Mac: MacBook Air 11inchが発売になった。サイズ的にはネットブッククラス、ということになる。ネットブックやiPadよりわずかに幅が広い、という感じか。重さはネットブックくらい。
これはかなり気になる。もう少しでポチッと買いそうになった。
私はこれまでどうして来たか。普通にMacBookを使っていた。「普通の」MacBookの最後は黒いMacBookだ。これの重量は2.3kg。重い。
そのころ初代MacBook Air 13インチが出た。「レガシーデバイスなし、ワイヤレスで生きろ」がJobsのメッセージだった。重量は多少減ったが、多くは変わらず。HDが最大120GBという制約があり、それで購入に踏み切れなかった。
その後、世間のネットブックの軽さにあこがれ、いっそubuntuのネットブックを試してみようかと思った。がしかし、普段プレゼンテーションなどをこれで行うので踏み切れず、ついに「思い余って」Dell Inspiron Mini 10vを使ってHackintoshすることになった。多少の問題はあったものの、これは十分に使えて最近までメインマシンであった。
そこにiPadが登場した。「クラウドで生きろ」が今度のJobsのメッセージだった。パラダイムの転換を予感し、使うことに。最近はこれしか持ち歩かない。10vはデスクトップPC状態になった。iPadでやりたいことの95%は出来ているが、一番いやなのはプレゼンター(クリッカー)を使いながらKeynoteでプレゼンできないことだった。iPhoneをクリッカー代わりに使ってPDFなどでプレゼンする2Screenもあることだし、いずれは何とかなるにちがいない、とKeynoteのバージョンアップをひたすら待っていた。
そこにネットブックサイズのMacBook Air 11である。フラッシュメモリ128GB。以前なら許容できないサイズだったが、これをモバイルマシンと位置づけるなら、すでに私はクラウドを使いつつ16GBのiPadでモバイル環境を生きている。それなら128GBでいいじゃないか、ということになる。
いまiPadからMacBook Air 11に乗り換えれば、Keynoteの悩みは消滅してしまう。逆に一番困るのは、iPadで習慣化した読書がどうなるのか、ということだった。あとは録音しながらメモが取れるSoundNoteのようなものの問題も。(さらにいうならターミナルで行うようなUNIX環境があるともう言うことはない。)
さてそこで、来年夏に出ると言われるMacOS 10.7 Lionの事を考える。これにはiOSのさまざまなFeatureが盛り込まれる予定だ。つまりMacBook Airは半分はiOSの環境になってしまう、と考えられる。マックとiPadのハイブリッドみたいな感じが予想される。そうするとこちらにも読書関連のiアプリが移植されてくるのではないか? それならおっけーじゃないか。即ポチッとやるか?
…と思っていた時に、過去の流れが蘇る。だがそれって10vでやるはずのことではなかったのか? あるいはiPadでとことんやるはずではなかったのか? 何かどこかにパラドックスがあるような、いまひとつ納得しきれない感じ。。。
結局こうすることにした:
・MacBook AirはLionまで待つ。その頃にはスペックも少し上がるかもしれない。
・それまでにiPadのKeynote環境がクリッカーを使えるようになるかもしれない。それだったら必ずしもMacBook Airは必須ではない。むしろ自宅/職場の母艦のスペックを向上させるべきか。
ということでしばらく待つ。
ところで、ここまで考えて、Jobsの絶妙?(か結果的かはわからないが)な戦略を思った。
要するにそれは「順番」ではなかったか?、と。
新生代Appleデバイス、といってもMacBook Airをまず出しては、たいしたインパクトはなかったろう。それに先立ってiPadを出した。これはクラウド時代の到来と相俟って、エンドユーザーのパラダイム転換を引き起こし、爆発的な売れ行きをもたらしている。
それで、ユーザーのモバイル環境としてワイヤレスもクラウドも当たり前になった時に、iPadで全てを置き換えるのには苦労している私の様なタイプに向けて、絶妙にデザインされたMacBook Airを再び登場させる。「今の時期、このスペックならどうだ。さらにこれは来年になったら半分iPadになるぜ。」というわけだ。ここにはまた大きな需要があるだろう。エンドユーザーが悩むのは、いつiPadを持ち出し、いつMacBook Airを持ち出すか、ということくらいだ。
やるなあ、Apple。
木曜日, 10月 07, 2010
今敏氏死去、千年女優、などなど
アニメ映画監督、今敏氏が亡くなったのはもうしばらく前になるが、少し整理してみる。
まずは今敏氏のご冥福をお祈りいたします
この訃報は、その事実の伝播のし方が、少なくとも私にとっては、これまでにないものだった。
最初、私はそれを家族との朝食の席で聞いた。息子が「今敏氏が亡くなったらしい」というのだ。「らしい」と。数時間前にガイナックス関係者のツイートで見たという。
私はまずGoogleでニュースを探した、それらしいものは何もない。見つかるのはガイナックス関係者のツイートだけだった。ツイートをたどっていくとさらにいくつかのツイートがあるが、それしか見つからない。中国語のサイトがニュースに報じているのを見つけたが、この情報源も自分が探し当てたツイートだった。結局は全てtwitterからだ。
その後数時間にわたって、mixiで質問したりしながら時おりネットを検索したが、twitter以外からは何も情報が得られなかった。「今敏 死亡」を検索文字列にしてGoogleアラートを立てたが、最初にそれが鳴ったのはその日の15時頃だった。この頃に公式発表が行われ、メディアが報道し、またホームページに事実が公表されたようだった。
自分自身の実体験としては初めて、ツイートがマスメディアに先行しているのをリアルタイムにフォローしたことになった。ついにこういう時代が来たのだ、という、一種の世界の再構築が、私の頭の中で起きた。
◎パプリカ
その日、手元にあった「パプリカ」を観た。筒井康隆の原作を元にした熱狂と狂気がつたわってくる。このことについては2008年の記事に書いてあるので、ここには詳しく述べないが、前回は狂気的なイメージだけが目に付いた感じだったのに比して、今回はストーリーの骨格がより明らかに見えた。これは観るほうの学習効果だろう。

◎千年女優
そして、まだ観たことのなかった「千年女優」をレンタルビデオで観た。ツタヤのオンラインレンタルだが、待っている数日間で貸し出し確率がどんどん減っていくのが見えた。
もうこれは「俳優がいないのでアニメ」というしかない感じがする。今の人には出来ない役柄だ。「芸能界を引退して久しい伝説の大女優」という主役キャラクター・藤原千代子を演じられるのは、明らかに原節子しかいないが、それは主役のキャラクターと全く一致する彼女の生き方からすれば、不可能なことだ。(原節子は90歳で存命。つい先週、ビューンの雑誌のどれかで彼女の記事を見かけた。)そして、彼女を差し置いて他の誰がこの役を出来るだろうか。だからアニメなのだ。
全編はストレートな愛の感情に満ちている。時相を相前後しながら、ひたむきな彼女の愛が、自由度の高いアニメの表現力を利用して、奇抜で印象的なイマジネーションを存分に展開しながら語られる。表情や動作の描画表現は卓抜している。
アニメ表現が、最良の形で結実した作品だ。アニメのビジュアルはここまでリアリティを表現できるのだ、という実証そのものだ。
◎「パーフェクトブルー」
以前にコメントしているので再度は触れない。
彼の作品を「狂気」と結びつける意見があるが、それは少し違う感じがする。彼の表現力が、狂気までをリアルに観客に印象づけられるほど優れているのだと思う。私には彼の表現は、徹底したリアリティへのこだわりに見える。大友克洋の影響が色濃いが、それでも全ては彼の才能だ。
今敏を越えられる監督が今いるのか? 新海誠は? それ以外は?
ひょっとして、昭和、という前の時代が「リアリティ」と結びついているとしたら、これを表現出来る人はもういないのでは?
ひるがえって、現代の「リアリティ」とはなにか? 「格差」か? 「電脳」か? 「空疎な『誰でもやればなんでもできる、頑張れ!』にあえぐ人々」か? そういうものを正面から表現するクリエイターはいるか?
今敏と他のアニメ監督二人を比較してみる。
まずは押井守。押井作品はヒネている。ビビッドでない。私小説そのものの枠組とストーリー展開のミスマッチに面白さがあるが、その面白さはシリアス表現の漫画に突然出てくるSDガンダム的キャラクターの表すチープさに似ている。反対概念と結びつかないチープやニヒルは、ただのチープやニヒルでしかない。「アヴァロン」のハインドに、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」のハインド以上のチープさを感じるのは、正常な感覚だ。
リアリティは今敏の方が上。
宮崎駿はどうか。あちらはダイナミックな展開をみせるファンタジーの魅力。最後は力技で、どこまでも世界をひっくり返して見せる力量が凄い。リアリティとは違った世界にいる。そんなもの関係ない。
誰が今敏を継げるのだろうか。合掌
まずは今敏氏のご冥福をお祈りいたします
この訃報は、その事実の伝播のし方が、少なくとも私にとっては、これまでにないものだった。
最初、私はそれを家族との朝食の席で聞いた。息子が「今敏氏が亡くなったらしい」というのだ。「らしい」と。数時間前にガイナックス関係者のツイートで見たという。
私はまずGoogleでニュースを探した、それらしいものは何もない。見つかるのはガイナックス関係者のツイートだけだった。ツイートをたどっていくとさらにいくつかのツイートがあるが、それしか見つからない。中国語のサイトがニュースに報じているのを見つけたが、この情報源も自分が探し当てたツイートだった。結局は全てtwitterからだ。
その後数時間にわたって、mixiで質問したりしながら時おりネットを検索したが、twitter以外からは何も情報が得られなかった。「今敏 死亡」を検索文字列にしてGoogleアラートを立てたが、最初にそれが鳴ったのはその日の15時頃だった。この頃に公式発表が行われ、メディアが報道し、またホームページに事実が公表されたようだった。
自分自身の実体験としては初めて、ツイートがマスメディアに先行しているのをリアルタイムにフォローしたことになった。ついにこういう時代が来たのだ、という、一種の世界の再構築が、私の頭の中で起きた。
◎パプリカ
その日、手元にあった「パプリカ」を観た。筒井康隆の原作を元にした熱狂と狂気がつたわってくる。このことについては2008年の記事に書いてあるので、ここには詳しく述べないが、前回は狂気的なイメージだけが目に付いた感じだったのに比して、今回はストーリーの骨格がより明らかに見えた。これは観るほうの学習効果だろう。

◎千年女優
そして、まだ観たことのなかった「千年女優」をレンタルビデオで観た。ツタヤのオンラインレンタルだが、待っている数日間で貸し出し確率がどんどん減っていくのが見えた。
もうこれは「俳優がいないのでアニメ」というしかない感じがする。今の人には出来ない役柄だ。「芸能界を引退して久しい伝説の大女優」という主役キャラクター・藤原千代子を演じられるのは、明らかに原節子しかいないが、それは主役のキャラクターと全く一致する彼女の生き方からすれば、不可能なことだ。(原節子は90歳で存命。つい先週、ビューンの雑誌のどれかで彼女の記事を見かけた。)そして、彼女を差し置いて他の誰がこの役を出来るだろうか。だからアニメなのだ。
全編はストレートな愛の感情に満ちている。時相を相前後しながら、ひたむきな彼女の愛が、自由度の高いアニメの表現力を利用して、奇抜で印象的なイマジネーションを存分に展開しながら語られる。表情や動作の描画表現は卓抜している。
アニメ表現が、最良の形で結実した作品だ。アニメのビジュアルはここまでリアリティを表現できるのだ、という実証そのものだ。
◎「パーフェクトブルー」
以前にコメントしているので再度は触れない。
彼の作品を「狂気」と結びつける意見があるが、それは少し違う感じがする。彼の表現力が、狂気までをリアルに観客に印象づけられるほど優れているのだと思う。私には彼の表現は、徹底したリアリティへのこだわりに見える。大友克洋の影響が色濃いが、それでも全ては彼の才能だ。
今敏を越えられる監督が今いるのか? 新海誠は? それ以外は?
ひょっとして、昭和、という前の時代が「リアリティ」と結びついているとしたら、これを表現出来る人はもういないのでは?
ひるがえって、現代の「リアリティ」とはなにか? 「格差」か? 「電脳」か? 「空疎な『誰でもやればなんでもできる、頑張れ!』にあえぐ人々」か? そういうものを正面から表現するクリエイターはいるか?
今敏と他のアニメ監督二人を比較してみる。
まずは押井守。押井作品はヒネている。ビビッドでない。私小説そのものの枠組とストーリー展開のミスマッチに面白さがあるが、その面白さはシリアス表現の漫画に突然出てくるSDガンダム的キャラクターの表すチープさに似ている。反対概念と結びつかないチープやニヒルは、ただのチープやニヒルでしかない。「アヴァロン」のハインドに、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」のハインド以上のチープさを感じるのは、正常な感覚だ。
リアリティは今敏の方が上。
宮崎駿はどうか。あちらはダイナミックな展開をみせるファンタジーの魅力。最後は力技で、どこまでも世界をひっくり返して見せる力量が凄い。リアリティとは違った世界にいる。そんなもの関係ない。
誰が今敏を継げるのだろうか。合掌
水曜日, 9月 08, 2010
iPad Sleeve Pro -ASANOHA- :丸益西村屋
こちらはたぶん8月初めに届いた。京友禅のハンドクラフトのiPadのケース。美しい。
これまでは、別の用事で岩手県遠野市から送られてきたプチプチの入った封筒を、ガムテープで縁を(それなりに)きれいに補強したものに入れていた。郵送封筒から無造作にiPadが出てくるのが、ちょうどMacBook Airの紙封筒の演出のような感じで、結構気に入っていた。が、封筒自体が2ヶ月ほどでくたびれてきて、中のプチプチがはがれ始めたので、そろそろ頃合いかな、ということでこのケースにした。
iPad自体はTUNEWEAR Softshellに入っているので、シェルごとそのまま入りそうな、シンプルで美しい容れ物を探していたらこれが目に留まった。シェルごと中に入るか気になったのでメーカーさんへメールを出して確認したところ、実際にシェルを装着して試してくださったとのこと。大丈夫そうだというので、商品のうち一番余裕がありそうなものを選んでいただいて送ってもらった。(ハンドメイドなのでそういう選択ができた。)
結果は大満足で、ぴったりとすっきりと中に収まっている。中に緩衝材が入っていて、多少の保護効果も期待できそうだ。縫製の仕上がりは実にきっちりとしている。セットにはスペアのボタンが一つついてくる。私自身の希望には完璧なもの、という感じ。いいものを買いました。どうもありがとうございます>丸益西村屋さん。
これまでは、別の用事で岩手県遠野市から送られてきたプチプチの入った封筒を、ガムテープで縁を(それなりに)きれいに補強したものに入れていた。郵送封筒から無造作にiPadが出てくるのが、ちょうどMacBook Airの紙封筒の演出のような感じで、結構気に入っていた。が、封筒自体が2ヶ月ほどでくたびれてきて、中のプチプチがはがれ始めたので、そろそろ頃合いかな、ということでこのケースにした。
iPad自体はTUNEWEAR Softshellに入っているので、シェルごとそのまま入りそうな、シンプルで美しい容れ物を探していたらこれが目に留まった。シェルごと中に入るか気になったのでメーカーさんへメールを出して確認したところ、実際にシェルを装着して試してくださったとのこと。大丈夫そうだというので、商品のうち一番余裕がありそうなものを選んでいただいて送ってもらった。(ハンドメイドなのでそういう選択ができた。)
結果は大満足で、ぴったりとすっきりと中に収まっている。中に緩衝材が入っていて、多少の保護効果も期待できそうだ。縫製の仕上がりは実にきっちりとしている。セットにはスペアのボタンが一つついてくる。私自身の希望には完璧なもの、という感じ。いいものを買いました。どうもありがとうございます>丸益西村屋さん。
- iPad(とスタイラスペン)
- Moleskine Cahierを手製のトラベラーズノートブックもどきでカバーしたもの
- カロリーメイトメープルシロップ味
- バッファローのBluetoothイヤフォン
- DWR-PG
- アタッチメント類
- 本一冊
- その他、歯磨きセットなど少々
火曜日, 9月 07, 2010
オルセー美術館のiPhoneケース:ゴッホ
7月のことだが、ちょっとうれしいお土産を買った。
国立新美術館のオルセー美術館展の出口近くにあった、ゴッホの絵のiPhoneケース。手持ちのケースが一部割れていたので何かいいのはないかと探していたら、ジャストタイミングで出会った。ゴッホのこの絵のことは恥ずかしながら知らなかった。今回の展観で初めて観たのだが、とてもよかった。それがバックにプリントされているのでもう見ただけでくらくらしてしまって、すぐにレジに持っていった。持っていってから値段を見ると3200円。おお。でもいいから買うもんね、と買った。フロントのスクリーンをフルカバーするマットフィルムもついていて、まあまあ悪くないお値段なのかも。
持っていてこの絵がきれいなので、大満足している。
国立新美術館のオルセー美術館展の出口近くにあった、ゴッホの絵のiPhoneケース。手持ちのケースが一部割れていたので何かいいのはないかと探していたら、ジャストタイミングで出会った。ゴッホのこの絵のことは恥ずかしながら知らなかった。今回の展観で初めて観たのだが、とてもよかった。それがバックにプリントされているのでもう見ただけでくらくらしてしまって、すぐにレジに持っていった。持っていってから値段を見ると3200円。おお。でもいいから買うもんね、と買った。フロントのスクリーンをフルカバーするマットフィルムもついていて、まあまあ悪くないお値段なのかも。
持っていてこの絵がきれいなので、大満足している。
土曜日, 8月 28, 2010
でかいMacBookPro 13インチ
知人が買ってきたMacBook Pro 13インチを久しぶりに手に取ってみたが、その巨大さに驚いた。巨大?
巨大だった。最近持ち歩いているiPadに比べれば。私はiPad以前はDell Mini 10v HackintoshがモバイルPCであったので、今年2月にTEDxRyukyuの上映用PCとしてMacBook 13インチを持ち出して以来、あの大きさのものを手に取って見ていない。それで久しぶりに手にした13インチは恐ろしく大きく感じた、というわけだ。
写真で見れば一目瞭然。普段持ち歩いているのが赤いのかグレーのやつだから、銀色は大きく感じても不思議はない。
もはや13インチでさえ、もう持ち歩く気にならない。完全にデイリーライフの一部と化したiPadを実感した。
火曜日, 7月 27, 2010
「電書フリマ」
「電書フリマ」に行ってきた。
Biz誠であったと思うが、Webページで関連記事を発見したことがきっかけだ。曰く文学版コミケのような「文学フリマ」で、対面販売しながらデータでコンテンツを売ったら5時間で1400部以上売れたとのこと。その記事に「電書フリマが2010/7/17に渋谷で開かれる」とあった。
対面販売で電子書籍を売るという行為自体が面白いと感じた。iPad的にちょうどいいのかも?とも思った。そういう購買形態はどんなものだろうか、と体験してみたくなった。たまたま上京している日であったので、行ってみた。
場所は渋谷のコラボカフェというところで、青山学院大学からちょっと渋谷駅方面に下ったところのBFだった。
15時頃に行ったのだが、路上に人があふれていた。とりあえず中に入ると、パーティのような混みよう。
手順を聞くと受付番号のようなものが必要とのことで、入り口近くの端末で発行してもらうような?ことだった。入り口に並び直そうとしたが、よくわからないうちにそれも不要となり、中にあるカタログから買いたいタイトルを選んで、メルアドとともにレジで申請くださいということになった。
奥の方には「試読」コーナーがあり、販売しているコンテンツの一部が読めるようだった。
さて紙のカタログを目にするが、小さい文字と店内が狭いのと暗いのと混みあっているのとで、数ページ数十タイトルくらいあるリストからゆっくりと気を入れて選ぶのが難しかった。その日に帰る予定なのも手伝って、あまり時間を使っていられなかったのだ。そこのところが残念で、もう少しきちんと選ぶ心の余裕が欲しかったところだ。
結局のところ、5ページからランダムに2タイトルづつ10本選んだ。10本以上は1本100円になるので、そうした。大抵の人がそうしているように見えた。
1000円払ってタイトルとメルアドを申請すると、しばらくしてからメールが届くので、そのメールからURIを開くと、手持ちの機器に本がダウンロードされる。私はiPadのStanzaにダウンロードした。
読んでみてどうだったか? Stanzaでフォントと文字サイズを上手く設定すれば、文章としては問題なく読める。翻訳の外国文学、お蔵入りになったマンガのオリジナル版など、いくつかは楽しむ事が出来た。
結局、すべからく作品のクォリティと選択が楽しみを決める。本を買うのと同じだ。関心があって、品質が高ければ、この方式でも、普通の書籍でも楽しみは同じだ。
むしろ「iPadは『書を読む感動』を提供できるのか?」という問いが明らかになった。この読書環境で、読書にフォーカスできるのか?、ということだ。One click awayの場所にtwitterやWebがあるときに、それに邪魔されずに本に集中できるのか?
全ては自分だ、ということか?
聞くところによると、一般の書店で、iPadで「ちら読み」してもらって、気に入ったらそこからクリックすると書籍が発注できるしかけもあるらしい。本もいろいろな形で読めるようになったものだ。
Biz誠であったと思うが、Webページで関連記事を発見したことがきっかけだ。曰く文学版コミケのような「文学フリマ」で、対面販売しながらデータでコンテンツを売ったら5時間で1400部以上売れたとのこと。その記事に「電書フリマが2010/7/17に渋谷で開かれる」とあった。
対面販売で電子書籍を売るという行為自体が面白いと感じた。iPad的にちょうどいいのかも?とも思った。そういう購買形態はどんなものだろうか、と体験してみたくなった。たまたま上京している日であったので、行ってみた。
場所は渋谷のコラボカフェというところで、青山学院大学からちょっと渋谷駅方面に下ったところのBFだった。
15時頃に行ったのだが、路上に人があふれていた。とりあえず中に入ると、パーティのような混みよう。
手順を聞くと受付番号のようなものが必要とのことで、入り口近くの端末で発行してもらうような?ことだった。入り口に並び直そうとしたが、よくわからないうちにそれも不要となり、中にあるカタログから買いたいタイトルを選んで、メルアドとともにレジで申請くださいということになった。
奥の方には「試読」コーナーがあり、販売しているコンテンツの一部が読めるようだった。
さて紙のカタログを目にするが、小さい文字と店内が狭いのと暗いのと混みあっているのとで、数ページ数十タイトルくらいあるリストからゆっくりと気を入れて選ぶのが難しかった。その日に帰る予定なのも手伝って、あまり時間を使っていられなかったのだ。そこのところが残念で、もう少しきちんと選ぶ心の余裕が欲しかったところだ。
結局のところ、5ページからランダムに2タイトルづつ10本選んだ。10本以上は1本100円になるので、そうした。大抵の人がそうしているように見えた。
1000円払ってタイトルとメルアドを申請すると、しばらくしてからメールが届くので、そのメールからURIを開くと、手持ちの機器に本がダウンロードされる。私はiPadのStanzaにダウンロードした。
読んでみてどうだったか? Stanzaでフォントと文字サイズを上手く設定すれば、文章としては問題なく読める。翻訳の外国文学、お蔵入りになったマンガのオリジナル版など、いくつかは楽しむ事が出来た。
結局、すべからく作品のクォリティと選択が楽しみを決める。本を買うのと同じだ。関心があって、品質が高ければ、この方式でも、普通の書籍でも楽しみは同じだ。
むしろ「iPadは『書を読む感動』を提供できるのか?」という問いが明らかになった。この読書環境で、読書にフォーカスできるのか?、ということだ。One click awayの場所にtwitterやWebがあるときに、それに邪魔されずに本に集中できるのか?
全ては自分だ、ということか?
聞くところによると、一般の書店で、iPadで「ちら読み」してもらって、気に入ったらそこからクリックすると書籍が発注できるしかけもあるらしい。本もいろいろな形で読めるようになったものだ。
水曜日, 7月 21, 2010
My iPad life
Dell mini 10v Hackintoshによる軽量のMacOS Xを日常環境としていた私には、今すぐiPadを買う必要性はなかった。「しばらく待ってからだな」と思っていた。
しかし5月10日にそれはやってきた。「iPad。いよいよ5月28日発売。本日より予約販売開始。」と書かれたAppleからのメールだ。私はそれを、当日の夜に読んだようだが、これはなにか自分がコンピューティングに関して持っているパラダイムを根本的に変えるのだろうという予感が強くなった。ニューパラダイムには乗るべきである。
結局、翌日の朝にはWiFi16GBモデルを注文していた。ほとんど即日に近い申し込みは受け付けられ、私は全くどこにも並ばずして、発売当日にiPadを手にする予定になった。
待っている間、一喜一憂も何もしなかった。どちらかというと懐疑的。10vとどこが違うだろうと考えながら待っていた。
5月28日金曜日、ブツは届いてないように見えた。明日来るんだろうか、などと暢気に構えていたら、陶芸の師匠のところから電話がかかってきた。「なにかアップルから届いているんだが、これは何? そちらのモノ?」 しくじった。。先だってAppleからフォトアルバムをあちらに送っていて、今回の注文を、間違えてその住所へ送ったらしい。「あーうちのです。明日取りに伺います」と、そそくさと回収することに相成った。「くれるのか?」と言われて汗かくこと頻り。。
現物を回収し、それからケースを買いに走るが、そんなものはありゃしない。仕方がないのでアマゾンに注文。結局ケースが届くまでの数日間は本体を開けることもせずに放置していた。
当初は、WiFiオンリーであるし、家において家族で共用しながら、このモノのパラダイムを体感してみよう、という肚だった。
ケースが届き(Tunewearのソフトシェルにした)、使い始めてみると、やはりあれこれ使い道を考える私自身がより多く触るようになる。そうこうしているうちに完全に自分のツールになってしまった。SyncしたPCが私のPCであったので、そうならざるを得なかった。
さてどう使おうか、と考えた。
こ数年間で、Apple社は、というよりJobsは、PC環境に関して二つのイノベーションを我々ユーザーに迫った。
まず彼は、MacBook Airで全てのレガシーインターフェースを捨ててワイヤレスで生きろ、と迫った。私は当時、彼の挑戦を受けなかった。挑戦の本体自体に乗れなかったわけではない。その頃すでに160GB強のデータを持ち歩いていた私は、キャパシティが120GBしかないMacBook Airは使えなかったのだ。当時使っていた黒のMacBookの重さに耐えられなくなり、Hackintoshすることにしたが、重量1kg弱のMacOS Xネットブックは、持ち歩き環境としてはMBより遥かに快適だった。
Jobsの二つ目の挑戦がiPadだ。今度は彼はクラウドで生きろ、と言ってきた。iPadは明らかにそれを想定したデバイスだ。クラウドでユビキタスにどこででもつかえなくては魅力は半減する。
現在ノートPCで持ち歩いているものを各拠点に分散し、間をクラウドで繋げ、オンザロードをiPadでまかなえるなら、すべてのデータを持ち歩く必要はない。「自分はクラウドで生きられるのか?」 それが私に投げかけられた問いだ。
今度はそれに乗ってみることにした。
まずは環境の分離だった。ここ20年近くの間で初めて、自宅PCと職場のPCにリソースを分けた。映像・音声リソースがHDを食っているので、それを分ける算段をした。iTunesは自宅でしかSyncしない。写真は自宅と職場にリソースを分ける。間をつなぐ必要がある場合はクラウドサービスを使う。カレンダーのSyncにかなり悩んだが、BusySyncを使ってGoogleカレンダー経由で自宅と職場のiCalをSyncすることができた。
プレゼンテーションはKeynoteでできる。オフィススイート系を読むのはGoodReaderでできる。書くほうはプレーンテキストで書いて、あとでPCで整形することにした。グラフィック系のヘビーな作業はPCに任せてここではやらない。メモ系の記録はEvernoteを使ってクラウドでSyncする。SSHターミナルもある。マインドマップもある。だいたいはこれでOKということになった。そこに至るまで試行錯誤しながら約4週間。結構時間がかかった。
作業を進めていくうちに、最終的なユビキティを確保する必要に迫られた。モバイルWiFiルータが各社から出てきたので、結局はNTTドコモのDWR-PGにした。
これでだいたいは環境ができ上がった。今一番悩みなのは、Flash動画の問題だ。TEDの翻訳をやっているが、翻訳サイトdotSUBの動画を直接見られないのが痛い。早くなんとかなって欲しいものだ。
同じことはネットブックでもできるのではないか? おそらくできる「はず」なのだが、何かが違う。画面の大きさなのか、すぐに起動して使えることなのか、ものすごくハンディでバッテリを気にしないでいいことなのか、まだよくわからないが、何かが大きく違う。iPadは単にデカくなったiPhoneだ、という声が聞こえるが、そう言っている人々は決定的な勘違いをしているように思える。
実利的なことよりもむしろ、「これだけ」でやる、という、ある種メンタルなものが影響しているように思える。iPadの環境はシングルタスクにフォーカスするのに向いている。そこのところが一番効くのかも知れない。
マウスがないことも、おそらくなにかと関係していると思う。クーリエジャポンに記事にあったが、iPadを使っている人は、見ているページにとどまる時間がPCの時よりもはるかに長いらしい。マウスがないのであまりクリックしないということかもしれないが、それによってユーザーはページをじっくりと読むことになる。そのメンタルなフォーカスの仕方がPCとは違う、というのは自分でも体感し、実感している。
多分これが、これからの、少なくともネット系のITに関わる人間の普通の生きかたになる予感がある。今から3年後、ITの業界で、まだノートパソコンを持ち歩いているようなワークスタイルは、かなりまずい、ということになるのかもしれない。
デバイスの強烈な個性と利便性が、クラウドへ向けての一線をついに超えさせ、自分のPCライフはまったく変わってしまった。それくらいiPadのインパクトは大きい。
しかし5月10日にそれはやってきた。「iPad。いよいよ5月28日発売。本日より予約販売開始。」と書かれたAppleからのメールだ。私はそれを、当日の夜に読んだようだが、これはなにか自分がコンピューティングに関して持っているパラダイムを根本的に変えるのだろうという予感が強くなった。ニューパラダイムには乗るべきである。
結局、翌日の朝にはWiFi16GBモデルを注文していた。ほとんど即日に近い申し込みは受け付けられ、私は全くどこにも並ばずして、発売当日にiPadを手にする予定になった。
待っている間、一喜一憂も何もしなかった。どちらかというと懐疑的。10vとどこが違うだろうと考えながら待っていた。
5月28日金曜日、ブツは届いてないように見えた。明日来るんだろうか、などと暢気に構えていたら、陶芸の師匠のところから電話がかかってきた。「なにかアップルから届いているんだが、これは何? そちらのモノ?」 しくじった。。先だってAppleからフォトアルバムをあちらに送っていて、今回の注文を、間違えてその住所へ送ったらしい。「あーうちのです。明日取りに伺います」と、そそくさと回収することに相成った。「くれるのか?」と言われて汗かくこと頻り。。
現物を回収し、それからケースを買いに走るが、そんなものはありゃしない。仕方がないのでアマゾンに注文。結局ケースが届くまでの数日間は本体を開けることもせずに放置していた。
当初は、WiFiオンリーであるし、家において家族で共用しながら、このモノのパラダイムを体感してみよう、という肚だった。
ケースが届き(Tunewearのソフトシェルにした)、使い始めてみると、やはりあれこれ使い道を考える私自身がより多く触るようになる。そうこうしているうちに完全に自分のツールになってしまった。SyncしたPCが私のPCであったので、そうならざるを得なかった。
さてどう使おうか、と考えた。
こ数年間で、Apple社は、というよりJobsは、PC環境に関して二つのイノベーションを我々ユーザーに迫った。
まず彼は、MacBook Airで全てのレガシーインターフェースを捨ててワイヤレスで生きろ、と迫った。私は当時、彼の挑戦を受けなかった。挑戦の本体自体に乗れなかったわけではない。その頃すでに160GB強のデータを持ち歩いていた私は、キャパシティが120GBしかないMacBook Airは使えなかったのだ。当時使っていた黒のMacBookの重さに耐えられなくなり、Hackintoshすることにしたが、重量1kg弱のMacOS Xネットブックは、持ち歩き環境としてはMBより遥かに快適だった。
Jobsの二つ目の挑戦がiPadだ。今度は彼はクラウドで生きろ、と言ってきた。iPadは明らかにそれを想定したデバイスだ。クラウドでユビキタスにどこででもつかえなくては魅力は半減する。
現在ノートPCで持ち歩いているものを各拠点に分散し、間をクラウドで繋げ、オンザロードをiPadでまかなえるなら、すべてのデータを持ち歩く必要はない。「自分はクラウドで生きられるのか?」 それが私に投げかけられた問いだ。
今度はそれに乗ってみることにした。
まずは環境の分離だった。ここ20年近くの間で初めて、自宅PCと職場のPCにリソースを分けた。映像・音声リソースがHDを食っているので、それを分ける算段をした。iTunesは自宅でしかSyncしない。写真は自宅と職場にリソースを分ける。間をつなぐ必要がある場合はクラウドサービスを使う。カレンダーのSyncにかなり悩んだが、BusySyncを使ってGoogleカレンダー経由で自宅と職場のiCalをSyncすることができた。
プレゼンテーションはKeynoteでできる。オフィススイート系を読むのはGoodReaderでできる。書くほうはプレーンテキストで書いて、あとでPCで整形することにした。グラフィック系のヘビーな作業はPCに任せてここではやらない。メモ系の記録はEvernoteを使ってクラウドでSyncする。SSHターミナルもある。マインドマップもある。だいたいはこれでOKということになった。そこに至るまで試行錯誤しながら約4週間。結構時間がかかった。
作業を進めていくうちに、最終的なユビキティを確保する必要に迫られた。モバイルWiFiルータが各社から出てきたので、結局はNTTドコモのDWR-PGにした。
これでだいたいは環境ができ上がった。今一番悩みなのは、Flash動画の問題だ。TEDの翻訳をやっているが、翻訳サイトdotSUBの動画を直接見られないのが痛い。早くなんとかなって欲しいものだ。
同じことはネットブックでもできるのではないか? おそらくできる「はず」なのだが、何かが違う。画面の大きさなのか、すぐに起動して使えることなのか、ものすごくハンディでバッテリを気にしないでいいことなのか、まだよくわからないが、何かが大きく違う。iPadは単にデカくなったiPhoneだ、という声が聞こえるが、そう言っている人々は決定的な勘違いをしているように思える。
実利的なことよりもむしろ、「これだけ」でやる、という、ある種メンタルなものが影響しているように思える。iPadの環境はシングルタスクにフォーカスするのに向いている。そこのところが一番効くのかも知れない。
マウスがないことも、おそらくなにかと関係していると思う。クーリエジャポンに記事にあったが、iPadを使っている人は、見ているページにとどまる時間がPCの時よりもはるかに長いらしい。マウスがないのであまりクリックしないということかもしれないが、それによってユーザーはページをじっくりと読むことになる。そのメンタルなフォーカスの仕方がPCとは違う、というのは自分でも体感し、実感している。
多分これが、これからの、少なくともネット系のITに関わる人間の普通の生きかたになる予感がある。今から3年後、ITの業界で、まだノートパソコンを持ち歩いているようなワークスタイルは、かなりまずい、ということになるのかもしれない。
デバイスの強烈な個性と利便性が、クラウドへ向けての一線をついに超えさせ、自分のPCライフはまったく変わってしまった。それくらいiPadのインパクトは大きい。
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