日曜日, 3月 09, 2008

「立川談志 きょうはまるごと10時間」

「立川談志 きょうはまるごと10時間」
今日テレビでやっている番組
。落語家立川談志を複眼的に捉え、紹介する番組。

「談志はすごい」という話をよく聞く。が、私にはそれがよくわからなかった。落語をとりわけ注目して聞くように(見るように)なったのはごく最近で、落語家の名前も有名どころをいくつか聞いたことがある程度、いつもはpodcastで二枚目を聞いていて、年寄りの少しよぼよぼとした語りよりは二枚目くらいが元気があって、リアリティを感じていい、などと思っている程度のものだった。
特に「談志の落語」は、少なくともDVDでレンタルできるような範囲においてはかなり年寄りになってからのものが多く、すこし言葉の間があき気味にしゃべるのと、型から外れたようなよけいな講釈に感じられるようなところが多く、「まだるっこしい」ように感じていて、好きではなかった。

が、やはり「談志はすごい」といわれる。どこがすごいのか、もう少し知ってみたいと思い、この番組を見た。(もう一つは、いつだったかの大竹まことのpodcastに談志師匠が出ていて、自分の老いの姿を自分で嫌悪しつつも、その姿をさらしながら落語を続けて行くことについて語っていて、その気迫というか、心のあり方に興味を持っていたからでもあった。)

そしていくつか知ったこと:

彼は落語だけでない芸も、自分にすべてをインプリメントしつつ落語をやっている。彼の持っているものは単に落語の型ではなく、落語を含めた当時の文化を丸ごと飲み込んだ姿である。(番組で中村勘三郎が短く語った彼のことが象徴的だと思う。「だってあの人自体が芸なんだから」。)

古典落語をきっちりと押さえつつ、その古典を毎回アドリブで、現在に投影しつつ演じているライブパフォーマーである。

彼は、老いその他でこわれていきつつも自分自身と落語が一体化した芸を披露している。型をこなしているのでない。毎回自分、というリアルパフォーマンスなのだ。そこのところが、他の落語家の「伝統芸」とは全く違った形の芸として我々の前に立ち現れている。

すごいことだ、と思った。

番組は本日夜まで続いている。