水曜日, 1月 30, 2008

「A」「A2」森達也+安岡卓治




movie:「A」「A2」森達也+安岡卓治。オウム真理教による地下鉄サリン事件から5年後の2000年頃に、その後のオウム真理教の渉外・広報担当をしていたアラキ氏に密着するような形で記録されたドキュメンタリー。
大体において上九一色村のサティアン解体から、信者拠点が転々と設置、退去を繰り返しながら、上祐氏の釈放とアーレフへの改名、の頃までとなる。

「真実のドラマは、まだ何も知らされていない」という映画のコピーがいう通り、一般のマスコミ報道からは全く見えることのなかったオウム信者の日常生活と社会との関わりが記録されている。

「A」における一番の山場は、警察による一人の信者の(ほとんど)不当?逮捕に等しい取り扱いのシーンであった。身分を明かさないことを理由に挑発し、もみ合いから警官と信者が地面に倒れ込み、明らかに「フリ」をして膝を押さえて地面にすわっている警官の仲間がパトカーを呼び、相手の信者を逮捕していく。こういう風にするのか、と、警察の真実の一面を見た気がした。
この時の森のビデオ記録は、彼の決断で弁護士に一任され、それをキーとしてなのか、くだんの信者は起訴されることなく釈放された。

この森達也という人は、オウムにも警察?にも与しないことを宣言しているのか、内部を相当に深くまでカメラ取材しているようだ。ほかのマスコミがいっさいシャットアウトされている場所に、彼(と相方の安岡卓治)だけがハンディカメラでするすると入って取材している。

主な拠点を解体させられたオウム信者はあちこちに離散していくが、その先でもさまざまに近隣住民から排斥される。その中でも興味深い記録がされている。

ある地域では、監視テントができて住民がオウム信者の拠点を監視していたが、そのうちに仲良くなってしまい。信者と住民は和気あいあい、地域住民との交流の場になっている。バラバラだった地域の住民が、この監視活動を契機に一致団結というか絆が深まっている。
そういう場面は普通のマスコミのカメラが来ていてもそれを撮らないし、撮っても放送されたことはない、とのこと。
その監視所を撤去することになり、いらなくなった監視テントを信者と住民が一緒にばらす。ばらすテントからパーツをもらう信者。
監視所がなくなってもやってきて、ゆんたくしていく「ボランティア」の住民たち。ここでは一種の和解が成立している。「混乱している」という住民。
信者がここを退去することになり、「元気でな」「脱会したら遊びにこいよ」といってさよならする住民。
住民に本をくれといわれて教団の本を渡していく信者。「まっ直線なのがいい」「いなくなると寂しくなる」という住民。これが本来的な布教という活動の姿なのかもしれない。

松本サリン事件の被害者に会いにいく教団幹部たち。河野さんに「謝罪は必要ない」と言われ、当惑し河野氏の眼前で悩む信者。割り込むマスコミ。「ちゃんと肚くくって、まとまってから来なきゃ話にならない」「ちゃんと事前に決めてこないと。そういうことが世の中につたわる」と、別室を借して信者に会見内容を検討し直すよう促す河野氏。

精神異常者専用の施設があった。そこは人家から遠い。そこで別の信者を監禁をしたといわれ、逮捕された信者。また衰弱したからと警察により救急車にのせられて連れ出された信者。警察が「マスコミにいっちゃったから入院させてくれ」と病院に頼む。マスコミは現場を見知っているのに「警察報道」をそのまま伝える。報道弱者としての現実。

オウム信者が住み着いたために排除運動を始める住民たち。「みんなで追い出しましょう!」「我々は地下鉄サリン事件を忘れないぞ」
集会を開いて信者宅に面会しにいくが、家の中に招かれても断って、外に出て、スピーカーで「でていけー」と叫ぶ住民。中にはよく聞こえていない。「凶暴な集団」という非難をよそに静かに暮らす信者たち。どうしてよいかわからない、ややこっけいな住民運動。

その他もろもろ。とにかくどこにでもするする入れる森さん。

全体に、信者の現実とのつながりの薄さ?のようなものを感じた。身ぎれいさ、さわやかさとうらはらの、室内の汚らしさ。崇高さとチープ感。粗食で明るい人たち。その明るさ、一直線さ、と、その住んでいるところの汚さ、扱っているもののチープさ、未熟さ?の落差が印象的だった。

一般報道には全く出てこない側面をたくさん見ることができた。