月曜日, 1月 28, 2008

「ホームレス中学生」田村裕




お笑いコンビ「麒麟」のメンバー、田村裕が実体験した中学〜高校時代の赤貧の話。
製薬会社勤務であった父親が、妻(著者の母)の死と自らの病気をきっかけに解雇され、いわゆる中流の生活から一気に極貧となり、著者の中学二年の時に「家族を解散」する。以後、著者やその兄姉は別々に、公園を拠点にしたホームレスとなる。

ホームレスとして公園で生活し、段ボールを食べることに違和感を感じないという状態は相当の赤貧・極貧だと思うのだが、その体験自体のせいなのか、お笑い芸人である著者の性格・キャラクタなのか、あるいは極貧とはいえ、家族のように住まわせてくれたり、なにくれとなくサポートしてくれる友人の家族など周囲の人たちがあり、ぎりぎりでありながらも前に進むことができたからなのか、全体として一種突き抜けた感じの明るさ、楽天性がある。

彼の場合は幸運なケースだったのかもしれない。
この状態で妹を守りながら、一緒に同様の公園生活とバイトでしのいできたという、著者の兄の方がより孤立無援に近かったようだ。兄の話をむしろ読みたい感じがする。
状況があまりに軽々しく見える記述があるにもかかわらず、彼が周囲の人々や、特に母親を思う気持ちは切々としており、少なくとも最後のページ*だけ*にはぐっとくる。

その楽天性なのか、あるいは著者自身が認めている言葉のつたなさのせいか、話があまり深くなっていかない。こちらが実体験したことがないからわからないだけなのかも知れないが、その「浅い感じ」自体が、むしろ本来的に現代の社会で極貧のリアリティに近いのかも知れない。「うっそー」といった、軽いノリで会話が進むようなカジュアルな状況で、一歩踏み外すとたちまち「お手軽に」ホームレス状態が成立してしまうような、セーフティネットが存在しない日本社会が見えているのかもしれない。彼らはその中の、たまたま幸運なケースだったのであり、この話は等しく我々にも降りかかってくるのかも知れない、と。

それにしても、帯にある衆議院議員・麻生太郎のコメントが情けない。
『…ここには、日本人として忘れてはならない何かがあります』
助け合って著者らを支えた周囲の人々を指しているのだろうが、他人事のようにそれを言うのは政治に携わるものの立場ではないだろう。こういう人たちが落ちて行かないセーフティネットを作るのがあなた方が選挙で選ばれた理由のはずだ。