議なことに、緑色を使っている作家が非常に少なかった。10人もいないのではないか。ロルカのイメージがそうさせるのか。

今回初めて入ったこの「博物館・美術館」のあり方にも少し疑問を感じた。
まずは常設展が別料金である。「50人展」のチケットでは常設に入れない。少々驚いた。
過去の記録を見ると、私はこれまでに少なくとも全国83カ所の美術館を訪れているようだが、常設が別料金のところはほとんどみたことがない。西洋美術館だろうが国立博物館だろうが、企画展のチケットを買えばそれで常設に入れる。
実のところ、たとえば常設そのものがすばらしい西洋美術館や富山県立近代美術館、常設そのもので展観が成り立つ五島美術館など、そのものがよほどすばらしいコレクションでなければ、常設は企画展の「ついで」である。人が「ついで」にお金を出すとは思われない。上述のようなすばらしいコレクションをもつところでさえ、常設だけの別料金の入館料は取っていない。企画展に含めて、「ついで」をきっかけに来館者を集めるくらいがましではないか。それともここは西洋美術館なみのコレクションを持っているのだろうか。最初に入らないことにはそれさえわからない。

建物そのものは…城塞の擁壁の様な建物である。擁壁は、本来人を拒否するものである。要塞の様なこの建物の外観にもそうした雰囲気が感じられる。(私が思い出したのは「未来少年コナン」の、レプカたちがいるインダストリアの要塞だった。)

そして、見終わって正面玄関をでた真正面、美術館の入口アーチの向こうに、まるでアーチと合わせたようにきっちりと左右対称なパチンコ屋の大伽藍がそびえている。ここにおいては美術は俗世と直結している。
美術館には、美術そのものの日常化(それには是も非も含まれる)とはちがった、非日常の中で美やそれと対峙する自分のあり方を捉え直す機会や場所となる役割があろうと思うのに、そのために必要な俗世とのある程度の距離が、ここでは保たれていない。

聞くところによると、この地は米軍の使用地であったころは谷の斜面だったそうである。その地形をそのままに活かして、特徴のある建物を建てれば、美術的でユニークなスペースとプレゼンテーションができたかも、と、当時を知る美術関係者と話をすることがある。なのに土地が戻って来てからまず行政がおこなったのは、それを真っ平らの平地にしてから、そこに要塞を作るという仕事だったと、彼らは嘆いている。
ひょっとしたら、香川の地中美術館のようなものができあがっていたかもしれない。

木曜日, 5月 08, 2008

歌舞伎のこと

なにやかやで関東を中心に歌舞伎好きの知己がたくさんできた。それにつれてチャンスを見ては幕見するようになった。

現代における歌舞伎の面白みとはなにか。いつ感じるのか。

それは、綱渡りの危うさを見事にこなしている役者と、その作劇のありさまをライブで知ったときだと思う。
別に「宙乗り」の話をしているわけではない。では何の綱渡りか。

それは、現代と過去を行き来する綱渡りであり、現代演劇的要素と古典様式美を行き来する綱渡りのことである。最先端を疾走する役者たちは、それらの間を自由に行き来する。パフォーマーとしては、現代演劇そのままよりも、はるかに危うく刺激的な演じ方だと思う。

観客である現代人の私は、望遠レンズで役者を捉えながら、現代の演劇がそのまま江戸の時代につながっているのを目撃する。能の如くに、離れた過去の形式がなぞられるのを見ているのではない。今のその場が、そのまま江戸の世界になってしまうのを感じるのだ。我々はタイムスリップに捉えられ、時代が置き忘れてしまった義理や人情に、そのまま出会う。そのありさまと、それが出来(しゅったい)するマジックに感動するのだ。

残念至極なことに、4月の片岡仁左衛門の「勧進帳」を見ることができなかった。成田屋の十八番とされるこの演目を、現代の役者である仁左衛門丈は、かの時代のストーリーとしてきっちりと解釈した弁慶で演じたそうな。どれほど興味深いものであったろうか… 
観ていない自分にはこれ以上はなにも書けない。いずれテレビかなにかで見られることを期待したいものだ。

水曜日, 4月 30, 2008

「国宝 薬師寺展」国立博物館




現在開催中。

仏像にはあまり関心がないのだが、昨年敦煌莫高窟に行った折、57番窟でみた菩薩の絵(平山郁夫氏が紹介しているそうだ)と、日光月光の立ち姿が似ていて印象深かったので見る気になった。

会場ではまず聖観音菩薩像が見えてくるが、それはすっくと直立している。気品のある姿だ。私は日光月光よりこちらが好きかもしれない。高さは2mちょっとくらいだろうか。この像の周りをぐるっと回ることができる。

そこから先の角を回るとスロープの向こうに日光・月光が見えてくる。
わたしはどうも月光が好きなようだ。どちらもやや頭の大きいプロポーションをしていて、たぶん、像を見上げる位置から見ると一番いいプロポーションに感じられるのではないかと思う。スロープをおりて像の正面に立つとそんな感じがした。

今回の展観は平城遷都1300年を記念してとのことだが、技術的にはそもそも日光月光が背負っている光背を修復のために取り外すので、それに合わせて展示しているのではないかと思うが、その背中がきれいだ。日光も月光も片足に体重をかけてやや「なごんだ」立ち姿をしているのだが、そのせいで正面からみるとおなかの部分はいわゆる「三段腹」てきなシワが表現されている。背中の側はそれがなくて、すくっとしていて、そのプロポーションがとてもいい感じにきれいだ。

他にもいろいろ展観されていたのだが、それらはほとんど見ずして出て来た。会場の平成館から本館への渡り廊下の角がガラス張りになっているが、そこから花びらが一面に散り敷いた桜の木の庭が見える。美しいながめであった。

火曜日, 4月 29, 2008

書道博物館(中林梧竹記念館)

書道博物館は鶯谷駅から言問通り沿いに日暮里方面へ歩いて行ける。ここはまた書家・中林梧竹の記念館でもある。
そもそもここは梧竹の旧宅だそうである。私は彼を五島美術館での書の展覧会で書家として知ったので、今回この美術館へ来るまで彼が画家だとは全然知らなかった。彼の書のユニークさには、過去に彼が仕事をして来た西欧絵画や美術意識もあるのかもしれない。彼はまたヤマサの醤油のラベルなど、様々なプロダクトデザインを行ってくる。中林梧竹に対する見方が変わるとともに、彼の作行きの面白さの理由の一端をしり、面白さの感覚が補強された感じがした。

しばし楽しんでから美術館を出て、近くのおいしい羽二重団子の店で一息ついてから日暮里方面へ向かった。

「柿右衛門と鍋島—肥前磁器の精華—」出光美術館

現在開催中である。

仕事の帰りに覗いた。ちょうど学芸員らしい方がどこかの偉い人向けに解説を始めたところだったので、つかず離れず周りにいてありがたく耳学問させていただいた。有田磁器がヨーロッパ向けに輸出の道が付き、それとともにマスプロダクトとして生産の広がりが起きたことと、最近見つかったものなどから過去の作品群の歴史に新たな光が当たったことなどを解説されていたように思う。
面白いのは江戸期の「花見」のモノたちを提重や柿右衛門などを使って再現していたが、そこには宴会の料理のレプリカも出ている。話によればそのレプリカを手に入れるために、出光の人はわざわざ合羽橋まで買い出しに行ったそうである。

展観されているものはよいものが多かったが、大型の鷺の皿が特に美しかった。柿右衛門はその後ヨーロッパで磁器が作られるようになってから現地でレプリカが作られているが、そちらの方が絵柄がより写実的である。西欧の写実主義の影響を実感した。

時間がなくて身損ねたが、宗達のらしい屏風も展観されていた。どこかで見覚えがある。前に見ているはずである。
気がつけば、出光のものはかなり見ているのかもしれない。