日曜日, 1月 06, 2008

二つの映画

初釜と新年会を楽しく過ごし、帰宅していきなりその気になり、まだみていないレンタルDVDをプレイした。タイトルは「バベル」





あまりにアンリアルで不条理な「運命の不思議」にみえるが、実は不思議でも何でもなく、人生の歯車がちょっとかみ合い損ない、連鎖が成立してしまえば、まるで自然な流れのごとくがらがらと行くところまで行ってしまうリアリティがある。
そのリアルな物語がいくつか組み合わさって、運命の不思議、縁(えにし)までを感じさせる。
そしてどのストーリーにも、またその組み合わさった妙にも、その背景にも、「バベル」という言葉が意味するコミュニケーションの不能性が染み込んでいる。
一瞬も目が離せなかった。奇異で悲惨なシチュエーションが、次はどうなってしまうのだろう、と見逃せない感じ。つかみきって放さない。まさしく力強い物語の持つ力だと思った。

見終わって、夕食を済ませ、ふと誰かがテレビをつけたら、たった今始まったばかりの映画があった。それが二つ目だ。ハイビジョン日曜シネマ「花嫁のパパ」。



イタリアに留学していた22歳の娘が、帰ってくるといきなり
「フリーランスの情報通信コンサルタント」をしているというリッチファミリーの青年と結婚する、という。若い二人に押し切られ、結婚式が計画され終わるまでの父親の不安や哀しみや期待を父親役のコメディアンのスティーブ・マーティンの視点で描く。
ストーリーは
完全に思った通りのな予定調和展開で進み、なにかひねりがあるんじゃないかという、ある種の期待がまったく外されてそのまま終わってしまう。
「バベル」とは完全に対極にあるような映画だ。

前者は147分。この間、時計を見た記憶がない。気がついたら終わっていた。後者は102分。「なにかひねりは?」と思いながら見続け、それが起りそうもないとわかると「バベル」との違いを考えながら見続けた。結局はこらら二つを等しく最後まで観てしまう我々はいったいなんなのか、と考えてしまうことであった。