日曜日, 9月 28, 2008

「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」Bunkamura ザ・ミュージアム

「オフィーリア」だけを観に行った。…つもりだった。



会場へ着くとすたすた、ずんずんと中に入り、オフィーリアを探した。にもかかわらず、おしまいまで歩いて行って見つからず、もどってくると第一室にあった。思いのほか小振りの絵で、見逃したのだった。
オフィーリアは、本などで見たそのままの絵であった。緑の発色が素晴らしい。
私の陶芸の師匠が作った茶碗がある。今は知人の所有となっているが、これが大変な化け茶碗で、言葉で表現するのが難しいのだが、流れ出した釉薬の色を見ていると、このミレイの絵の緑と、水面に浮かぶ花々の色を連想する。
狂気に憑かれたオフィーリアは川に落ち、確かな意識も定まらぬ表情で、半ば死の気配の見える姿で浮かんでいる。その表情と絵の美しさに感心して、しばらくそこにいた。

イギリスらしい気がするのは、絵にかけられたカバーのぞんざいな拭き上げ方。ガラスがあるかないかわからないようなクリアさだったダヴィンチの受胎告知(ウフッツィ美術館蔵:国立博物館にて展観)のときとは比べ物にならない。
また、この絵の額の上の縁の開閉金具のようなデザインは何?、と言うようなことも不思議に思った。
一息ついてから、さてこれで目的は達したし帰ろうか、などと簡単に考えながら先を見て行ったのだが、実はミレイはまったくそんな簡単な人ではないのだ、ということがわかった。

私の知るミレイは、「ラファエル前派」という、当時のいわばアート悪ガキ集団の一人としてのものだった。当時のアカデミーの絵画技法や考え方に不満を持ち、ダンテ・ガブリエル・ロセッティらといろいろと変わったことをやったメンバーの一人。古典絵画とちょっとずれたテーマを耽美的に描き、美しく、主張が曖昧な絵画たち。
しかし、元々絵の才能が秀でていた彼は、その後の長い人生の間に彼自身の展開をしていたのだった。技法的には古典絵画を踏襲し、精緻化して行きながらも、概念的な古典性から離れ、当時的な現代性のある、美しく、親しみのある作品へと進化している。絵画の正常進化そももののような変化を遂げている。
「主張が曖昧に見える」のは、まさしくそれを意図して描かれているのであった。

印象派のような技法に行く手前の古典的領域で、絵画がどこまで美しくなり得たのかを示しているような、高貴で優雅な美を提示している。

結局、普段は使わない音声案内を借り出し、全部を改めて見直した。最近はあまり買わない図録も買った。知っていたはずのものがもっと凄かったのを知った、という至福の時間であった。

そしてまたオフィーリアに戻る。情報を知的に入手することは、絵そのものを見る時は邪魔な時もある。二度目のオフィーリアは、最初ほどの感動をもたらさなかった。明らかに知が邪魔している。そのことを実感した。
が、再び感動は戻って来た。それは、絵の下の端に描かれているものが見えた時だ。水草から水面に咲いた白い花は、つい先日、保津川下りで実際に目にしたそのものであった。その実感がよみがえったとき、ライブな絵の感動が再び私に訪れた。



もうこの絵のことは絶対に忘れない。ようやく、私は満足してその場を離れることができた。