木曜日, 2月 28, 2008
「スパニッシュアパートメント」
「スパニッシュアパートメント」監督:セドリック・クラピッシュ、出演:ロマン・デュリス、ジュディット・ゴドレーシュ、オドレイ・トトゥ、セシル・ドゥ・フランス、ケリー・ライリー他
フランスからスペインへ一年留学したエリート青年の物語。しかし学校の生活は一つも出てこない。恋愛を中心とした人間関係がユーモラスに描かれる。「あなたが女だったらいいのに」といいながら主人公に愛撫のしかたを指導するレズのルームメイトなど、役者が魅力的だ。
「いま風」のスタイリッシュな映像表現がスピーディでいい。2002年発表にしてはやたらと古いマックがぼろぼろとでてくる。時代を演出している?にしてもこだわりだ。
ヨーロッパ世界の等身大の青年像、ということなのだろうが、「等身大」のありかたが日本とちがうのか、その表現力の違いか、青年たちは率直で、原則的で、こどもっぽくない。常に大人になりたいと思っているあちらの世界の人々と、「大人になりたくない日本人の若者」のイメージの差なのか。
土曜日, 2月 16, 2008
「アンジェラ」
金曜日, 2月 15, 2008
「セックス・トラフィック」
なぜこの映画を借りる気になったのかをよく覚えていない。どれかのレンタルDVDの予告だったのかもしれない。
主役はてっきり「白バラの祈り」のゾフィー・ショルを演じたユリア・イェンチだとばっかり思っていたら、全然違うアナマリア・マリンカという人だった。
2004年のテレビ用の作品で、前後編それぞれ90分、合計180分が収録されている。
モルドバの砂糖工場で働く姉妹が、妹の恋人?に誘われてロンドンで仕事をすることになる…はずだった。しかし実際は彼女たちはパスポートを取り上げられ、セルビアで売春婦として人身売買される。そこから小さな船で海を渡り、イタリアへと売られていく。
ボスニアを拠点とする、アメリカの傭兵部隊による治安監視団が、実際は組織的に近隣から女性を捕らえて人身売買のチャネルに載せる、セックス・トラフィックがあった。
特にこの国などの表には現れない世界には、かくも過酷な現実が隠れているのだ、ということを印象づける作品。一度はご覧になってください。
水曜日, 2月 06, 2008
映画「パーフェクトブルー」
監督:今敏、声の出演:岩男潤子、松本梨香他
アイドルから女優を目指した少女におこるストーカーストーリーを、なんとアニメでマジにやってしまおうという試み。
1998年公開。10年前のことだ。
アニメでホラーテイストのストーカーストーリーをやるという枠組みに「やりやがったな」と思う。劇中に「国内でサイコスリラーをやるとどうしてこうなるかねえ」という台詞があるのだが、これは意味深だ。:)
このせいか成人映画指定になってしまった「劇中のレイプ」シーンやヘアヌードの表現、サブリミナル的映像など、心理劇やリアリティの世界は、アニメ界ではおよそ試されてこなかったと思うが、やってみれば意外に惹かれる。
女優へと路線転換して悩み、錯乱しつつ恐怖の体験をする2Dキャラの主役に感情移入までするのはさすがに難しいのだが、状況の恐怖感は感じる。
「東京ゴッドファーザーズ」で今敏という監督に興味を持ち、以後時系列とはばらばらに「パプリカ」「パーフェクトブルー」と観てきたが、この人は一貫してリアリティをアニメ界に持ち込む試みをしていて、そこのところが面白い。TGFの時に「なんで実写じゃないんですか、この映画は」と感じたのを思い出す。
発表年が比較的近い「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)ではこのような感覚部分のリアリティはあまり意識しなかったが、1998のこれは進歩と言えるのかもしれない。
でもなんで「パーフェクトブルー」?と思ったが、これは竹内義和の原作のタイトルで、ストーリーからは意味不明。
観た順番は逆だが、ここからみると「パプリカ」はより映像表現に寄っているので、ここまでのリアリティは感じられない。まあストーリーがストーリーなので「なにがリアリティだよ」ということでもあるが。
今敏監督の映画は、アニメで観客はどう感情を呼び起こされるのか、されないのかを考えるよすがとなる作品群だと思う。興味深いことだ。
火曜日, 2月 05, 2008
映画「パプリカ」
監督:今敏、原作:筒井康隆『パプリカ』、声の出演:林原めぐみ、古谷徹、江守徹他
筒井康隆の原作を基にしたアニメ映画。夢と現実の境界がない世界を、過剰で圧倒的な絵の力で表現している。自宅でDVDで観たのだが、映画館のフルスクリーンで観るとまたちがった迫力もあったかもしれないと思う。そちらにも興味がある。
原作を読んでいないが、原動力となる筒井康隆の、飛びまくったイメージが今敏を刺激したのだろう。さすがだ、という感じ。
監督は楽しんでいる。元のストーリーをなぞるのでなく原作を膨らませ、別の方向へも展開し、原作者の意を汲んでさらに驚かせたい、とのこと。クリエイターとしてはいいんじゃないかと思う。
この作品に限らないことだが、アニメの限界、人(実写)の限界ということを、この作品からも考える。アニメは動作がぎこちなく、感情表現の微妙さに欠ける。3Dでも同じ。人の実写だとアンリアルなシーンのの表現でのSFXのバレに限界を感じ、面白くない。どこにも答えがない。不思議と映画「アンドリュー」では、そこのところを感じなかった気がするが、あれはロビン・ウィリアムスという稀代の役者を得たことで成立しているのかもしれない。
アニメだとイメージだけを提供するこれがよいのか? それとも「AppleSeed」のあたりまでリアリティに寄り添うのがいいのか? 答えの見つからない疑問だ。
平沢進という人の、バックグラウンドミュージックはよいのだが、テーマソングのチープ感は勘弁してほしい、という感じだった。わざとチープな打ち込みを演出しているのだろうか。チープなカルチャーの浸透を感じさせ、薄ら寒い。(演出なんでしょう、きっと。)
夢や他人の記憶の記録に関わった映画としてダグラス・トランブルの「ブレインストーム」と、もう一つミレニアムの頃の犯罪サスペンス映画を思い出したが、後者はどうしてもタイトルが思い出せない。。→「ストレンジ・デイズ」でした。ありがとう>マイミクさん。
一見の価値がある作品です。この「パプリカ」は。
金曜日, 2月 01, 2008
真喜志好一さんのこと
大昔のパソコン通信の仲間が集まる機会があり、久しぶりにmaxiさんこと真喜志好一さんと時間を過ごした。
彼は、以前は立法院棟の保存・再生運動に心血を注ぎ(沖縄の戦後の象徴するモニュメント的存在であったその立法院棟は、保存運動の甲斐なく、沖縄県が駐車場にしてしまった)現在は辺野古の海上基地と高江のヘリパッド建設への反対運動に身を投じている。いろいろと大変な状況であろうに、再会した彼はとても元気だった。見た目はたまたま先日自宅で見つけた朝日グラフ96年の写真とさほど変わらない。
元気というか、ビビッドだった。明晰な頭脳をもち、したたかに運動のための戦略を描いている。苦労を楽しんでいる、というのとは違うだろうが、正しいと信じていることを、いたずら少年のように実践している、とでもいうのだろうか。そういう子どものわくわくした感じに似ているように思った。
そこに問題があるのを実感しながらも、PCの前でその情報を見ながら外野評まがいのことをしながら悩んで?いるのとは違う。リアルな展望をもち、現実の問題に直面している人々とリアルな関係を結んでいる。
ああいう姿を見ると「自分はどうしたらよいか?」「自分のコミットメントとはなにか?」と、つくづく思う。問題は思うその先にあるのだが。。
彼は、以前は立法院棟の保存・再生運動に心血を注ぎ(沖縄の戦後の象徴するモニュメント的存在であったその立法院棟は、保存運動の甲斐なく、沖縄県が駐車場にしてしまった)現在は辺野古の海上基地と高江のヘリパッド建設への反対運動に身を投じている。いろいろと大変な状況であろうに、再会した彼はとても元気だった。見た目はたまたま先日自宅で見つけた朝日グラフ96年の写真とさほど変わらない。
元気というか、ビビッドだった。明晰な頭脳をもち、したたかに運動のための戦略を描いている。苦労を楽しんでいる、というのとは違うだろうが、正しいと信じていることを、いたずら少年のように実践している、とでもいうのだろうか。そういう子どものわくわくした感じに似ているように思った。
そこに問題があるのを実感しながらも、PCの前でその情報を見ながら外野評まがいのことをしながら悩んで?いるのとは違う。リアルな展望をもち、現実の問題に直面している人々とリアルな関係を結んでいる。
ああいう姿を見ると「自分はどうしたらよいか?」「自分のコミットメントとはなにか?」と、つくづく思う。問題は思うその先にあるのだが。。
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