月曜日, 12月 31, 2007

月曜日, 12月 24, 2007

ワタリウム美術館「クマグスの森」展



博覧強記の奇才にして植物学者(主に粘菌)であった南方熊楠の人となりを紹介した展覧会。どれくらいの奇才だったのかをごくごく簡単に、イメージとして知るには、水木しげる作の「猫楠」を読まれるとよい。

御前講義をした昭和天皇に対して標本を献上するのに使ったというキャラメルの箱など、面白いものがいろいろと展示されている。

特に興味深かったのは、彼が学問の展開を一枚の紙にどんどん書き連ねて行ったもので、それはまさしく今流行のマインドマップそのものであった。

武相荘(白洲正子旧邸)の、女史の書斎にも熊楠の全集があったのを思い出した。
エキセントリックな異能者。熊楠。

サントリー美術館「鳥獣戯画がやってきた!」



サントリー美術館で開催されていた。鳥獣戯画のオリジナルおよびそのデジタルプリントと、さまざまな絵師によるその模写や、関連する絵画作品などが展示されていた。

やはり甲巻がいちばん格が高い気がした。観ていて楽しい。真ん中の部分にちょっと変わった描き方の草花があって、それだけ前にどこかで見たような感じがして、光琳?、などといろいろと考えていたのだが、どうも近代美術館工芸館で見た松田権六の漆の、金彩のことだったように思う。

すぐ後ろに、学生さんをつれた美術学校の先生らしき人がいて、いろいろと解説をしておられた。耳学問をさせていただきました。

オリジナルを何度も繰り返し観て、それ以外はあまり目を留めることもなく美術館を後にした。

大倉集古館「富岡鉄斎展」



神谷町の駅を出てホテルオークラ方面へ上って行くと大倉集古館に出る。大和文華館所蔵作品を中心とした富岡鉄斎の展覧会が行われていた。

最後の文人画家と言われた鉄斎について、私はあまりよく知らない。はっきり記憶しているのは先日訪れた富山の水墨美術館で観たものくらいだ。
飄々とした筆致だが、「間」を重要な要素とする日本画の中でも、執念深く描き込まれている。そのバランスが他の画家とは異なる感じがする。今回特に好みだったのは、画面の全面を墨で蔽って、月の部分だけを丸く抜いた「寒月照梅華図」であった。古典性と現代性が両方とも充ち満ちている感じがした。

東松照明「Tokyo曼荼羅」:東京都写真美術館




東京都写真美術館の東松照明「Tokyo曼荼羅」を観に行った。知人が森山大道とつながりがあり、その流れで名前が出てきたので、見に行ったのだ。

写真は1950年から後のものであった。それは私の子ども時代から同時代に当たり、しかしその頃見たことのない東京を中心とした場所の景色であった。それが同時代であるにもかかわらず「あの頃ってこうだったのか」という驚きを私にもたらした。

人や社会を見る目が、形を見る目に変わって行くのも面白かった。中にいくつかの桜の風景があったが、前回ここで観た鈴木理策の桜と、こうもちがうものかと感心した。

同時代の見知らぬ風景の意外さに驚き、図録を買った。

「世界を魅了したティファニー 1837 - 2007」東京都庭園美術館

畠山記念館から東京都庭園美術館へ行く、となると、土地者でないので交通機関の利用を考える。高輪台から五反田に出て目黒から?、などと。
ところが地図で見ると、この二つは直線距離で800m程度、経路をたどっても1.2km位しか離れていない。さてどうしたものか…
それで歩いてみることにする。



畠山記念館で「ここから庭園美術館ですと、タクシー頼むと怒られますかね…」などと聞くと「歩いて行けますよ」となる。ちゃんと手製の経路地図まで準備されていてそこにボールペンで「ああいって、こういって」と教えていただいた。どうもありがとうございました。




それで庭園美術館である。開催されているのはティファニーの宝石展。どこでもそうかもしれないが、ここは催し物によって客層がだいぶ変わるように思う。前回、バレエ・リュスで来た時は、いかにもクリエイター的な人々が多かったのだが、今回は「セレブ風」がずいぶんと多い。

しかも、女性の好みというのがこれくらい明確に現れているのをこれまで見たことがなかった。展示品は全て宝飾品だが、誰が見ても明らかに、石のついている展示品と、そうでない展示品では集まっている女性の数が違うのであった。女性の鉱物に対する嗜好をあらためて実感したのであった。
私は何を感じたのか? 最後の部屋にあった、ダイヤを指輪に新しい手法の「ツメ」を使ってマウントし、それによってダイヤの下側から通ってきた光がさらにそれを輝かせる手法に感心したのだった。

Googleに経路探索をさせると、ここから東京都写真美術館までも歩け、という。そうなのだが、さすがにくたびれたので、目黒>恵比寿>動く歩道で移動することにした…

畠山記念館秋季展「茶の湯の美 -利休から宗旦へ-」



畠山記念館では以前に本阿弥光悦の「雪峯」と、紀貫之の高野切を見たことがあり、好きな場所の一つである。

先日まで開催されていたタイトルの展覧会では、初代長次郎の赤楽「早船」と、利休所持の熊川茶碗、信楽の水指が特に興味深かった。

早船はその継がれた姿も含めて、あの自由なアーティスト光悦の雪峯を連想してしまうが、他方では非常にプリミティブな形でもある。一つのものの中にあるそれらの隔たりに、長次郎その人の中の不思議を見た気がした。

熊川茶碗は、なんの飾り気もないありきたりの形ともいえるが、使い込まれた侘びた姿が、ありきたりの形ゆえによりいっそう強調されているようで、そういうところに美を見る利休の美意識をあらためて思い知らされるようだった。

信楽の水指も、土そのものを焼いただけ、という姿がシンプルなのか、ぶっきらぼうなのか、深い考えのあってのことなのか、そんなことをいろいろと考えさせられるが、実は考えているのは単にこちら側だけであって、モノは単にモノなのだ、それを見つけ、見立てて使う側の意識が反映するのだ、とそれをまたモノに教えられている気がした。

御薄を一服所望。これも、そこそこ見どころのある茶碗で出てくるところが嬉しい。

次は4月頃から琳派だそうである。これも見られると嬉しいのだが、それはまだわからない。

i-morley「週刊現代を読みながら」

http://morley.air-nifty.com/movie/2007/12/post_0586.html

ウイグルの話題から離れて少したるみ?気味だったモーリー君のトークがまた明晰になっています。

水曜日, 12月 12, 2007

火曜日, 12月 11, 2007

「空軍大戦略」



映画が戦争の何を語るのか、ということについてはさまざまな意見があるだろう。これはその中の、どんな部類に入るのか。それも見る人によって違うのだろう。

本作は「バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれた、第二次大戦でのドイツ軍によるイギリス上陸作戦の前哨戦となった、ドーバー海峡とイギリス上空の制空権をめぐる空戦を描いている。結果的にこの戦いはイギリスの勝利となり、ドイツ軍はイギリスを占領することがなかった。

これを、ジェームス・ボンドシリーズの英国チームが映画化した。その際に、世界各国に離散していたスピットファイア、ハリケーン、メッサーシュミット、ハインケルなどの実機を集め、特殊効果のための特撮はあるものの、基本的にそれらの実機により大規模な空中戦を空撮で再現するという大胆な手法で、ものすごくリアルなイメージを持つ作品となっている。公開は1969年。あの「2001年宇宙の旅」が1968年公開であるから、この映画の空撮の努力がどれだけのものであったかは推測できるだろう。「CG」は存在しないのだ。

以前に「宮崎さんのお薦め」として「ダーク・ブルー」という映画(スタジオジブリ「提供」である)を紹介した。その時は「空撮は『空軍大戦略』より上を行っている」と書いたのだが、あらためて見直してみると、こちらもまったく侮れないのであった。

歴史の一断面を描いている、ということと、そのリアリティがもたらすイメージという点で、まれにも薦めたい戦争映画の一つである。
この作品にしろ「チキ・チキ・バン・バン」にしろ、イギリスはやる時はやるぜ、という感じがうれしい。

水曜日, 12月 05, 2007

島倉千代子

Podcastのmp3ファイル二つ:

http://www.joqr.co.jp/bbqr/podcast/kuniryu071130.mp3


のはずが一つ。もう一つはURI喪失。ほぼ同時期に二つの番組でインタビューを
受けていた。

この方は、ほんとうに天然なのかも。

九美のお座敷通信:第75回:冬の花火リポート (後)

mp3へのリンク:

http://db1.voiceblog.jp/data/kumisuke/1195448830.mp3

なんにも工夫していない録音なんですが、臨場感がとてもいい感じ。

火曜日, 12月 04, 2007

Merlin Mann's Inbox Zero @ Google Tech Talks

http://video.google.com/videoplay?docid=973149761529535925&hl=en

質疑でGoogleのメンバーがメール500通、うちActionableが1-5%とのこと。なるほど。

金曜日, 11月 23, 2007

昔の話:「モネ大回顧展」国立新美術館

メモだけあって記事にしていないのに気がついたので書いておく。昔の話だから印象が薄くなってしまっているが。

国立新美術館の杮落しシリーズの一つである。
モネは、いつものようにモネであった。新しく気づいたのは、彼の絵がみな、肌色っぽい色調を帯びていることだった。それはモネの色なのか?、絵の具の変質なのか?、時代の色なのか?、修復などがなされているのか?
暖かい色合いは、彼らしい、という感じもすることはするのだが、不思議なことではあった。

この美術館は、どうも美術館というよりデパートの特売場か、ショッピングモールのような印象がぬぐえない。なぜだろう。

そしてそこにはまるで特売場のにいるような雰囲気の方々がたくさん来ていらっしゃるのだが、そういう方々にも、絵を見るという体験は身のうちになにかを残すのだろう、と思うのだった。
もちろん私自身についても同じようなもの。:)

土曜日, 11月 17, 2007

「くに流」ゲスト:山下洋輔

http://www.joqr.net/blog/kuniryu/

この「くに流」の、現時点で一つ前の山下洋輔の放送が面白い。

木曜日, 11月 15, 2007

「川瀬巴水」大田区立郷土博物館


川瀬巴水は明治生まれの日本画家・版画家である。初めは日本画を志したが、年齢などさまざまな事情で洋画を学び、その後鏑木清方のもとで日本画を学んだ。(清方に「巴水」という号をもらっている。)ある日同期の画家が展覧していた版画をみて「これなら自分にもできる」と版画の道に入り、大成した。
川瀬は画家になってからのほとんどを大田区で暮らしていて、今回、没後50年を記念して大田区立郷土博物館展覧会が行われている。

博物館は西馬込の駅から少し歩いたところにある。区立博物館で入場無料。巴水の作品は300点ほど(展示替えあり)が展観されている。
最初に32回摺りの版画の、全プロセスを並べた展示から入る。その後は大体において時系列に沿って作品が並んでいる。

回数の多い多色刷りのプロセスの面白さにまず惹きつけられる。色が重ねられているせいでくすんで見えるが、それがまた西欧絵画的なリアリティを版画にもたらしていて、ユニークな感じがする。
西欧的に見えるものと、古典的な、江戸の錦絵のような作品もあるが、私は後者が好みであった。

そして、描かれている風景がすばらしい。歌舞伎座が水面に映っている作品がある。昔はあのあたりに水路があった、ということだ。その他、江戸から連なるとても美しい風景作品がたくさんあって、昭和10年くらいまでは、東京でこんな場所がたくさんあったのだな、と感心する。我々はいかに短期間に多くの美を失ってしまったのか。

古き良き日本の姿がここに残っている。

全体的にある種の「静かさ」を持った作品が多く、私はC.V.オールズバーグのイラスト(ジュマンジ、西風号の遭難、白鳥湖、などなど)を連想した。

「東京の地元」のローカルな博物館で、こんなにも美しいものが見られたことが嬉しい。無料で誰でも、というカジュアルさもあいまって、信じられないくらいのことに思える。お薦めである。

水曜日, 11月 14, 2007

LeopardでGIMPが落ちる件のリカバリ

LeopardでGIMPが落ちる件のリカバリ:

http://www.x.org/wiki/XDarwin

Updated Xquartz binaries
Updated libX11 binary -- Gimp crash fix

を順番に適用。これで落ちなくなった。

火曜日, 11月 13, 2007

ラジオ版課外授業プログラム「学問ノススメ」野口健

.mp3へのリンク:

http://pod.jfn.co.jp/susume/dl/susume_vol80_01.mp3

これはパート1で、近辺にパート2, 3, 4がある。探してください。

とても面白い。
・今時の子どものエピソード
・故橋本龍太郎氏のこと。彼は心酔しているようだ
・ゴミ集め登山のこと
・ゴミ集めの子が、渋谷のゴミ集めを始めちゃったこと
などなど。

月曜日, 11月 12, 2007

富山の美術館たち

仕事の移動日で富山市内の美術館をめぐった。

事前にリサーチをしており、富山市内にはミュージアムバスが走っているとのこと。

まずは空港からのバスを宿近くの富山市郷土博物館で降りて、中に入った。入り口でミュージアムバスの通行証となるパンフレットをもらう。これに日付入りスタンプを捺してもらうと、バス通行証になる。こちらは富山城を中心とした、マルチメディアを使った展示と、城の天守閣から富山市内を俯瞰することができる。

同じ敷地内の佐藤記念美術館では、東京国立博物館所蔵の広田不孤斎コレクション展が行われていた。発色の鮮やかな三彩など、とてもクォリティの高いものが並んでいた。どこかの新聞社の人が取材に入っており、展覧会の感想などを客に聞いていた。
ここの二階には「柳汀庵」という、移築された茶室がある。中には入れないが、躙り口から覗くことが出来る。二畳台目の席だが、なぜか点てた茶をどこに出すのかよくわからなくなった。パズルのような感じ?であった。金森宗和の指導になるものとのこと。もう一つの茶室が一階にあるのだが、バスの時間を気にしていたら見落としてしまった。

ミュージアムバスは1時間に1台走っており、経路の各停留所に毎時間同じ分に着く。たとえば佐藤記念美術館のところに09時22分に着く場合は、10時22分にもそこにバスが現れる。もしもミュージアムバスだけで指定の美術館を見て回るなら、この1時間を基本に行動しなくてはならない。
バスに乗り、次に入ったのは水墨美術館だった。

水墨美術館は、市内から西に出て神通川を渡り、川べりに南にいったところにある。広々とした敷地の中に、ゆったりとその美術館はある。
中に入るとまず常設展示がある。富岡鉄斎、横山大観、前田青邨、松林桂月などの作品をみることができる。これまで自分が目にすることが少なかった作家の作品が多く、とくに大観とはこういう人であったのか、と思ったり、青邨の全く作風の異なる3種類の作品をみて彼の多様さを感じたりと、非常に面白く観ることが出来た。
この部屋を出るとさらに、広々とした庭を見晴らす、かなり長い廊下の奥にもう一つの常設展示があり、そちらには下保昭の作品が集められている。その奥には茶室「墨光庵」がある。500円で薄茶をいただくことができる。
御薄を一服してから、外の庭に出てみる。広々とした芝生の庭である。今日は雨で、ざーっ、という音が周囲の生活雑音を消している感じがする。大きめの円柱によりかかり、何もない広々とした庭に向かって雨音を聞いていると、思い出したのは坂田靖子の漫画「誇り高き戦場」の最後のシーンの絵だった。アラン・シリトーの小説(映画化されている)を元にしたこの作品の最後で、再会した指揮者と元軍人は、音楽堂の外の広い階段のところで、ギリシャの神殿にあるような大きな円柱によりかかりながら、ひたすら雨をながめていたのだ。

再びミュージアムバスに乗り、富山駅前に戻った。食事ののちに近代美術館に行くことにしたが、バスの時間が合わない。そこで電車で行くことにした。富山地方鉄道の運営する路面電車である。富山駅前から南富山駅前行きの「本線」に乗り、運転手さんに聞くと、近代美術館へは西中野駅で降りればよいとのこと。運賃200円。降りる時に運転手さんが「そこの路地を入って、細くなりますがかまわずに進むと突き当たりにくるので左に折れて、さらに突き当たったら右に折れてまっすぐ行くと、美術館の敷地に着きます」と教えてくれた。言われた通りに行くと、確かに道はどんどん狭くなり、どうみても近隣住民しか知らない田舎の住宅街の路地のようなところを歩いていくことになった。それでも言われた通りに行くと、突如として目の前にでかい建物が現れ、そこへ道がたどり着くと、美術館の裏門であった。さすが。

近代美術館では「時の中で」という特別展が行われていた。富山の現代の作家による作品とのこと。これがなかなかよかった。くっきりとした作品がおおく、それぞれの作者が、それぞれに知り尽くした技法で表現すべきものを表現しているようだった。
二階の常設展に上がると、展示室内から大声が聞こえていた。初老の男性が、中年の男女二人にピカソやなにかのことを、NHKのテレビのことなどを交えながら大声で話し、わはははと大笑いしている。美術館の中のありさまとしてはとても異様で、そちらに近づかないように順路を逆に回り始めたが、円形の空間で仕切りのないところなので、大声はいやおうなくこちらに届く。とても作品を見ることに集中できなかったのでいったんそこを離れ、中二階の展示室に向かった。

中二階には、グラフィックデザインとしてのポスターの展示と、シャガールの聖書のリトグラフのシリーズ、そして瀧口修造のコレクション(彼のところに集まってきたモノたち)の展示が行われていた。どれも充実していて感心した。特に瀧口修造のモノたちは、以前に世田谷美術館かどこかで展観されたのを観損ねていたのだが、縁が呼んだのかこうして目にすることが出来たのは嬉しかった。

二階に戻るとさっきの騒がしい人たちはいなくなっていて、ゆっくりと作品群をみることができた。
ここにはピカソらから始まり、シュルレアリスムの旗手たちから草間彌生などまでの現代作家を、かなり包括的にみることができる。とてもよいものたちであった。

見終わると、中二階のカフェでスパークリングジュースを飲んだ。雨が一休みし、雲間から夕焼けが見えてきた。
あらためて、ここ富山の美術館の充実ぶりを思い、感心した。コレクションの内容も、それを収蔵するたてものもだ。なぜこんなに整備されているのか?、不思議なくらいだ。改めて調べてみたい。

楽しく、感心した一日であった。

日曜日, 11月 11, 2007

上野広小路亭

ホテルへのチェックインのタイミングがずれたために、浮いた時間の調整のために初めて「寄席」というものに入った。場所は上野広小路亭
神田紫:講談
松旭斎八重子:手品
三遊亭遊史郎:「六尺棒」
三遊亭圓雀:「紙入れ」
都家歌六:のこぎり演奏
三遊亭圓丸:「子別れ」
これらが90分くらいの時間で演じられる。

のこぎりの演奏には感心した。演奏用に特別に作られた、ぎざぎざの歯のない「のこぎり」で、根元が太く、先端が細くなっていて、その先端近くに特別に明るく、丸く光ったところがあった。そこには演奏者である歌六の、親指が当たるのだ。
最初に歌六がのこぎりを足の間に挟み、左の指でその先端を握った時、いきなり足がぶるぶると震え出した。いわゆる「中風」のような状態である。「あっこれはやばい…」と思ってしまったのだが、実際はこれは、のこぎりから出る音にビブラートをかけるためであった。
足でビブラートをかけながら、左手でのこぎりを「たわめる」その加減で音程を調整する。それがある音から別の音へ向かう間に、連続的なグリッサンドのような音でなく、ちゃんと音階を上ったり下ったりするように聞こえる。そのためには左手のたわめを、音程を意識しながら段階的にやっているのだろうが、大変な技術だと思う。

落語の演目はすべてPodcastで聞いたことがあり、知っていた。(そのこと自体にも自分で驚いた。)「六尺棒」は遊び人の息子とその親父のやり取りが面白い話。「紙入れ」は、親方の奥さんに間男をしていた男が紙入れを忘れて、そこから起こる喜劇。「子別れ」は、どうやら全体がいくつかの段に分かれているらしいが、その最後の部分、酒で身を持ち崩していた大工がまじめに働くようになり、子どもとの再会を契機に別れた女房とよりを戻す、いわゆる「人情ばなし」だ。
広小路亭は、おそらく席数が100くらいだろうと思う、前半分は座椅子に座って観て、後ろ半分は椅子に座って聞く。みたところ7割くらいが埋まっている。中年以上の人たちが多い感じだ。そこで数メートル先に座った、生身の語り手が、声色たっぷりに親子の情を語る。それは、ちゃんと、観客の涙を誘うのだ。客席からは鼻をすする声や、目頭を押さえる手が見える。「場の力」ということなのか?、などと思いながら、自分も目の周りを拭ってみると、同じように濡れていた。

人の情というのは、こういうところで、こういうスケール感の中で、生きているのだ、と、初めて感じた。

金曜日, 11月 02, 2007

「やかまし村の子どもたち」ラッセ・ハルストレム

やかまし村の子供たち
ラッセ・ハルストレム監督の映画である。私が彼の名前で思い浮かべるのは「ショコラ」だ。

ヒマナイヌの川井さんがmixiでレビューしているのを見て借りて観た。

北欧の、分厚い緑につつまれた村で、6人の子どもを中心に、「ただの生活」の風景が描かれる。
それだけの話だ。

しかし、「生きるとはこういうことなのだ」という、当たり前の、とても大切なものを突きつけられる気がする。

これは、日本がなるべきであった世界なのだ。普通の人々の日々の生活が安定していて、真っ当に暮し、次世代を育てる。生き続ける自然の美があり、人々がナチュラルな自然体で暮らしていくことが出来る。
バブル期からこちら、ITだ「勝ち組」だと浮かれ騒ぎ社会資本整備を忘れ、「中流」と言われた階層がいつの間にか貧困層になっていき、人々のありようが先鋭化し、他人を自分の利でしかみない社会とは対極のものだ。北欧の小国に対するあこがれを強く感じる。これが物語の中の世界であると知っていても、だ。

いつか、こういう世界にいたいという、理想が生まれる。忘れるべきでないもの、社会のありようも、海外派兵もなにもかも、そこから全てを見直すべき土台を感じる。

水曜日, 10月 31, 2007

itojunさんの訃報

itojunさんという方が亡くなった、という情報がインターネットを矢のように広がっている。

IPv6の中心的存在であったそうだ。私は面識はないのだが、私のネット上の1ホップ先の知人には、彼と直接の知り合いである人が結構いる。またfj、irc、mixiなどでお見かけしたこともある。

そういう意味で、やや近しい人としてネット上の彼の記事を読んでいたら、彼の書いた以下のような文章を見つけた:
わたしたちはなんで夜も寝ずにhackをするんでしょう? わたしたちはなんで研究するんでしょう?
多分、自分の思い描く「素敵な世の中」を実現したり、 あるいは「みんなのしあわせ」を実現したりするためだと思うのですよね。 わたしの場合、みんなが楽しくhackできて、みんながたのしく計算機を 使える世界、というのが理想なわけです。 もちろん、自分の作ったソフトウェアはみんなに配布して使って頂きたい、 ってのがわたしの望みです。 いままでフリーソフトウェアに育てられたようなもんなので、 恩返しをしたい、というのが一番大きいです。 あと、個人的には「人生/生活はシンプルであるべきだ」というのが 基本姿勢として、あります。 Keep it simple and stupid、 複雑なこと考えてもたいていうまくいかない、というのは 実生活上も、プログラミングをしているときも、とても強く思います。
読んですぐ思い出したのは、Steve Jobsがスタンフォードの卒業生に対して行ったスピーチの最後の部分だった。卒業生に対するはなむけの言葉として、the Whole Earth Catalogの裏表紙の言葉を引用して彼はこういったのだ:「Stay hungry, stay foolish.

itojunさんとはそういう人だったのかも知れない。

ネットの住人の一人として、ご冥福をお祈り申し上げます。

火曜日, 10月 30, 2007

松岡正剛千夜千冊遊蕩篇:ドナルド・リチー『イメージ・ファクトリー』

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1172.html

一仕事終えてふとRSSリーダーを見ると↑のを見つけて読んだ。今年の一月の記事。面白い。

月曜日, 10月 29, 2007

Tibetronica:「講演の模様(本音編)」

mp3へのリンク:

http://morley.air-nifty.com/movie/files/071021.program.mp3

モーリー君がtibetronicaプロジェクトについて講演している。リアルイベントが結合すると、2chでも非常にアクティブで面白いリンクができ上がるそうです。

「大竹メインデッシュ」:立川談志

「大竹まことゴールデンラジオ、メインディッシュ」がpodcast配信されている。その10月19日の放送のゲストが立川談志さんである。若い頃からの「すっぽかし」のこと、年を重ねることが、必ずしも芸に「滋味や深み」を与えるわけではないと考えていることなどを話す。それを聞いて大竹まこと氏はぼろぼろ涙を流しているらしい。
「とんがり続ける談志」がよく現れている音源かもしれない。

リンクの先に、その音源への直接のリンクはありません。podcastをiTunesに登録すると、過去の配信分として現われるかも知れない。

土曜日, 10月 27, 2007

Leopard人柱中

10.5.0を外付けHDにインストールしてテスト中。10.5.1を本体にインストールするつもりだが、手元にきてしまった10.5.0をとりあえず実験環境で試してみる。

HDをGUIDでフォーマットし、クリーンインストール、約90分
ソフトウェアアップデート
Xcodeをインストール中。10.3環境対応をオプションで入れた。

やること
手持ちの様々なアプリのインストールと確認


金曜日, 10月 26, 2007

恵比寿駅前にて


印象が薄れないうちに書いたほうがいいだろう。

先日、恵比寿にいた。写真美術館で鈴木理策の展示を観たあと、人と会って、近くの松玄で焼味噌と焼きのり、卵焼き、日本酒と最後に蕎麦を手繰ってからJR駅へ戻った。ふと思い出して気をつけていたら、やはりそこにその人がいた。
「ビッグイシュー」の販売人だ。

i-morleyで知ったこの雑誌は、ホームレスの人が手売りをしている。一部300円で、一冊売れるとダイレクトにその中から160円が販売人の収入になる。10冊売れば1600円で、たとえばとりあえずその日は食事をすることができる。そういう仕組みだ。オリジンは英国だそうだ。

JR恵比寿駅西口の横断歩道近くにその人はいて、はにかんでいるのかどうなのか、私には白い歯を見せて笑っているように見えた。そして右手にその雑誌を掲げている。

私は近づいていって「一冊下さい」と言って、イタリア製の革の財布から100円玉3枚を取り出して彼に渡し、雑誌を受け取った。無言だったと思う。それを手に持ったまま携帯のEdyで改札を通過し、山手線に乗ってからそれをCrumplerのリュックにしまった。リュックにはMacBookとキヤノンのデジタル一眼レフが入っている。そしてiPod ShuffleとSONYのノイズゲートつきイヤフォンを身に付けている。

背中に50万円分くらいのモノをかついだ私が、160円をホームレスの人に渡したのだ。それだけのことだ。もっと気の利く客なら、なにか差し入れでも持っていくのかも知れない。私はそれをしなかった。その前に5000円ちかく飲み食いして腹いっぱいで、食事に関連したことは思いつきもしなかった。

だが、私は今までこういうことであっても、ホームレスの人とかかわることがなかった。自分にとってはエポックメーキングなことであった。

わかりやすい英語:きくちゆみ

.mp3へのリンク

この人の英語はなぜにこんなにシンプルで、わかりやすい(伝えるべきことを伝えている)のだろう、と感心する。

Prep for Leopard

LeopardそのものはすでにAppleStoreに発注済みで、明日には届いているはずだが、使っているappsの対応は確認しなくてはならない。

Leopard savvy
Intego
VirusBarrier
NetBarrier
PersonalBackup
FireFox
TAO
SpamSieve
OsiriX
NeoOffice
RapidoSerial
AmaedusPro
LittleSnitch

Pending
iStumbler
Gimp
F10
MacJournal
GyazMail
NetNewsWire
Vienna
ClamXav
OpenOffice2.0(X11)
携帯Sync
CarbonEmacs
stellarium
X11
Darwinports
Ethereal
XRG
iGTD
KeywordManager
宛名職人
HHKBLite2Mac
Intaglio
iWatermark
RadioLover
StuffItExpander

一つ一つ調べるのには時間がかかる。どこかにLeopard compatibilityをまとめたサイトがあればよいのだが…

いずれにせよ、インストールするのは少なくとも10.5.1がでてから…

水曜日, 10月 24, 2007

「熊野・雪・桜 鈴木理策」東京都写真美術館

これも終わった展覧会である。

作者がフィールドとしている熊野の写真だが、そのプレゼンテーションの方法に裏をかかれた。それを面白がるかどうかは見る人による気がするが、私は意外性を楽しんだ。

雪の風景の写真が、真っ白な展示室に展示してあったのだ。写真その物をみる、というよりは、その雪のような空間に飛び込んで虚を突かれたようになっている観客を含めた「その場」を観察するのが楽しかった。ちょうど展示室のある一ヶ所に立つと、その部屋への入り口と出口が隠れてしまい、全体が真っ白な空間になってしまうので、そこからみるのが一番良い感じであった。

「だまされたよ」という感じなのだが、まあ楽しいだましだったのでよしとしよう。
なので展観と図録では、見ている写真のイメージがだいぶ違う感じがした。

「BIOMBO/屏風 日本の美」サントリー美術館

これも先週終わった展覧会である。

何かのはずみで神戸市立博物館にある泰西王侯騎馬図のことを知って(「芸術新潮」だった?)、観に行きたいものだと思っても果たせずにいたのだが、サントリーで同様のものがでるというので行ってみることにした。

問題の泰西王侯図の屏風をみることはみたが、私が気に入ったのは柳橋水車図屏風(長谷川宗宅筆)であった。以前に山種美術館でみた宗達の屏風のような柳の風情が気に入ったのだと思う。典型的に「和」であり、またわりかたにシンプルで現代的なテイストがあるからだろうか。それは昔の見方とは全然ちがうわけだろうが。

Avanti Podcast:篠山紀信

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/avanti/avanti_vol82.mp3

.mp3へのリンク。今回のは格別面白い。

"Make Meaning in Your Company" Guy Kawasaki

http://edcorner.stanford.edu/authorMaterialInfo.html?mid=1171

なるほど。

仙がい・センガイ・SENGAI

「仙厓」の「厓」の字はネット環境では正しく表示されないかもしれない。がんだれに土二つ「がい」である。

禅画で丸を一つ描く「円相」。その横に「これくふて茶のめ」とある。心の現れであるはずの円を饅頭に見立てて饅頭を食いながら茶を飲め、と書いている。

そういうものが数多く展観されており、実におおらかで、型にはまらず、自由闊達な書画であった。
観客の半分くらいは微笑んでいるか、笑いをかみ殺しているかであった。実にハッピーな展観だ。

元気をもらえる。とてもお薦めである。

「フィラデルフィア美術館展」東京都美術館

東京都美術館で行われている展覧会である。「バーンズコレクション再び」といった案内がどこかにされていたように思う。たしかに、少し前にどこかで(Bunkamura?)バーンズコレクションの展観があった。観てはいないのだが…

いかに一級のヨーロッパ美術が新大陸に渡ったかを、まざまざと思い知らされる展観である。どれも素晴らしい。
いくつか興味を引かれたものを挙げると;

ルノアールの「ルグラン嬢の肖像」は、請負で描いたものである。いわば「お金のため」。その肖像画は、隣に展示してある「大きな浴女」より美しく見える。ところがこの肖像画はいわば「パン絵」であり、生活のために描いたものであって、本来かれが自分の仕事としてやりたかったのは、後者なのだろうと推測される。白洲正子の本「日本のたくみ」に出てくる、扇づくりの名人である中村清兄氏を思い出す。(「パン絵」とはそこに出てくる言葉。)

改めてたくさんの作品を観た時、キュビズムのピカソから我々は何を学ぶのか:コンポジションと仮想の空間表現なのか?

ドガの踊り子の絵は、いつもの通り少し薄暗く、画面の中に立つパトロンとの関係性を暗示している。

アンリ・ルソーは何を思ったのか?? 絵の中にひっくり返った牛乳瓶のようなものが見える。意図は?

具象のミロ、柔らかいカンディンスキーなど、普段観られないものが見えている。

風土とアートには関係があるのか? 印象派の丸真似的作品には心惹かれないが、デザイニックな芸術であるジョージア・オキーフやチャールズ・シーラーなどにアメリカらしさを感じる。(「デザイニック」という英単語は、存在しないように思う。どう表現するのがただしい?)

初めてワイエスを観た。クリス・ヴァン・オールズバーグの絵本を連想した。

そんなところか。

「美の求道者 安宅英一の眼 — 安宅コレクション」三井記念美術館

現在三井記念美術館で行われている展覧会である。

何をどう表現したらよいのか。とにかく全てが一級品である。特に素晴らしいのは、入り口をはいって二つ目くらいにある飛青磁花生(とびせいじはないけ)であった。とてもきれいな発色をしている。

そして展観されているもののいくつかには、それが入手された経緯などにかんするラベルがケースに貼られていた。それを見ると、安宅英一(とその命を受けた人たち)が、いかに執念深く、粘り強くモノを集めてきたかがわかる。財閥の領袖たるものの美意識、価値観、行動様式といったものが伺い知れて面白い。

火曜日, 10月 23, 2007

「ル・コルビジェ展」森美術館

これももう終わった展覧会なのだが、とても充実していた。

建築家として知られているコルビジェが、キュビズム周辺のスタイルを持つ画家でもあった、ということをメインにした展覧会と聞いていた。
がしかし、実際には嬉しい裏切りのある展示だった。

早い話が絵だけでなかった。椅子などの住居製品や、住宅スケールのものを作った建築家だと思っていたのだが、実は スモールデザインから都市スケールの計画までを行っていた人だということを知った。彼がインドに都市計画と、その一部としての建築までを行っていたとは全然知らなかった。
コルビジェの全体像が見えた、ということが収穫だった。

そのように、スモール〜ラージスケールを自在に行ったりきたりできる人であったようだが、都市サイズの巨大なものを扱いながらも、人間サイズのスモールな世界への配慮を忘れていない。基本的にヒューマニストなのかナチュラリストなのか、そのあたりが面白い人だった。

さらにミニマリズム、シンプルさを追求した人でもあり、終の住み処としたのは海辺の小さな小屋であった。そのような彼の思想の背景には何があるのか? 不思議で興味がつきない。彼の建築は堅くて柔らかい。

コルビジェが、人体の部分の長さを基本としたスケーリングをイメージして描いた絵の絵はがきを買った。また白いキャンバス地に白で展覧会の案内を印刷したバッグを買った。買い物袋にでもするつもりだったが、「もったいない」とまだ使われていない。。

「金刀比羅宮 書院の美— 応挙・若冲・岸岱 —」東京芸大美術館

これもしばらく前に行われたものだ。現在は金刀比羅宮で行われているようだ。

応挙の虎の表現のかわいらしさに現代的な楽しみを感じ、若冲の壁も天井も全面に描かれた草花の着想に感心した。当時についての知識や感覚がない私にはそこまでしかわからない。それは過去にはどんな意味を持ったのか。。

ただ美しさを記憶にとどめるのみであった。

金刀比羅宮で行われている展観の中にある田窪恭二氏については、過去にいくらか思い入れがある。出来れば観たいものである。

月曜日, 10月 22, 2007

「舞台芸術の世界」東京都庭園美術館

少し前の出来事について、また一気呵成に記事にしておく。



庭園美術館で行われたこの展覧会は、ディアギレフが率いたバレエ・リュスの舞台衣装、そのデザイン、舞台デザインなどを集めた展覧会であった。

さまざまなイラストレーター、デザイナーが、さまざまな画法で象徴的・印象的なイラストを描いている。どの作品も、フレッシュな力強さと共に緻密な民族性が感じられ、ロシアという世界のアイデンティティを強く感じるものであった。

当たり前かもしれないが、ここは催し物の種類によって客層が毎回違う感じがする。今回はあきらかに若いクリエイター的な雰囲気の人が多く、デザイナーや、演劇に関係している人たちが多かったのかも知れない。

展 観されているものは、若いデザイナーのためになるだろうな、と思った。画法がどれも斬新で、古さを感じさせないこと、また、描いたイラストレーターたち が、自ら(か対象とするもの)の民族性をきっちりと認識し、表現しているようだった。巡回はしないようだが、見られた人たちは幸運だったと言えるだろう。

私は? 美しいものを観て、自然に嬉しくなっていた。誰でもそうかもしれないが。

よい展観であった。

木曜日, 10月 18, 2007

ロバート・ハリス氏、ラジオを降板

i-morleyに久しぶりにロバートハリス氏が出てきて、モーリー君と話しているには、なにかDe-cultureの関係の出来事で地方のラジオ局のレギュラー番組をやめて、いまはレギュラーな放送枠を持っていない、とのこと。

思いつくのはLOVE FM/Elan Vitalだったので、ぐぐってみたがそれらしいものが表に出てこない。

それでWikipediaのElan Vitalのページを見たところ、ゲストとマリファナ・大麻関係の話題を放送で話して、それがもとで降板することになったらしい。やれやれ。

Elan Vital (Wikipedia)


i-morley:『ファンクマイスター」(.mp3ファイルへのリンク)

危ないぞ、日本ーー日米の教科書事情比較:きくちゆみ

http://kikuchiyumi.blogspot.com/2007/09/blog-post_08.html

ポッドキャストmp3ファイルへのリンク:
http://www.harmonicslife.net/PodCasts/2007/Yumi20070807Podcast.mp3

「沖縄からイラクに医薬品を持っていった時、イラクの医師から『この子供たちを殺す飛行機はあなたの島からきている。それをどう思うか』と問われた。」

ビッグイシュー日本語版

http://www.bigissue.jp/

こういうものがあるのだそうだ。今日i-morleyを聴いていて知った。それに対するモーリー君のコメントもなかなか興味深いのであった。

http://morley.air-nifty.com/movie/files/071011.program.mp3

↑これの真ん中くらい。

日曜日, 10月 14, 2007

"Luck of Seven/Episode 16 - Israel"

http://blip.tv/file/419105

この間カシュガルに行ったせいか、映像のイメージに全然違和感がない。「ああ、世界にはそういうところもあるよね」という感じ。そこにカジュアルに自分がいてもいい、という感じ。

金曜日, 10月 12, 2007

i-morley/「コンテンツ・フューチャー」

i-morleyが「コンテンツフューチャー」の作者二人と対談している:

http://morley.air-nifty.com/movie/2007/09/post_3f6d.html
http://morley.air-nifty.com/movie/2007/10/post_2577.html

amazonにおける「コンテンツ・フューチャー

本書はCreative Commonsライセンスだそうで、これをPDF化したものがある。

ついこの間、萌える萌えるシリーズ 萌える法律読本 ディジタル時代の法律篇」の著者の一人であるSimonさんと宴席があり、いろいろと聞いた話とオーバーラップしていて、さらに理解が深まった気がする。
とはいうものの、まだまだ未知の世界、というか、誰も答えを持っていない世界なのだろうと思う。

English Vitamin: Three Brains

http://englishvitamin.com/podcast/data/06/0630.html

英語の勉強のためのpodcastなのだが、私にとっては特にinspirationalな話であった。

特にemotional brainということについて。

Net-savvyな人たちは議論がどんどんlogicalになっていってemotional aspectを忘れがち?

土曜日, 10月 06, 2007

「山路徹のAPFポッドキャスティング」

先日ミャンマーで日本人ジャーナリスト、長井健司さんが亡くなられた。長井さんが契約しておられたAPF通信社、ということでたぐっていって、「山路徹のAPFポッドキャスティング」を見つけた。

これが面白い。i-morleyのように面白いと思う。

i-morleyのような番組構成やスタイルの破天荒さは全然ないのだが、コンテンツのまさしく「中身」がトんでいる:

  • 「人生相談」のコーナーに7歳の子どもが電話してきて「人間はなぜ戦争するの」と難問を突きつけられる。在イスラエル歴40年というジャーナリスト二人で一生懸命悩みながらそれに答える。
  • 「人生相談」のコーナーに、中国東北部に住むという韓国系の人から「仕事がないんですがどうすればいいんでしょうか」といわれ、また悩む。その話の中で中国のさまざまな問題点が個人のレベルと世界のレベルを行き来しながら語られる。
  • 中近東を取材している記者のが語る、なぜかその場にいて自動小銃を握っている若い日本人の話。
  • 日本の危機管理の話をしていて盗聴の話題がでて、「そりゃ気にしますよ。だって自分がしてたんだからされる時のことは考える」という、元公安系か外務系の人の話。
などなど。

i-morleyが好きな方なら、こちらも興味深く聴けると思う。お薦めである。

例の殺害事件の頃から更新が止っているようである。「自粛」などという言葉とは無関係そうに思われる人たちなので、取材の整理でもしているのではないだろうか。次の更新を期待している。

木曜日, 4月 26, 2007

i-morley:トシデレ~帰国した相田トシさんを迎えて

http://morley.air-nifty.com/movie/2007/04/post_7f83.html

別動してインドにいた相田トシさんが帰ってきてのトーク。ロバート・ハリスさんも一緒ですね。

水曜日, 4月 18, 2007

ZTD (Zen to Done)

http://zenhabits.net/2007/04/zen-to-done-ztd-the-ultimate-simple-productivity-system/

GTDの補完。興味深い。

スナフキン in the バラナシ

スナフキン in the バラナシ


「トシさんはスナフキンのような人であって、昔はそういうのはヒーローであった。世界のどこかでスナフキンがいると思えるといい」

i-morleyは、いつの頃からか河野麻子さんより池田由紀子さんの方が出る回数が多くなっている。滞米経験その他で池田さんの方がよりノリが合うのかもしれない。

火曜日, 4月 17, 2007

SaveNetRadio.org

SaveNetRadio.org

ネットラジオのライセンス料が跳ね上がり、運営の危機にあるそうです。

Do Professional Organizers Keep Their Desks Neat All the Time? See for Yourself!

http://www.neatliving.net/blog/2007/04/do_professional.html

Professional Organizersが自分のデスク周りを紹介する。
興味深い。

James Nachtwey: TED Prize wish: Share a vital story with the world

http://www.ted.com/index.php/talks/view/id/84

Real witnessの言葉には説得力がある。その静かな語り口を含めて。

日曜日, 4月 08, 2007

土曜日, 4月 07, 2007